第40話

 翌日、朝早くに目が覚めた。


 すっかり慣れた研究室のソファーから身体を起こすと、イリスがまだすやすやと寝ていた。


 彼女を起こさないようにそっと奥にある洗面所まで歩く。


(あちゃー、目が赤いなあ)

 昨日、イリスにバカと言い続けられ、彼女が先に寝落ちた後は、一人泣きながら飲んでいた。


 せっかくこの気持ちに自覚を持って、アドの「観念しろ」と言われた言葉に観念したのに。


 結局、副団長就任が決まっている王子様と、没落決定の伯爵令嬢の家庭教師では身分が違いすぎた。


 命の危険に、アドの変わらない甘い態度に、そんなことさえ頭から吹っ飛んでしまっていた。


 国王陛下のあの表情、言葉が忘れられない。


 私は「先生」として、心の中でもう一度線引きをする。


「よし!」


 鏡の前の自分に喝を入れる。


 今日はアドの試験日だ。


 身支度を整え、すぐに魔法騎士団へ駆けつけられるように準備をする。


 謹慎は昨日の通告から丸一日だから、アドの試験が終わって結果が出る頃には解けるだろう。


 はやる気持ちを抑えながら、研究室の外に出る。


(裏庭にでも行こうかな)


 魔法省、研究棟からさえ出なければいいので、私は自分を落ち着けるように裏庭へと向かった。


 裏庭には、アドと並んで勉強をした机が今も置いてあった。


 その机を撫でながら椅子に座る。


 あっという間の二ヶ月だった。


「一年だってすぐだよね」


 アドの家庭教師としての残り少ない時間を大切にしよう。 


 これまでの出来事を感慨深く思い返す。


「ミュリエル」


 目を閉じていると、ここにいるはずのない人の声が聞こえた。


「お……とう、さま?」


 金色のローブを羽織った魔術師団姿で、お父様が研究棟の裏庭に立っている。


(何で!?)


 ゴリゴリの魔力量重視、エリート思考で、研究棟のことを蔑み、お荷物だと毛嫌いしている筆頭の一人。


 私が驚いて椅子を立ち上がると、お父様の後ろからミルクティー色の髪がぴょこっと顔を覗かせた。


「クリスティー……」

「極刑を免れて良かったですわね、お姉様。あんなことをしておいて」

「なっ!?」


 昨日の事件は、魔術師団長が首謀者として牢に入れられ、これから裁かれる。アンリ様も唆されたとはいえ、事件を起こした張本人のため拘束されている。彼はクラリオン伯爵家から勘当され、見限られたと聞いた。


 そしてクリスティーは、直接的に手を下した訳ではなく、むしろ巻き込まれたという主張が通り、牢屋からはすぐに出されたらしい。ただ、国王陛下の前で自作自演の被害を訴え、第二王子の家庭教師を極刑に追いやろうとした罪で、辺境の修道院へ送られることが決まっていた。


「どうして……」


 お父様はともかく、どうしてクリスティーまで自由にこんな所まで出歩いていられるのか。そんな疑問はお父様がすぐに晴らした。


「可愛い娘との最後の時間を貰ったのだ。魔法省内なら散策しながら話をしてもいいと許可はもらっている」


 お父様はクリスティーの頭を撫で、私には向けたことのない顔で妹に微笑んだ。


「お姉様がまさかアドリア殿下をあそこまで誑かしておられたなんて……そんなところ・・・・・・は才能がおありだったのかしら?」


 お父様の胸に半分顔をうずめながらクリスティーがこちらをくすりと笑って見た。


「まったく、いくら落ちこぼれでクリスティーが妬ましいからと、殿下の権力で妹を辺境へ追いやるとは」

「お父様!?」


 クリスティーの起こしたことは、アンリ様と共謀してのことだと、昨日あの場で国王陛下自らも認められたこと。


(どうして?)


 妹のクリスティーの言い分しか信じないお父様に、それでもかと、愕然とした。


「優しいクリスティーは、お前を許すと言っている! お前は、妹のこの恩義に報いるために、シルヴァラン伯爵家のために生きなさい!」

「何を……おっしゃっているんですか?」


 意味の分からないことを述べるお父様。


「良かったですわね、お姉様! お姉様はクラリオン伯爵家の三男、ラウル様をお婿さんに迎えられるそうですわ!」


 お父様の元を離れ、駆け出したクリスティーが私に抱きつく。


「は?」

「クラリオン伯爵家は、次男アンリのしでかした事の詫びに、三男をシルヴァラン伯爵家にくれるらしい」


 驚く私にお父様が説明するが、頭がついていかない。するとクリスティーが私にだけ聞こえる声で呟く。


「本当はお姉様になんて何もあげたくなかったけど、まあ、少しの間だから我慢するわ」

「え……?」


 クリスティーを見ると、彼女は勝ち誇ったかのように笑っていた。


「国王陛下からお前の勘当を撤回する御命令と、シルヴァラン伯爵家は今代で爵位没収の通告があった。そこで私はお前を当主にするならどうかと持ちかけた。国王陛下はお前が望むなら、とおっしゃった」

「私は……いまさら、そんなことを望みません」


 散々私を落ちこぼれとして冷ややかに見てきたお父様の言葉に、私は警戒しながら見つめる。


「なあに、クリスティーが帰ってくるまでの間だけだ。ほとぼりが冷めたら、クリスティーは家に戻す。当主の座はそこで交代だ。落ちこぼれのお前が妹のために、家のために役に立てるのだから本望だろう」

「そんなこと……国王陛下を謀るようなこと……!」

「アドリア殿下を誑かしたんだから、できるだろう?」


 お父様のとんでもない言葉に、私は目を見開く。


「お前、あと一年も殿下の家庭教師をやるんだろう? 二ヶ月で籠絡できたのなら、一年でシルヴァラン伯爵家に利のあるように殿下をたらしこみ、もっていけ」

「そんなこと、できるわけない!」


 私は生まれて初めてお父様に声を上げた。


「家のために役に立て!」

「そんなことなら、私は勘当されたままでいい!」


 お父様も怒って声を荒げたが、私も負けじと返した。


「なっ……シルヴァラン伯爵家の名前が無いと、お前は家庭教師を続けられないぞ? 平民が王族の側にいられはしないのだからな」

「それでも、アドを利用するくらいなら、私は家を出ます――それに、お父様は勘違いしている。アドは、アドリア殿下は私に誑かされてなんていない。自分の強い意思で動ける方よ。そんな人じゃない」

「何を――」


 きっぱりと放った私の言葉に、お父様がたじろぐ。


「大丈夫よ、お父様」


 まだ私に抱きついていたクリスティーが振り返って言った。


「…………そうだな。落ちこぼれなら、こちらで操作すればいい」

「なっ?」


 クリスティーの言葉に歪んだ笑顔を描くお父様。その異常さに後ずさりしようとしたところを、クリスティーにがっしりと後ろから抱きしめられる。


「アドリア殿下と幸せになんて、絶対にさせないんだから」

「クリスティー!? 何を!?」


 いつの間にか足が地面に縫い留められ、動けない。


(……お父様の魔法!)


 クリスティーに気を取られている間に、私はお父様の魔法によって動けなくなってしまった。


「魔法石、厳重に管理されてるって言われていたでしょう? でも、ちゃんとした持ち主から譲り受けたとしたら?」

「まさか!?」


 私は顔だけクリスティーに向ける。


 クリスティーは何も言わず、人差し指を唇に当てて微笑んだ。


扱い方・・・があるって教えてくれたのはお姉様だったわね。ありがとう、お姉様」


 クリスティーは魔術師団長が持っていたのと同じ、魔法石が埋め込まれたブローチを取り出す。そして、詠唱を始めた。


(暗示の魔法……!!)


 紙のカンペを読み上げながら、クリスティーはゆっくりと唱える。


 昨日取り返したアドの魔力がこめられたネックレスは鎖が切れていたため、イリスに預けてあった。


 クリスティーだけならまだしも、お父様が相手。


(クリスティーに妄信的なお父様も、もしかしたら暗示に……?)


「お姉様は一生、私のお人形として役に立ててあげるから、安心して?」


 詠唱を終えたクリスティーが私の目の前に立っていた。


(諦めてたまるもんですか!)


 昨日の私とは違う。私はクリスティーをキッと見据えた。

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