奈落に沈む君を追って⑩
文化祭まで残り一週間。学級委員長、並びに副委員長は文化祭役員も兼ねていた。定期演奏会の練習と同時平行して行われていた文化祭の準備が本格化し、
いつかのように教室で、
浮かない顔をして幾度も溜め息を吐く星羅に、紅は意を決して声を掛ける。
「……
「――え?」
一拍置いて、星羅は顔を上げた。
目の下の隈が酷い。元々色白の彼女に、青紫色の隈はかなり目立って見えた。
「ちゃんと眠れてる? 顔色が悪いよ」
「……最近ちょっと、夢見が悪いの」
「夢?」
「うん、女の子が出て来る夢。いつも同じ女の子なの。巫女みたいな格好をした」
『巫女みたいな格好』と聞き、真っ先に思い浮かんだのは
しかし、星羅は並行世界に何ら関わりのない人間である。そんな彼女が白姫の夢を見る道理など、あるだろうか。
「毎晩、毎晩、その子が耳元で囁くんだけど……その内容が怖くて」
……心霊現象の話だろうか。
ならば、いくら陰陽道を齧ったとは言えド素人の紅に出る幕はない。その筋の者に相談するなり、お祓いをするなりした方がまだ現実味がある。
幸いと言って良いのか、紅の友人である
「もしかしたら力になれるかもしれないし、僕で良かったら話してみない?」
「……心配してくれるの?」
「それはそうだよ。クラスメイトとして、椿下さんは知らない仲じゃないからね」
「クラスメイトとして……」
星羅はぽつりと呟くと、緩慢な動作で視軸を動かした。
こちらの顔色を伺うような、厭な目付きだ。星羅らしくはないそれに、紅はぼんやりとした引っ掛かりを覚える。
しかしはっきりとは言語化できない違和感に、紅は舌打ちしたくなった。
「――
「え? ……うん、観に行ったよ。学校で練習していた時よりも、ずっとずっと素敵だった」
「そう、ありがとう」
脈絡のない話題転換に出鼻を挫かれるも、紅は首肯する。
それは心からの賛辞だったのだが、星羅は素っ気なく返事をした。
彼女が求めているのは、そんな取るに足らない感想なんかではないらしい。
「親戚の女の子も、楽しんでくれた?」
「ごめん、
「……」
彩美の名前を出すと黙り込んだ星羅に、おやと首を傾げる。
律儀な彼女らしからぬ態度だ。寝不足と疲労が祟っているのだろうか。
「星羅さん、本当に大丈夫? 残りは僕がやっておくから――」
「喜多見城君」
星羅が暗く、硬い声音で紅の言葉を遮る。
言い様のない圧を感じ、紅は反射的に口を閉ざしていた。
「――喜多見城君は、
内容に反し、恋愛話をしている時特有の秘めやかさはない。
まるで尋問めいていて、紅は渇き切った口内に有りもしない唾液を嚥下しようと喘ぐ。微かに洩れた息が、ひゅっと小さく音を立てた。
いつまでも無言を貫く紅に星羅が納得したように頷くと、一人芝居のように語り出す。
「そうなんだ、そうなのね。……そう、そうなんだ。あの女の子が言っていたことは本当だったのね。馬鹿みたい。現実を見ていなかった、いいえ。見たくなかっただけ。いつまでも良い人ぶっていたんじゃ、何の意味もないのに。あの女の子の言う通り、待っているだけじゃ駄目なんだわ。自分から動かなきゃ、何も手に入らない。……そういえば、何もかもそうよね。部活だって先輩や同級生を蹴落として、やりたい楽器やパートを選んだんだもの。最初からそう。最初からそうだったんだわ。それがへい――」
つらつらと続く早口の長口上に、紅は堪らず星羅の腕を掴んで意識をこちらへと向けさせた。
星羅は夢から覚めたようにはっと顔を上げ、顔を赤らめながら紅と掴まれている己の腕とを交互に見やる。その表情に、先程までの危うさは見当たらない。
(さっきのは何だ。無意識の行動? それとも、並行世界が関わっているのか?)
(――どちらにせよ、異常だ)
「あの、喜多見城君……? どうしたの? 私、何かした?」
「――あ、ううん。その……そこの段、数字が間違ってるんじゃないかなと思って」
「え。……あっ、本当だ。ありがとう、このまま提出してたら、間違った数で発注される所だったわ」
紅は何とか上手い言い訳を考えて取り繕い、星羅の腕から手を離す。
シャープペンシルを動かし、数字を訂正する星羅は至っていつも通りの様子だ。その余りの普通さが、却って彼女の異変を際立たせていた。
「……大丈夫、椿下さん?」
「――ええ。大丈夫よ、ちょっと疲れてるだけだから……問題が解決すれば、直ぐに良くなるわ。心配してくれてありがとう、喜多見城君」
口角の角度をミリ単位で調整したかのように完璧な微笑を貼り付けた星羅に、紅はそれ以上言葉を紡ぐことができなかった。
――思えば。この時何がなんでも踏み込んでいれば、三万回もの世界を繰り返さずとも、良かったのかもしれないが。
終わってしまった今となっては、後の祭りだ。
祭りと言えば、この世界の彩美と交わした『来年の夏祭りで灯篭流しを見る』という約束は――結局、果たすことが叶わなかった。
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