第6話 硬貨の使い途
カーテンの向こうで存在を主張する朝日が、浅い眠りに
王城の敷地内に建てられた職員寮は東向きに窓が設けられているというが、こうして目覚ましの効果を狙ってのことなのだろうか。そんなことを頭の片隅でぼんやりと思い浮かべながらカレンは起床した。
(何をして過ごそうかしら)
今日の食堂での当番は夕方なので慌ただしい午前を送る必要はない。ベッドから抜け出てカーテンを開くと一層眩い光が差し込んでくる。
(こんなに良い天気だもの、洗い物がよく乾きそうね)
窓越しでさえ暖かさを感じるこんな日は洗濯をするのが良いかもしれない。
そうと決めたカレンは手早く着替えを済ませるとシーツを剥がしに掛かった。
「おはよう、カレン」
「おはようございます」
丸めたシーツを抱えて洗濯場に向かう道ですれ違う人々と挨拶を交わす。皆が皆王城で働くことに誇りを持っているためか、老若男女様々な職員が朗らかな笑顔で接してくれるのでカレンも見習うように心掛けていた。
ソフィアの勢いに押されて登城した際にはどうなることかと不安だったけれど、上手くやれているのではないかと自尊心も芽生えつつある。
親友と共に王城の食堂で働くことになったのは、もう三ヶ月も前のことだ。
父だったイノール子爵が王城勤めではないと知らされたこと、リース院長の後押しがあったこと、そしてソフィアがいたから新たな生活に踏み出せた。
職員寮で寝床を用意してもらえることは非常にありがたかった。職員用の制服は支給されるし、食堂勤務中には
ふと初めての給金を受け取った日を思い出した。
「ねぇ、カレン。お給金がもらえたことだし、街のカフェに行ってみない?」
「いいわね。でも先に修道院に寄ってもいいかしら?」
「いいけど、何か用事?」
「気持ちだけでも寄付をしようかと思って」
巾着に入れて渡された硬貨が給金の相場として多いのか少ないのか、それすらカレンにはわからない。だからこそ大事に使うべきではあるのだが、修道院への寄付は絶対事項だと決めていた。
ポカンと気の抜けた顔をしたソフィアが小さく息を吐く。
「カレンのそういうところ、貴族のお嬢さんなんだって思うわ。あ、嫌味じゃなくて褒めてるのよ」
「どうしてそう思うの?」
「私には寄付なんて発想がなかったもの。真っ先に欲しいものを思い浮かべてしまったわ」
告解するかのような憂鬱な表情を浮かべるものだから、少し言葉に迷った。
「それは悪いことではないでしょう?」
「そうだけど……うん、決めた。私も寄付するわ」
「えっ」
「カレンを見て『寄付しなきゃ』って思ったわけじゃないから安心して。私の意識を変えるためにも『寄付したい』と思ったのよ」
ソフィアにはソフィアなりの考えがあるのだろう。深く追求しなかった。
早速修道院へと向かった二人は同じ硬貨を一枚ずつ、院長へと手渡す。けして大きい額ではないので恐縮したが、リース院長に深い笑みで感謝を告げられ、二人で顔を見合わせて笑った。
その後、街のカフェで食べたケーキが美味しくて、給金を受け取った日にはソフィアと共にそこに通うことがお約束となっている。
(次は栗のケーキに挑戦してみようかしら)
ふんわりと浮かぶ雲から甘いクリームを連想しているうちに洗濯場へと辿り着いた。
「あら、カレンも手洗いかい?」
「はい。お天気が良いので自分で干したくて」
職員の洗濯物は街の洗濯屋が出向いて洗ってくれるのだが、洗濯場で自ら行う者もいる。目の前の彼女は昔からの習慣だそうで、汚れ物はすぐに洗ってしまいたいから自分で洗うと言っていた。
カレンの場合は自分に出来ることが増えて嬉しかったから。だから時間のある良く晴れた日には自分の手で洗濯を行い、降り注ぐ天日を浴びながら物干しまで済ませる。あの修道院に行かなければ学べなかった生活の術を実践出来ることがとにかく嬉しくて仕方なかった。
「洗濯屋に石鹸の試供品をもらったけど使ってみるかい?」
「はい、ありがとうございます」
半年前より少し皮が厚くなった指先で、真っ白な石鹸を受け取った。
◇◆◇
夕方の当番は昼のそれに比べると幾分余裕がある。
騎士や文官は大体が宿舎に戻って夕食を摂るか外食をするかで、食堂に来るのは夜勤の者だったり遅くまで帰宅出来ない者に限られるからだ。
時間に追われての食事ではないからか、客もゆったりしている。窓の向こうでは空が闇色に染まりつつあり、明るい照明が灯された食堂はどこか異世界めいた空気を感じる。カレンはこの空間が好きだった。
「こんばんは、カレンさん」
「こんばんは、レグデンバー副団長」
間もなく夜が訪れようというのにチョコレート色の髪はすっきりとして乱れを知らず、女性の目を惹きつける甘やかな顔に疲れの色はない。彼はいつもこんな調子だ。
「ソフィアさんはいらっしゃらないのですね」
「彼女は今日は昼の当番でしたから」
「残念ですね」
レグデンバーが真っ先に触れるのがソフィアであるのもいつものことだった。
彼は昼食時にソフィアと会っていないのだろうか。目敏い彼なら必ず見つけ出すはずだろうに。
任務で外に出ていたのか、あるいは夜勤で昼には来ていなかったのかもしれないと思い至り、だったら尚更会いたかったのだろう、と心情を察した。
まだ子爵家令嬢として暮らしていた頃は母と使用人、時折訪れてくる教師としか接することはなかった。その誰もが女性であったため、男性の心の機微を察することは難しい。
しかし、レグデンバーがソフィアに好意を抱いているだろうことはうっすらと感じ取れた。彼にそのつもりはないとしても、残念だなんて言われると申し訳ない気持ちになってしまう。
「今夜のメニューは何ですか?」
「肉団子のソース煮込みです」
「肉を多めにしてもらうことは?」
「もちろん可能です。少々お待ち下さいね」
せめて食事で気分を上げてもらおう。そんなことを思いながらカウンターに戻る。ひとつのトレーを調理台に戻し、寸胴鍋の蓋を開けると香辛料の香りがぶわりと漂った。鍋の中身にはカレンの賄いも含まれているので自らの分を分け与えるつもりで肉団子を掬い入れる。
「お待たせしました」
「ありがとうございます、カレンさん」
食堂の職員にすら折り目正しい礼を寄越すレグデンバーは、いかにも騎士といった風情を感じさせる。
(皮肉なものね)
イノール家の一員であった頃は王城に上がることも、文官や騎士と面識を持つこともなかった。それが今では騎士団を纏める立場の人々にまで顔や名前を覚えられているのだから、何が起こるかわからないものだ。
テーブルに向かうレグデンバーの背中を見送り、放置された食器の回収に向かおうとしたところで新たな客が出入り口に見えた。注文を受ける可能性を考慮してカウンター内に踏み止まると。
「カレンさん、こんばんは」
真っ直ぐに向かってきた男性はカレンに気安い挨拶を投げてきた。
その見覚えのある顔。
「えっと……フローラン、さん?」
確かそんな名前だったような気がする。
先日、医務室で会った騎士は破顔した。
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