第2話
「イリス、迎えに来たぞ。ごめんなミュリエル、世話かけて」
「ううん、飲ませたのは私の方だから」
程なくして、イリスの婚約者のグレイが彼女を迎えに来た。
ラヴァエール侯爵家次男の彼は、私たちより一つ歳上で、魔法騎士団に所属するエリートだ。ちなみにお兄様は騎士団長。
灰色の短い髪に灰色の瞳で精悍な顔立ち。鍛えられた身体は逞しく、寝ているイリスをあっという間に抱きかかえてしまった。
「ははっ、こいつ、ミュリエルくらいしか女友だちいないから、また誘ってやって」
気さくに笑う彼は、サバサバとした性格で、良い意味で貴族らしくない。そんな所がイリスと合っているらしい。私にまで気さくに接してくれる彼は、私にとっても良い友人だ。
「ミュリエル、遅いからお前も馬車で送っていくよ」
イリスを抱えたグレイが私を気遣ってくれたので、首を横に振って答えた。
「ううん、酔いを覚ましたいから歩いて帰るよ」
「そっか、気を付けろよ」
「うん、ありがと」
イリスとグレイを見送ると、私は机の上の酒瓶を片付けて、カップを洗い場で流す。
ここはイリスの個人研究室だ。私みたいな底辺の魔法省員は、大部屋に机が用意されているのだが、イリスが私をここに引っ張ってくれた。なのでここで自分の仕事をしながら時々、イリスの研究を手伝ったりなんかもしている。
魔法省には貴族しかおらず、大きく三つの部署に分かれる。
一つ目は魔法騎士団。魔法と剣術を磨いたエリートたちが集う。魔物討伐や国の有事に立ち向かう精鋭部隊。グレイはここの所属。
二つ目は魔術師団。人数の比率が一番多い部署。魔法学校を出た多くの貴族がここに就職する。魔法騎士団と違い、前線に出ることは少ない。魔法に関する仕事、病院への派遣、魔法騎士団へのサポートのための派遣なんかも担っている。
最後は私とイリスが所属する、研究棟。魔法薬や魔法具の研究をしている。魔法騎士団が扱う武器の改良もここで行われている。
魔力量が重視されるこの国で、研究棟はバカにされがち。関わりのある魔法騎士団の中には好意的で感謝をしてくれる人も多いけど、魔術師団の人たちは「お荷物部署」だと蔑む人がほとんど。
そんな中、イリスは実績を上げ、彼らを黙らせた、研究棟の希望の星。貴族の序列からも、侯爵家のイリスに文句を言える人はそうそういなかった。
そんなイリスと仲の良い私は、彼女と一緒にいれば悪意を直接ぶつけられることは無く、かなり助かっている。
家でも職場でも悪く言われ続けるのは、精神的にキツイ。
(空気なのもキツイけど、自分を否定され続けるのもなあ……)
家で空気な自分。職場や妹、両親から貼られる「無能」というレッテル。
私の仕事は、魔法学校での座学の教師。ガリ勉が役に立って良かったと喜んでいたが、両親からは「そんな底辺の仕事」と軽蔑の目で見られている。
魔力量が重要なこの国で、真面目に座学を聞く生徒もおらず、私はアウェイな教室で生徒にバカにされながらも、淡々と授業をこなす日々だった。
そんな中での婚約破棄。
「愛想がなくて悪かったですね――」
まだ少しほろ酔いな私は、魔法省からシルヴァラン家の屋敷までの石畳を千鳥足で歩く。
王都の城下町は、夜でもまだ明るい。
魔法具のランプによって明るく照らされた飲み屋が何件か開かれている。
騒がしい通りを抜けて行けば、街の人たちや騎士団員たちの笑い声が各所から耳に届く。
魔法騎士団や魔術師団は、魔法が使えない下級貴族や平民が所属する騎士団を下に従えている。
街の治安や警備、大掛かりな戦や魔物討伐には彼らも徴収される。
(魔法が使えなくても、魔法具を使えば彼らだって……)
私も魔力が少ないため、魔法具に頼ることは多い。でもそれは腐っても私がシルヴァラン伯爵家の娘で、魔法省勤務だからだ。貴族じゃない平民には魔法具すら行き渡らない。
それでも国のために自身を鍛え、剣を振るう彼らは、自分なんかよりも、よっぽど価値のある存在に思える。
「おねーさん、どーしたの? 一人?」
賑やかな通りを黄昏れながら歩いていると、一際明るい声が私の足を止めた。
同い年、もしくは少し上くらいの人懐っこい青年がにぱっと、私に笑いかけていた。
「ねー、よかったらお姉さんも飲んでいきなよー! ねー、隊長!」
「おお! おじょーさん、むさ苦しいが、奢るから寄っていきな!」
青年がその人懐っこい赤茶色の瞳を店の方に向けると、騎士服を着た大柄な男がテラス席に座っていた。
騎士団で隊長、というしっかりとした身元から安心した私は、「奢る」という彼の言葉に釣られ、つい足を向けてしまった。
「何にするー? エール?」
「うん」
人懐っこい青年が私に聞き、素早く注文をしてくれた。
「あれ、お嬢さん、魔法省の人かい」
私が羽織るローブに気付いた大柄な隊長は目を丸くしてこちらを見た。
(まずかったかな……)
騎士団の中には魔法省の人間を良く思っていない人がいることを私は知っていた。
魔術師団の魔術師たちが研究棟をバカにするのと同じくらい、彼らを蔑んでいるのが原因だった。
「あの、不快でしたら帰ります……」
座ったばかりの木の椅子を立ち上がれば、隊長はガハハ、と笑う。
「不快なもんか! 俺たちみたいな奴らの飲み会に参加してくれるなんて、お嬢さんは良い奴だと見た!」
豪快に笑う姿に、私もほっと安心する。やっぱり騎士団の人たちって良いな、とじんわりしていると、私のエールがテーブルに運ばれて来た。
「隊長、じゃあ〜、乾杯し直しましょう!」
人懐っこい青年がエールのグラスを掲げ、隊長も「おお!」とグラスを持ち上げる。
私もグラスを持ち上げようとした所で、上から声が降ってきた。
「こいつ、魔法省って言っても研究棟の人間じゃないか」
素早く視線を上げれば、すぐ横に男の子が立っていた。
漆黒の髪が夜風になびき、綺麗なエメラルドグリーンの瞳はこちらを見ている。私よりも年下だろう男の子の瞳は大人びていて、少しドキリとしてしまった。
(凄い……綺麗な子……)
シャツとパンツ姿というラフな格好ながら、イケメンは何を着ても様になるというやつだろう。
「こらアド、お嬢さんに失礼だろう!」
隊長の声で私は我に返る。
「だってこいつのローブ、緑色だぜ?」
私を見下ろすイケメンの目は、私が何度も見てきた目だ。研究棟を、私をバカにする目。
魔法省に通う者にはローブが支給される。魔法騎士団は金色、魔術師団は紫、研究棟は緑だ。身分を示すそれらのローブは魔法省の勤めの時には身につけるのが必須。騎士団が騎士服を着ているのと一緒だ。
「詳しいですね」
もうそんな事は言われ慣れているのよ、とにっこりと私は大人の対応をする。
「そのローブ着ていて、恥ずかしくないの?」
「何ですって!?」
前言撤回。大人の対応はすぐに崩れ去る。
「こらアド、お前の嫌いな魔術師団の連中と同じことを言ってるぞ」
隊長が割って入ってくれ、そのイケメンも黙る。
(普段、騎士団をバカにされているから魔法省が嫌いなのね。だから私にも突っかかったのかしら?)
「すまないね、お嬢さん。悪い奴じゃないんだ」
「いーえ!」
申し訳なさそうに言う隊長さんに、私はにっこりと微笑む。
「子供の言うことですから……」
私はふふ、と大人の余裕で笑ってみせる。
「お前はお嬢さんじゃなくておばさん、だろ」
「何ですって――!? 私はまだ19歳よ!!」
イケメンの失礼な言葉に大人の余裕はどこへやら。
私は、思わず立ち上がった。
隊長さんも人懐っこい青年も「まあまあ」と笑っている。イケメン以外どうやらほろ酔いなようだ。
私はこのイケメンの言葉に、すっかり酔いも覚めて、ふるふると怒りで睨みつける。
「俺だってもう16歳だ。子供扱いすんな、バーカ」
そんな私の怒りをスルーして、そのイケメンはアッカンベーをしてみせた。
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