第21話 謝罪

「少しだけ、お時間を。私もカレンさんに謝らねばならないことがあります」

「はい」

「合同訓練での私の発言についてです」


 それだけでピンと来た。

 ソフィアとも愚痴めいた話をしたので忘れられるわけがない。


「あなたに対して失礼な物言いになってしまったことは心から謝罪します。ただ、きちんと真意をお伝えしておきたくて」

「……はい、伺います」

「私はあの場の状況を鑑みて発言したつもりでした。カレンさんは人のいない訓練場側にいたのに対し、ソフィアさんは混雑した露店側にいた。誰かと連れ立っているわけでもなく、お一人で。ですから万が一のことを考えた上での発言でした」


 二人きりの空間に僅かな沈黙が生まれる。

 レグデンバーの言わんとするところは理解出来る。ソフィアを心配するが故に出た言葉で、それ以上もそれ以下もなかったに違いない。

 だとすれば、カレンへの配慮なんてものは最初から期待するべきではない。


「ソフィアを心配されてのお言葉だったと理解していますし、私は自ら仕事を引き受けてあの場にいたわけですから、どうかこれ以上はお気になさらないで下さい」


 改めて謝罪されてしまうと逆に落ち着かない気持ちになる。

 笑顔で言い切ってこの話は切り上げようと思った。しかしレグデンバーの顔つきは尚も真剣で、思わず怯みそうになるほどの圧を感じた。


「もうひとつ、誤解して欲しくないことがあるのです」

「誤解、ですか?」

「私はこれでも騎士団副団長を任されるくらいの実力は持ち合わせております。合同訓練の場に於いて、私がカレンさんをお守りするのは織り込み済みの話でした。ソフィアさんとお話しされていたあの場にいようと、天幕にいようと、です」


(それは……)


 どういう意味ですか、と尋ねるまでもなく答えを差し出された。


「カレンさんを心配していないように受け取られるのは心外なのです」


 強い非難の言葉に思えたが、レグデンバーは眉尻を下げた困ったような笑顔でそう言った。張り詰めた糸がぷつりと切れたかのように放つ緊張感も緩和されている。

 彼の言葉の真意を汲み取るべく、カレンの脳内は目まぐるしく回り始める。


(心外ということは心配して下さっていた、ということで……織り込み済みということは最初から私の安全を保障して下さっていた、と……?)


 あのとき発された『こんなところにいては危ないではないですか』という言葉は真にソフィアに向けられたもので、それはカレンを蔑ろにして出たわけではなく、カレンにはすでに必要のない言葉だったから。


(私が卑屈に捉えすぎていた?)


 彼の気持ちをわかったつもりになって一方的に決め付けていたのではないだろうか。現にカレンはレグデンバーに救われている。そこにソフィアがいても、いなくても。

 ソフィアよりも扱いが劣っていると貶めていたのは自分自身ではないだろうか。


「ご理解いただけますか?」

「はい……はい」


 気持ちの整理をつけていたら意味もなく返事を繰り返してしまった。

 そんな様子をくすりと笑われてしまう。


「引き止めてしまい、申し訳ありません。私も別件の用事があるので一緒に出ましょう」

「お食事はよろしいのですか?」

「戻ったらいただきます。食器はなるべく早く返却に行きますので」

「いえ、回収に伺います」

「いつ食べ終えるかわかりませんから。さぁ、行きましょう」


 腰を上げたレグデンバーに有耶無耶にされつつも、素直に従って執務室を出る。

 カレンの帰り道とレグデンバーの行き先は同じ方向らしい。特別会話をすることもなく、時折彼がびる剣が立てる金属音を聞きながら肩を並べて歩く。


 執務室でのやり取りを思い出すカレンの胸中は凪いでいた。

 伝えたかった謝意とお詫びをちゃんと口にすることが出来たし、自分自身の偏った考え方にも気付くことが出来た。

 母との一幕を見ていたレグデンバーの態度はこれまでと変わりなく穏やかなもので、そこに同情や憐憫、軽蔑は含まれていなかった。彼の胸中がどうであれ、今まで通りに接してもらえることはカレンに大きな安心感を与えてくれた。


(気持ちを伝え合うって大事なことなんだわ)


 カツカツと床を蹴る音が響く。

 二人分の足音は同じような速度で奏でられている。

 レグデンバーがカレンの歩幅に合わせて歩いていることに気付くのに、そう時間は掛からなかった。こんなところにも彼の優しさが見え隠れする。

 胸にふんわりとした温かい気持ちを抱いていると、正面から貴族服の男性数人が連れ立って歩いてくるのが見えた。レグデンバーが素早く壁に背を付ける横でカレンもそれに倣う。


「ご苦労」


 二人の前を通り過ぎる際、先頭に立つ男性が通りの良い声で言い放った。その声と、床に視線を落とすまでの僅かな時間に見た男性の姿にカレンは覚えがあった。いつだったか、配達の礼を伝えて欲しいと言った蜂蜜色の髪。今日も胸元には財政部門のバッジが輝いていた。

 複数の足音が去っていき、カレンらも再び歩き出す。

 一桁の執務室が並ぶ回廊を進んでいると不意にレグデンバーが足を止め、数歩先を行ってしまったカレンは思わず彼を振り返った。


「私はこちらに用がありますので、ここで失れ」


 レグデンバーの言葉を断ち切るように第二執務室のプレートを掲げた扉がガチャリと大きく開いた。


「待ったぞ、レグデンバー」

「……お待たせいたしました」


 部屋の中から顔を覗かせたのは好々爺といった風情の老人だった。責めるようでいておどけた口ぶりだったが、身に纏う貴族服から口元にたくわえられた髭までもがピシリと整っており、全くの隙を感じさせない。

 レグデンバーの隣にいるカレンに気付いた男性は「おや?」とでも言いたげに眉を上下させた後、にこりと微笑んだ。


「こんにちは、お嬢さん。こいつをお借りしてもよろしいかな?」

「はい。私も勤務中ですのでお気遣いは必要ございません」

「そうかい。ほどほどに励みなさい」

「はい、ありがとうございます。では失礼いたします」


 深く腰を折って頭を下げ、二人の前をそそくさと立ち去る。

 老人もまた胸元に豪奢なバッジを付けていた。各部署の重役に就くのは上位貴族だと聞いている。

 そんな男性から気安い挨拶を受けているレグデンバーは、やはり騎士団副団長として確固たる地位を築いているのだろうと思うと、少し腰が引けてしまったのだ。



◇◆◇



 その後は何事もなく食堂へと辿り着いた。

 幸いにもホール内に人影は少なく、ソフィアにも「忙しくなかったわよ」と言われたが、レグデンバーと個人的な用件で話し込んでしまった罪悪感がチクチクと胸を刺す。

 ソフィアも二桁数字の執務室には行ったことがないらしく、様子を尋ねられたので罪滅ぼしの代わりに見たままを伝え、それでも払拭出来ない気持ちを晴らすようにホールの片付けに勤しんだ。

 だから、またも気付けなかった。

 巨躯でありながら気配を消して背後に忍び寄る存在に。


「カレンさん、ごちそうさまでした」


 テーブルを拭いていた布巾を思わず落としそうになり、わたわたとみっともない動きをしてしまう。


「驚かせてしまいましたか? すみません」


 肩越しに振り向いて目にしたのは、言葉の内容とは不釣り合いな笑顔だった。


「食器を返却しに来ました」

「わざわざありがとうございます。こちらでお預かりしますね」


 有耶無耶にされた結果、本当に返却のために足を運んでくれたようだ。

 レグデンバーが軽々と掲げて見せたバスケットを両手で受け取る。空になったとは言え、小鍋が入っているそれをカレンは容易に扱えない。


「色々と立て込んでいたので配達していただけて本当に助かりました」

「お役に立てたのでしたら何よりです。またいつでもご利用下さい」

「はい、そのときはよろしくお願いします」


 折り目正しい礼をして立ち去る様子を見せたレグデンバーだったが、何かを思い出したように足を止めた。くるりと踵を返すとカレンの側近くに立ち、僅かに身を屈めた。


「今日の刺繍も素敵ですね」


 カレンの耳近くでそっと囁く。他の誰にも聞こえないような声だった。


「では、また」


 そう言い残して今度こそ去っていく。

 その後ろ姿をカレンは呆然と見送ることしか出来なかった。


 褒められたことへの礼も言えず。

 ソフィアがいるのに話さなくてもいいのか、とも思わず。


 掠めていった声を閉じ込めたいのか、あるいは逃したいのか。

 真っ赤に染まった耳を思わず押さえてしまったカレンの指先が、三角巾の刺繍をかりっと引っ掻いた。

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