"桃"という男 《海里》
桃が有栖の恋人になってくれたら。
有栖は外の世界でも堂々と恋人と手を繋いで歩ける。
学校の送り迎えだって、兄弟がするよりずっと自然だろう。
なによりも、有栖が父親や家族のことを思い出さずに恋ができる。
明るい未来が描ける。
俺だったら。
できないことばかりだ。
竜之介はあんなふうに言っていたけど、桃にかけあってみようか。
もちろんいきなり恋人になって欲しいというわけではない。
桃は野暮じゃないし事情を知っているから、きっと有栖が本当に心をほどくまでは、男女の関係になることも待ってくれるはずだ。
竜之介の恋を潰してしまうのは申し訳ないけど、有栖には「双子の竜之介」が必要だ。鼻先をくっつけて、いつも安心していっしょに眠れるお前がいないと困るんだ。
そしていちばんいらないのが俺だ。
有栖は父との写真を記者に見せられてから、俺は、竜之介が渋川から教えてもらったマスコミの雑誌やネット記事を毎日かかすことなくチェックしていた。
万が一、万が一世の中に出回ってしまったとしても有栖にその事実が届かないようにできたなら。
俺は気がつくと、事実を隠そうとすることばかり考えている。
これって、結局やっていることは親父と一緒なんじゃないか?
洗面所の鏡で年々父親に似てくるように感じる顔つきを忌々しく眺めた。
お前はただしいことしているか。
いや、正しくなくてもいいんだ。
彼女が幸せになれるなら。
***
「むりです」
即答だった。
こんなにあっさり断られるとは思わなかった。
お昼のバーガーショップに呼びだして、桃に有栖との交際の話をしたらバッサリ切り捨てられた。
「いや、あの、…勘違いだったら申し訳ないんだけど、桃くんって有栖が好きなんだよな……」
俺は言葉に窮してしまう。
「はい、好きです。大好きです」
桃はコーラを飲み干して、まっすぐ俺を見ている。
本当に桃という奴は不思議な青年だ。金色に近いほど明るく染められた髪、右の耳に2つ、左の耳に1つごつめのピアスが鈍く光っている。
それが彼には嫌味なく似合っている。
チャラい印象でもないのは、そのやたら落ち着いたら静かな瞳のせいか。
「でも付き合うのは……」
「むりです」
「えっと、それはLoveじゃなくて like的な好きという意味だから…?」
俺の問いにすこしだけ考えてから、桃はまたきっぱり首を横に振る。
「や、Loveです。ガチで」
状況が状況とは言え、こんなにはっきり兄にあたる人間に、妹が好きと伝えられる10代も珍しい気がする。
じゃあなんで…と言いかけると桃は相変わらず俺をまっすぐ見ながら言う。
「それ…お兄さんのプラン、竜之介は反対したでしょう?」
(なぜ、わかるのだ……)
「いや、まあ……」と言葉を濁す。
「竜之介が反対したことはしないので」
「?」
すこしだけ桃は黙ったのち、やはりこちらをまっすぐ見て言う。
「オレ、竜之介がすきなんです」
「?」
「竜之介も好きなんです、ガチで。だから、片方だけとは、つきあわない」
桃は口元を拭うような仕草をして、少しだけ目を伏せた。
全く理解不能な話なのだが、彼の口から出ると、なにか腑に落ちてしまうような説得力がある。彼の正直な気持ちだからだろう。
「もともと、竜之介が好きだったんです。高二の頃から。そしたら、竜之介の目の先にいつも有栖ちゃんがいた。そういうわけです。
あのふたり、血はつながってなくても、魂はきっとひとつの双子なんです。
ふたりでひとつ。ふたりを好きになるのは止められない。でもそこから先の行動は自分で止められる。」
---好きになるのは止められない。
「とか言って、竜之介には不意打ちでチューをお見舞いしましたけど…」
初耳だ。
そこで、桃は顔をあげて、にこーっと彼特有の愛嬌の良い笑顔を見せた。
「大丈夫、有栖ちゃんには怖がることはしませんよ」
桃は俺の心を読んだようにそう言った。
「オレ、もともと、つきあうとかはいいんです。そんなんしなくても、有栖ちゃんが困っているならいつでも行きますし、竜之介が困っているならすっとんで行くので大丈夫です。」
桃はまた笑う。
俺は心を読まれたような気がして少し恥ずかしくなる。
彼と話していると、自分がどれほどこだわりに満ちたつまらない凝り固まった人間なんだろうと思う。
彼は意味のないカテゴライズや名前にはこだわらない。
どこまでも自由で正直だ。
「竜之介はしあわせだな、君みたいな人がそばにいて」
俺が言うと彼はまた笑って白い歯を見せた。
「そうかな…わからない…。ストイックなお兄さんも…オレ好きですよ、たぶんお兄さんが言うところの、like的な意味で。あまり境目とかわかりませんけど」
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