第30話 御仁の企み
ミラベルトの屋敷に招待されてから数日後。
夜会以来久しぶりの当番に入ったカレンは喧噪の中、黙々と働いていた。
昼時の食堂と夜会で感じた空気の違いは顕著で、あの日紳士然と振る舞っていた騎士や文官と眼前で慌ただしく食事を済ませる彼らが同一人物とは思えない。
しかし国王陛下の言葉通り、国造りに貢献するが故の忙しなさと思うと頭が上がらず、寄せられる様々な注文を一生懸命捌いてみせた。
「こんにちは、カレンさん」
「お疲れ様です、レグデンバー副団長」
人影が減り、接客も落ち着きを見せた頃、食堂にチョコレート色の頭が姿を現した。爽やかな笑みに挨拶を返しつつ、追加のパンをふたつ皿に盛る。
「ソフィアさんは配達に出ているようですね」
ホールをぐるりと見渡したレグデンバーの口調は断定的で、カレンは彼に向けて差し出そうとしたトレーを持つ手を止める。
周囲に人がいないことを確認してから、それでも曖昧な言葉を選んで潜めた声を発してみた。
「割り当てを把握されて……?」
「任務遂行の要ですから」
「あの、今も、ですか?」
「
少ない言葉とカレンの顔色から言いたいことを察してくれたのか、彼もまた端的に事実を示した。
たった今来たばかりのレグデンバーがソフィアの動向を把握している事実。
第二騎士団には食堂職員の当番割り当てが周知されており、不定期に舞い込む配達依頼中にも護衛はついているということらしい。
(どこから知るのかしら……)
当番表の詳細が外部に漏れている事実に空恐ろしくなるが、ミラベルトの力が働いているのだと思うとそれもまた迂闊に触れられない怖さがある。
と同時に、騎士団の仕事が多岐に及ぶことに思い至った。
「ありがとうございます」
今度こそトレーを差し出すと人当たりの良い笑顔と丁寧な礼を置いてレグデンバーはテーブルに向かう。
カレンたち職員や市井の民には温厚に接する彼だけれど、夜会の席で貴族を相手に見せる態度や表情は鋭いものだった。それは合同訓練で覗かせた凛々しい雄姿とはまた別のもので、しかしどちらも騎士らしさを感じさせる振る舞いだったように思う。
(どれもレグデンバー副団長の一面なのでしょうけれど……どのお姿が一番ご本人らしいのかしら)
カウンターを片付けながら視界の端に映り込むレグデンバーの背中にぼんやり思いを馳せていると、ソフィアが軽快な足取りで戻ってきた。
「お帰りなさい」
「ただいま。騎士団の執務室って結構遠いのね」
第三騎士団からの配達依頼をこなしてきたソフィアはそう言いながら配達に使ったバスケットを片付けている。
彼女と会うのはミラベルト邸に訪れたあの日以来だが、すっかり明るい表情を取り戻しているので安心した。カレンも自身の事情をレグデンバーが既知であるとわかったときには胸を撫で下ろしたから、彼女の心境はよく理解出来る。
この先も大変なことが待ち受けているだろう彼女の笑顔が絶えないことを願うばかりだった。
「ごちそうさまでした」
相変わらずの速度で皿を空にしたレグデンバーがカウンターへとやって来た。トレーを受け取ろうと手を伸ばすけれど、高い位置から見下ろすレグデンバーはトレーを手放そうとしない。
何事かと疑問に思うカレンの名を彼が呼んだ。
「カレンさん、少しよろしいですか?」
「はい?」
「この後は何時までお仕事を?」
当番の割り当てを知っているだろうに、わざわざ尋ねてくる。
「三時までです」
「そうですか。もし可能であれば終業後にお時間をいただけませんか?」
「私、ですか?」
「えぇ」
柔和な微笑みで頷くレグデンバーだったが、思いの外に追撃は早く。
「何かご予定が?」
「いえ、何も。お受けいたします」
急かされているようで思わず誘いを受けてしまった。
レグデンバーの笑みが一層深まる。
「良かった。それでは三時過ぎにこちらに迎えに上がります」
「はい」
「では、お仕事頑張って下さい。ソフィアさんも」
「副団長もお疲れ様です」
そうだ、と気付いたときには遅かった。
背後で返事をしたソフィアには当然聞こえているだろうし、少し離れれば料理人や他の客たちもいる。
平然と去って行くレグデンバーとは裏腹に、残されたカレンは気まずい思いだった。
「ねぇ、今のお誘いって何?」
「……わからない。私の方が訊きたいくらいだわ」
潜めた声のソフィアにカレンも戸惑い混じりの小声で返す。日頃から親切に接してもらっているとは言え、こんな誘いを受けたのは初めてのことだから。
(ソフィアに関わることかしら?)
だとしてもこんな大っぴらに声を掛けなくても、と思わざるを得ないのだが、受けてしまった以上は仕方がない。
気になる人目を自意識過剰だと振り払って、その後の仕事に没頭した。
◇◆◇
「申し訳ありません、お待たせしてしまいましたか?」
「いえ、問題ありませんよ」
終業後、素早く着替えたソフィアは興味深げにしながらも「邪魔になるといけないから」と早々に職場を後にした。
一人残されたカレンは途端に落ち着かない気持ちに襲われる。早々に着替えは済ませたものの三角巾を外した髪に変な癖が付いていないかと些細なことが気に掛かってしまい、鏡の前で何度か黒髪を撫で付けてようやく更衣室を出てみれば、すでにレグデンバーの姿はそこにあった。
「レグデンバー副団長はまだお仕事中ですか?」
彼は深緑の制服に身を包んだままだった。
「休憩中のようなものです。少し歩いても構いませんか?」
「はい」
目的がわからないので、とりあえずは言われるがままに従う。レグデンバーが踏み出した方向にカレンも足を向けた。
「良く晴れているので外に出ましょうか」
窓から差し込む陽はまだ高く暖かい。カレンの歩調に合わせるようにゆっくりと回廊を進む。
時間外の閑散とした食堂から中央区に向かえば次第に人影が濃くなっていく。廊下で行き交う人々が増えるにつれ、隣を歩くレグデンバーに集まる視線も増しているのはカレンの気のせいではなかった。
「今日のクルミパンは美味しかったですね。カレンさんは食べましたか?」
「はい、ひとつだけですけれど」
しかし銀の腕章を煌めかせた副団長は周囲の目など気にならない様子で昼食のメニューを語っている。
カレンの方が肩身の狭い気分を味わいつつ、料理人にパンの好評ぶりを伝えようと決心している合間にも広々としたホールを通り過ぎる。
「こちらです」
執務室や医務室など食事の配達先しか王城内のことを知らないカレンをレグデンバーの案内が導いてくれる。見慣れない景色を横目に見ながら追従すると、中庭へと開かれた大きなガラス扉に辿り着いた。
「花が見頃なんですよ」
開放された扉の向こうには萌える緑が奥へ奥へと広がっている。回廊からも臨むことの出来る中庭だが、実際に足を踏み入れたことはなかった。
「登城を許されていれば誰でも入れますから。行きましょう」
一歩外へと踏み出せば、ふんわりと優しい空気が周囲に立ちこめている。
「何て良い香り……」
「でしょう? 奥に行けば花を間近に見られますよ」
仰ぎ見たレグデンバーの藍色の瞳が陽光を受けていつもより明るく見える。そのせいか、彼の笑顔が活き活きと感じられた。
「歩きながらで良いので聞いていただけますか?」
「はい」
レグデンバーの硬い靴底が美しい配色で敷き詰められた石畳を踏んで軽快な音を立てる。ゆっくりと響くその音色が心地良い。
「さる御仁が離れて暮らす孫娘と一緒に出掛けたいと言い出したとしましょう」
「……はい」
それだけの情報で何を指すのか、カレンにだってわかってしまった。
「しかし事情により、表立って会うのが困難な二人だったとします」
丸く刈られた植栽に目を引かれながらも歩を進める。
「御仁は孫娘を別の男性にエスコートさせ、目的地で落ち合うことを思い付きました」
光景を頭に思い浮かべ、なるほど、と二度頷いた。
「しかし孫娘と男性に良からぬ噂が立つことへの懸念があります」
時折流れる微風に運ばれて甘い香りが頬を撫でていく。
少し先に白い花が群生しているので、そこから流れてきたのかもしれない。
「そこで御仁は第三者に協力を仰いではどうかと考えました。孫娘と男性それぞれの友人を付き添わせ、親密な付き合いではないことを主張しようという腹づもりです。ところでカレンさん」
素早く前に進み出たレグデンバーがくるりと振り返る。カレンを見下ろす彼は真剣な面差しで僅かに身動ぎ、距離を詰める。
向かい合う形になった二人の傍らで白い花弁がさわさわと風に揺れた。
「この場合に於ける孫娘のご友人の感情はどのようなものだと思いますか?」
「……そうですね、喜んで協力するのではないでしょうか」
「あからさまに利用されていると理解していても?」
「はい、友人がお孫さんを大切に思い、お孫さんがお祖父様との時間を大事に思う人なら助力は惜しまないのではないかと」
「なるほど」
カレンを見つめていた双眸が足元で咲き誇る花へと落とされた。
「私は幾分御仁の我が儘が過ぎるのではないかと思わなくもありません。ご友人の立場も守られるべきではないかと考えます」
「男性と出掛けることへの懸念ですか?」
「それよりもまずご友人の安全が念頭にあります」
再びレグデンバーと視線が絡んだ。
「ご友人が会いたくない誰かと会ってしまわないか、聞きたくない言葉を浴びせられないか、と思うと自分本位な案でとても良策とは思えません」
彼の言葉が誰を思い、何を想定しているか。
憂いを滲ませた表情を見せるのは、過去に目撃した場面を思い出したからだろうか。
「それは……会う可能性があるということですか?」
「行き先によっては」
今度はカレンの視線が落ちる番だった。
白と緑のコントラストをぼんやりと眺めながら思考を巡らせる。
この先もずっとこの調子で過ごしていかなければならないのだろうか?
父や母の影に怯えて、こそこそと隠れるように?
いない者とした存在を縁が切れた今になって認めるような人たちの生き方に、この先も己が振り回されなくてはいけないのか?
『でも頑張るわ。自分の人生だもの』
ソフィアの言葉が蘇る。
生きたいという思いで屋敷を飛び出してきた。
これまで育ててもらった恩がないと言えば嘘になる。しかしこれからは自分の人生だと胸を張って日々を送っていきたい。
「構いません」
顔を上げて決意を伝える。
「ずっと逃げ続けるだけでは何も解決しませんから。どこかで変わらなければいけないと思います」
レグデンバーは驚くでもなく、笑うでもなく、穏やかな光を瞳に湛えてカレンを見つめていた。
「ご友人が?」
「えっ、あ、はい。ご友人が、の話です」
慌てて付け足すと、ふっと息を吐くように笑われてしまう。
「では男性も行動を起こさなければいけませんね」
そう言ってカレンに背中を見せると肩越しに振り返る。
「もう少しだけお付き合い下さい」
休憩が終わるまで、と続いた言葉にカレンは頷いた。
それからはさる御仁の話題に触れることもなく。
僅かな時間を二人で花を愛でて過ごした。
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