ドーナツホール 《竜之介》

「ばかみたいだ」


桃が両手に食材の袋を持って部屋に入ってくる。


「あ、有栖ちゃんの好きなドーナツも買ってきたよ」


有栖の姿を見つけて、にこっと笑う。

「桃くん、ごめんなさい…こんなことまでしてもらって……」

有栖が謝りながら、食材の袋を受け取ろうとすると、桃は、重いから…という仕草で有栖を軽く制して、袋をテーブルに置くと、ひょいひょいと食材を出してくれた。


マンションの下には、何人かのマスコミの人や興味本位の動画配信者の人がうろうろしていて、顔が知られている僕や有栖が出ていくと質問責めになるからと、こうしてほとぼりが冷めるまで、桃が足りないものを買ってきてくれるついでに、様子を見にきてくれているのだ。


週刊誌を有栖は見せずにいられていることが、不幸中の幸いだ。

雑誌には父と有栖のことだけでなく、有栖と僕や、兄の写真も載ってしまった。もちろん一般人の僕らは黒い目線が入っているが、髪型や背格好でわかってしまう。


『華麗なる立花家の乱れた性。可憐な娘は男を狂わす魔性の女か?』


そんな見出しに、怒りでどうかなりそうだ。

有栖は被害者だ。

被害者がこんなつらい思いをしなきゃいけないことってあるのか。



「お礼がしたいというなら、ほっぺにちゅーとかでいいよ」

桃はいつもの通りにこにこしている。

「えっ!」

有栖がたじろぐ。


「こら、有栖が本気にするだろ」


「あ、竜之介もいたの?竜之介の場合は口にちゅーね」

「な……っ⁉︎」

「俺は本気だけど?」

桃はにやにやしてみせる。


「まだ下にいる?」

僕が尋ねると桃は顔を真顔に戻して頷く。

「人のことを取り立てて何が楽しいんだか」

ため息がでる。


有栖につらい思いをさせたくない。


もう充分に傷つきすぎたほどに傷ついたのに。

なんのための報道。

なぜ彼らは、こんな残酷なことを書くんだ。


「お兄さんの迅速な対応もあって、ネットのゴシップはほぼ削除される方向にあるんだけどね……」

そういう桃も法律関係の方面でいろいろ助けてくれた。役に立っていないのは僕だけだ。


有栖はずっと目をあわせてくれない。あっても、気まずくて、どちらからともなく、さっと視線をそらせてしまう。


でも想像していたより気丈に振る舞ってくれている。

有栖はやっぱり強い。



事実を知っていることと、目の当たりにすることは違う。

実際、僕だって彼女が父親に組み敷かれているらしい写真が脳裏をかすめて、神経が焼き切れそうな気持ちになる。

知っていたはずなのに。


見たことはなかったから、僕は「ちゃんと」知らないに等しかったのだ。


有栖にその気持ちすらも見透かされる気がして、僕の方まで目をあわせることを避けてしまっている気がする。



「そういう思考が有栖ちゃんを傷つけるんですけど……」


有栖がコーヒーを淹れにキッチンに立っている隙を見計らうように、桃がドーナツを咥えて近づいてくる。


「なんだよ…勝手に人の心を読むな」


僕がそういうと、彼は軽く肩をすくめた。

桃はあっけらかんとしているように見えて、人の気持ちにやたら機敏に反応する。


なぜわかった?というところまでバレているような気がして、時々裸を見られているような気持ちにすらなる。


「気づいた?」

「なにが?」


「俺が来て、有栖ちゃん、あきらかにほっとしたよね?」

「そんなこと……」

言いかけて、ちくしょう、その通りだと口をへの字につぐむ。

僕にもわかるくらい有栖は桃の登場にあからさまにほっとしていた。まるで僕との2人きりが居心地が悪いみたいに。


「そんなんでいいの?竜之介くん?ついに俺がふたりの間に入る時がきちゃったんじゃね?」

桃はちくちくと痛いところを突いてくる。


彼はドーナツをひとつ食べ終わると、

「おまえが傷ついてるみたいにするからだよ……有栖ちゃんの身になってみ? おまえの兄さん見てみろよ……ショックだったのは同じだろうに、それを全く感じさせずに有栖ちゃんに接してるじゃん…」 


「言われなくてもわかってるッ」

図星をつかれて顔がかあっと赤くなるのがわかった。

兄と比べられるのが1番嫌だ。


桃の言う通り、兄はあの写真を見る前となにも変わらない態度で有栖と接しながら、淡々とネットなどの誹謗中傷に対応している。


その中には目を覆いたくなるような言葉や悪意のある画像も含まれているのに。

有栖の幸せのためなら自我を捨てられるほどに。 


兄は完璧だ。



「ごめんごめん。竜之介があんまり気まずそうにしていたから、意地悪言いたくなっちゃって……」


桃は悪びれずペロッと舌を出す。

いい性格してるな……


でも、言われたことがみんな図星で言い返せなかった。


もっと大人の態度で動揺しないで有栖と接したい。

ベッドのなかでずっと背を向けられるなんてつらすぎる。


「なあに、リュウたちケンカしてるの?」

コーヒーをトレイにのせて有栖がキッチンから戻ってくる。


「してないよー」

桃がくったくなく笑う。


有栖も、ならいいけど……と小さく笑って、コーヒーの入ったカップをそれぞれ置いてくれた。やっぱり僕と目を合わせてはくれない。


「桃くん、私の好きなドーナツ、よく知っていたね」


「竜之介がしつこいくらい話して聞かせてくれたからね…」

桃はにこにことコーヒーを啜る。


「あ~やっぱり有栖ちゃんの淹れたコーヒーはおいしいな…俺、ここに住んじゃおうかな」

「……おまえなー」


僕が怒ろうとしても、へらっとして全く意に介さないから、怒る気力すら失せてしまう。

でも、桃が言うと冗談に聞こえなくて嫌だ。

有栖は、うふふとまんざらでもない感じで笑っている。


有栖とぎこちなくなってしまって、僕の唯一の自信が揺らいでいる。

兄にひとつだけ優っていると思っていたところ。


どんな時も有栖をリラックスさせてあげられるのは自分だと自負していたのに。


ああ、僕は嫌な奴だな……こんな時でも自分の居場所を探してる。自分が有栖に必要とされている証拠をみつけることばかり考えているんだ。

なんて情けない。


「あつッ……」

不意に有栖の小さな悲鳴が聞こえる。コーヒーカップにソーサーが、カチャンと当たる音がして、僕は我に返る。

猫舌の有栖がコーヒーで舌先を火傷したみたいだ。


「大丈夫⁈見せてみ?」

僕が咄嗟に有栖の頬に触れた途端、彼女はびくっとする。

僕自身も驚いたが、なにより有栖の方がびっくりして目を丸く見開く。


桃も僕たちを見ている。

いつもならすごく自然な僕らのなにげない動作。そんなことすらぎこちなくなってしまう。


「……有栖?」

「……あ……だ、大丈夫……」


有栖は遠慮がちに、ちろりと舌先を見せて、その舌をひっこめた。

その舌先の赤さと艶かしさにドキリとする。

自分の中の何かがざわつく感じ。


「もう…有栖はおっちょこちょいなんだから…き、気をつけなよ……」


つい、また目をそらしてしまった。  


隣で桃が呆れるように黙って頭をぐしゃぐしゃとかいている。

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