28. 二人だけの秘密の夜
離宮の門につくと、番兵は顔パスで私たちを通してくれた。ただ、カルのことは承知していても、私は誰なのか分かっていないようだった。
聖女のときには、王宮警備の人たちは私のほうを見たりせず、ひたすら目線を下げている。それなのに、今夜はあからさまにジロジロと見られた。
は、はーん。私をカルの情婦だと思っているんだな。なあるほど、いかにもカルメンっぽいわ。王子をたぶらかす悪い魔女? 魔性の女!
「何、ニヤニヤしてんだよ。変なやつだな」
「ふふっ! だって、目と髪と肌の色が違うだけで、悪女みたいな見えるんだよ。面白くない? 明日には、国中に噂が広まるよ。王子様が魔女にたぶらかされたって」
「それ、面白くもなんともないから。なんなら、もう色、戻すか?」
「やだ。まだ不良してたい! 朝まで時間あるし、今日はこのままがいい」
「朝まで遊ぶ気かよ? なんだよ、今日はめちゃくちゃ我儘だな」
「だって、彼カノだもん。甘えたっていいじゃん」
「別に、いつもだって甘えてくれていいんだけど」
カルの言葉は、聞かなかったことにした。婚約者というのは、その先に結婚がある契約者だ。お互いの未来に対して、それなりの責任がある。
でも、彼カノっていうのは、今、このときだけ好き合っていればいい。コミットがない恋愛は、私にとってはありがたい。ただ、カルを今好きでいればいいだけだから。
「きれいね。海の底の世界にいるみたい」
門から宮殿の入り口までは石畳になっていて、その両側の植え込みから柔らかいオレンジの光でライトアップされている。
宮殿の入り口にいる兵も、殿下にドアを開けながら、興味津々で私を見ていた。こりゃ、本当に、明日は噂が駆け巡りそうだ。
宮殿の中は本当に美しかった。壁や天井にはアラベスクと呼ばれる幾何学模様の装飾が施され、モザイクが光に反射してキラキラと輝いている。
カルが来ているせいなのか、夜なのに中庭の噴水が水路を潤し、まるで砂漠の中のオアシスに来たようだ。ところどころにあるアーチの透かし彫りも見事。
「素敵な宮殿だね。本当に夢の中にいるみたい」
「うん。ここは俺も気に入ってる。異教徒の王が建てた宮殿だけれど、優れた統治者だったんだと思う。征服地にこれだけの建造物を作るなんて、只者じゃないよ」
「そうね、本当に。人が作ったものだと思えないくらい、きれいだね」
「そうだね」
そう言ったカルは、建物じゃなくて、私を見ていた。何なの、もうっ! 恥ずかしいから、そういうベタなことはやめてよねっ!
「もう、帰ろうか。馬車を呼ぶよ」
「えっ! なんで? まだそんなに遅くないよ?」
「こんな雰囲気ある場所で二人っきりとか、お前、危ないと思わないの?」
「え、なにそれ。なんか、危険なの?」
周囲を見回した私の腕を、カルがそっと引き寄せた。きつく抱きしめられると、カルがいつも使っているコロンのいい匂いがした。
あれ、すごくドキドキしている。これは、私の心臓の音だよね? それともカルの?
「危ないのは俺。ここには、衛兵以外には誰もいない。お前が叫んでも、助けはこないぞ」
「カルが私を襲うってこと? ないでしょ。だって、学園の部屋だって密室じゃない」
私がそう言うと、カルは深いため息をついた。
「……もういいよ。さあ、帰ろう。今日は楽しかったよ」
カルは私から離れて、出口のほうに歩き出した。これでもう、彼カノは終了? 私はまた、あの『理想の聖女像』を演じる、邪魔者の婚約者に戻らなくちゃいけないの?
そう思ったときには、私はもうカルに後ろから抱きついていた。
「おい、そういうのやめろよ。こっちはギリギリ我慢してるんだから」
「やだ。まだ今日は終わってないもん。悪女の魔法は解けてない」
「シア。ふざけるのもいいかげんに……」
「いいの! 今は不良なんだから、ふざけまくろう!」
訝しげに振り返ったカルの首に、私は腕を回した。悪女の魔法が解けないうちに、今しか言えないことを、今しかできないことをしたい。私たちが彼カノであるうちに。
「今夜は不良らしく、親に言えないような悪いことしようよ! 明日になったら、夢みたいに消えちゃう魔法なんだから。今夜だけは特別」
私はそのまま目を閉じて、カルからのキスを待った。そして、カルからの激しい口づけを受けながら、時計塔が深夜十二時を告げる音を聞いていた。
悪女の魔法は解けた。この先は魔女の仕業じゃなくて、私の責任。私は自分の意志で今ここにいて、そして今カルを愛している。
深夜と共に離宮のライトアップが落ちて、闇が私たちを包んでいった。それは、誰も知ることのない、二人だけの秘密の夜の始まりの合図だった。
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