雑居ビル 《竜之介》
桃に急に家から引っ張り出されて連れてこられたのは、繁華街の路地にある暗い雑居ビルだった。
「おまえ、……論文の発表とかないだろ……」
僕はぶつぶつ言いながら、桃の後を追う。
こいつ、僕のこと好きとか言いながら、扱いが酷くないか?
「ここ……なに?」
俺が言うと桃は錆びた階段を上りながらからっとした調子で言う。
「俺ンちだけど?」
桃は慣れた様子で最上階の古びた扉を開ける。扉の近くには割れてボロボロになった時代遅れのスナックの電飾の置き看板が打ち捨てられている。
そう言えば高校からの付き合いだけど、桃の家のことを聞いたことはなかった。
桃は自分のことを話たがらないから僕も聞かなかった。
「ここが俺んち」
桃はその店に入っていく。
俺も後に続く。
店の入り口もボロボロだったから、なんとなくそうではないかという予想はついていたけど、中も相当古そうだった。
暗くて、こじんまりしたカウンターがあり、あとは赤いソファ席がふたつほど。
小さなトイレと……奥には住居の部屋があるようだ。
なんだか、からっとした桃には似つかわしくない場所に思えた。
「桃んち、お店してたの……?ここで……」
「母親が、スナックをやってたんだけど……俺が中学生卒業した頃だったか……男とどっか行っちまったのよ」
桃があっけらかんと言うので、僕は少し戸惑いながらも相槌を打つ。
「….そうだったんだ….」
「その奥の六畳の部屋に母親とオレで住んでて、こっちが店だったの」
僕が心配そうな顔をしていたのか、桃が続けた。
「あ、全然大丈夫だよ?全くの音信不通とかじゃないし、ちゃんと高校までは学費も出してもらったし、食わせてもらったから。たまにふらっと帰ってくることもあるし。俺、自活力あるしね。ただ、次から次に男のとこから別の男のとこへと、移動しちゃうから居場所がよくわからないだけで」
「…そうなんだ」
桃は、カウンターの奥に入っていき、インスタントのコーヒーをいれてくれた。
事情は違うけど、桃も親のことでいろいろ苦労している奴だったんだ。
だから、俺たちのことも気にしてくれたのだろうか。
桃は、俺にソファを勧め、自分はカウンター席に座った。
毛布持ってくるから、今夜はそこで眠るといいよ、という。
「オレは最初、竜之介を見た時、なんかこいつ、オレに似てるかもって思ったんだよね…心外かもしれないけど……」
桃はコーヒーを一口飲んで言った。
「外見じゃないよ、もちろん。雰囲気も違うし。オレはこの通り、ぱっぱらぱーだしさ」
現役の国公立法学部に言われると嫌味にも聞こえそうなものだが、桃がいうとなぜかそうでもない。
「気配みたいなもんかな…似てる気がしたのは……」
こんな話をする桃は珍しい。
「でも、ずっと見てたらやっぱり違うなって思った。竜之介には、有栖ちゃんがいて、お兄さんがいた」
「……」
「いいなって思ったよ」
桃は鼻をスンと鳴らした。
「だから、ずかずか乱入してやった……その関係性に」
そういうと桃はくしゃっと笑った。
「ほんとだよ……俺のポジション取るなよ……まいるよ、有栖が…こんなにおまえになつくなんて」
桃がなんでそんな話を今するのかちょっとわかった気がして、心のなかで礼を言う。
どっしり構えろっていいたいんだな、桃は。
桃を見ていて、悔しくなる理由がわかった。桃は、俺たちが似てる気がしたって言ったけど、違う。桃が似ているのは、兄のほうだ。
いつも余裕があって、周りが見えている。明るくて強い。(桃は輪をかけて底抜けに明るい)
「腹へってない?サラダチキン食う?」
桃が店用の冷蔵庫を探りながら言っている。
有栖が大切なのに、僕はこんなにたやすく大事なことを見失う。
あー…有栖に会いたいな…。
「え?なにこれ……超美味いじゃん」
「あ、それオレ考案のオリジナルブレンドのドレッシングにつけたやつ…美味いでしょ?」
この雑多で、暗く、こじんまりしている、不思議な場所の店が、なぜか今は居心地がいい。
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