奈落に沈む君を追って⑧

 山吹やまぶきの存在は、くれないにとって良いライバル的存在になった。

 彼に負けたくない一心で、正直家業とは言え眉唾物だと疑っていなかった陰陽道について父から教えを乞うたし、本を読むだけではなく休日には走り込みなんかもした。

 筋肉を増やすための食育は……お察しして欲しい。



「――吾妻屋あづまや君!」



「チッ……! 人をいいように使うんじゃねぇ!」



 白姫しろひめから授かった能力『因廻いんね』を用い、彩美あやみを狙った敵の攻撃を無理矢理己に引き寄せる。

 紅の傍に偶々山吹が居合わせていたため、彼の能力『刹羅せつら』に後を任せることにした。

『刹羅』は紅達の中で唯一、並行世界の相手に物理的に対抗できる力だ。


 彼は紅からの皮肉を受けて、より一層精密な武器を創造するために、図書室や町の図書館に通い詰めたらしい。ちなみにこれは、難原なんばら兄妹からの情報である。

 だからなのか、山吹は以前の大剣なんかとは比べ物にならない位に、安定した武器を創れるようになっていた。


 それでも色々と限界はあるのか、頭で思い浮かべるには構造が難しい銃やクロスボウといったものよりは、ナイフや剣を創造する傾向が高い。

 本人曰く「戦闘中、武器の構造なんて難しいことを考えている暇がない」とのことだった。


 山吹は創り出したシャムシールにも似た剣で、放たれたクナイを弾いた。

 何故湾曲刀なのかと尋ねたら「格好良いじゃん」という斜め上の答えが返って来たため、紅は曖昧に頷くだけに留めておいた。

 それは兎も角、山吹の運動神経は群を抜いている。そこに於いては頼もしい限りだ。


 攻撃を弾かれたことに、山吹と対峙する女子生徒が一瞬動きを止めた。

 それはほんの少しの隙だったが、目敏い難原兄妹が見過ごすはずもない。



「今だ、『みこと』」



「合わせろ、『田彦たひこ』」



 現れたのは狐の耳と尾を持つ男女。

 息の合った彼等の連携に、女子生徒を中心として炎が爆発的に膨れ上がった。

 見た目こそ派手だが、これが幻だということは既に承知している。


 だが知っていたとしても――炎は恐ろしい。


 襲い来る熱波に、紅は反射的に腕で顔を覆った。

 目蓋の裏でチカチカと瞬く光がようやく収まると、紅は腕を下ろした。

 目を開けたそこに、傷一つない女子生徒がうつ伏せに倒れている。

 すると彼女の姿が一瞬揺らめき、徐々にその輪郭を曖昧にしていく。最終的に、女子生徒の姿はものの数秒で見えなくなった。



「――喜多見城きたみしろ君。『因廻』の使い方の幅が広がっていますね。吾妻屋君達との連携も、以前より自然です」



 女子生徒の姿が消失したのを認めると、彩美が口を開く。

 相変わらず淡々とした口調ながらも、どこか軟らかな響きを持つそれに、紅は頬が緩みそうになるのを何とか耐えた。



「――僕だって、吾妻屋君や難原君達に守られているだけじゃない。それを証明しないとね」



「まさか現実で陰陽師の技が見られるとは、思ってもなかったよな~」



 意気込む紅に、むらさきのからかい交じりの合いの手が入る。

 妹に同意しつつ、あおが「俺としては吾妻屋がここまで『刹羅』を使いこなせるようになるとは、思ってもなかったな」と、学ランの乱れを直しながら言った。



「……俺だって、やるときゃやるよ」



「そうですね。吾妻屋君はそういう人です。私は貴方のそんな一面を、信頼しています」



 口を尖らせて反論する山吹に、彩美がさらりと言った。

 無表情で告げられるそれに、山吹は口元をへの字に歪める。照れ臭いのだろう。


 ――全て順調。

 そう言って差し支えのない日々だった。怖い位に。






 彩美達と共に過ごす時間が片手の指どころか、両手両足の指でも足りなくなったある日のことだ。

 いつかのように、紅は学級委員長である椿下つばきした 星羅せいらの手伝いをしていた。



「――喜多見城君、最近お昼休みになっても図書室にいないことが多いね。クラスの人達が不思議がってたよ」



 学級活動の内容を日誌に纏めていた星羅が、思い立ったように口にした。



「そう……かもしれないね。最近、吾妻屋君達と屋上で過ごすことが増えたから」



「吾妻屋君って……隣のクラスの? 何か、意外だわ。彼、喜多見城君とは全然タイプが違うじゃない?」



「まあ……どう頑張っても不良にしか見えないしね、吾妻屋君」



 本人が目の前にいたら殴られそうな感想を洩らし、紅は手を止めた。


 二行前の文章に誤字がある。


 紅は机の上にざっと視線を向けた。

 目立つ青色のパッケージに包まれた消しゴムの姿がどこにもない。ペンケースの中だろうか。



「彼って確か難原さん達兄妹や、同じクラスの門螺かどにしさんとも仲が良かったよね。門螺さんって少し気難しそうなイメージがあったから、クラスメイトの吾妻屋君は兎も角、難原さん達とも仲が良いのはちょっと意外だったんだ」



「気難しいと言うよりは……表情が顔に出にくいだけかもしれないな。話してみると結構面白いよ、彩美さん」



 無表情がデフォルトの彩美を思い浮かべつつ、紅はペンケースを漁る。

 星羅がピクリと眉を上げて唇を噛み締めたが、俯いて消しゴムを探していた紅は、彼女の表情の変化に気が付かなかった。



「……私のことは名字なのに」



「――ん、何か言った? 椿下さん」



「ううん。……あと少しだから、終わらせちゃいましょう」



 紅は星羅に同意すると、誤字を訂正した。

 二人は日誌を十分と掛からずに纏め終え、そそくさと帰り支度を始める。星羅は相変わらず部活が忙しいようで、ちらちらと時計を気にしていた。



「……よし。じゃあ椿下さん、また明日」



「あ。待って、喜多見城君」



 紅を呼び止めた星羅の手には、何かのチケットが二枚握られていた。



「これ、来週の定期演奏会のチケット。喜多見城君、深冬みふゆ中に親戚の女の子がいるって話してたよね? 良かったら、その子と一緒に観に来てよ」



「……もしかして、吹奏楽部への勧誘も含んでる?」



「勿論!」



 いっそ清々しく言い放った星羅は、問答無用で紅の手にチケットを握らせた。



「詳しくはその裏に書いてあるから。じゃあ、また明日ね」



 断られないようにか、星羅は足早に去って行った。

 その強引さに苦笑しつつ、チケットの裏面を眺める。日付が目に止まると、紅は「そう言えば……」と独白する。


 この日、赤音あかねは部活帰りに友達と遊んで来ると言っていなかったか。


 定期演奏会の開演は十四時からだ。

 紅の記憶が定かならば来週のこの時間、赤音は友人達と遊んでいる真っ最中だろう。

 聞くだけ聞いてみるかと、忘れない内にスマートフォンのメッセージアプリで連絡を入れておく。

 紅は貰ったチケットを失くさないよう財布にしまうと、教室を後にした。











「……やっぱりか」



 帰宅すると、スマートフォンに赤音からの返信が入っていた。

 紅の記憶通り、友達との約束があるので行けないという答えだった。赤音が気に病まないよう言葉を選びながら、メッセージに加えてスタンプを送る。



「どうしようかな、このチケット……」



 難原兄妹にあげようか。丁度二枚だし。


 妙案が浮かぶも、紅はしかしと思い直す。

 これをくれた星羅の気持ちを考えると、横流しは行かないという選択肢よりも非道なように思える。


 ならば山吹――と彼の顔を思い浮かべ、即座に掻き消した。

 何が嬉しくて、男二人音楽鑑賞に行かなければならないのか。


 最後に浮かぶのは――否。敢えて思い浮かべないようにしていた彩美の顔が浮んだ。



「……聞くだけ聞いてみようかな」



 音楽鑑賞など興味もなさそうだが……万が一もある。

 断られたらそれまでだ。紅は「よし!」と一人気合いを入れると、メッセージアプリの表示を赤音から彩美に切り替えた。

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