奈落に沈む君を追って⑥
「『どうか生きて、見届けて下さい』か……まるで、僕が一度死んだことがあるような言い方だったな」
バス停に向かう道すがら頭を巡らせるが、思考が行き着く先は
並行世界や彼等について、疑問を解消するつもりが更に謎を呼んでしまった。
考え事に囚われてゆっくりとした歩みになっていたのか、時刻表を確認するとこの時間唯一のバスは、つい先程出発してしまったらしい。次のバスまで一時間はある。
仕方ない。バス停のベンチに座って読書でもするか。
ここは深冬黎明高校に通う大半の生徒の通学路となっているため多少、いやかなり気不味いが背に腹は変えられない。
紅はペンキの剥げが目立つベンチに腰掛け、リュックサックからブックカバーのかけられた本を取り出した。
一文一文を目で追っていく毎に、どんどんこの本の世界に深く入り込んでいくのを感じる。
自身の身体を構成するものがまるで文字の羅列であるかのように、世界観へと没入する。
帰宅する生徒達の話し声、通りかかる車のエンジン音、部活動に精を出す生徒達の掛け声……周りの音が全て遠ざかり、紅一人が世界に取り残されたかのような静寂に包まれる。
「――あ、
紅の静謐を破ったのは、明るい少女の声だった。
浸っていた本の世界から無理矢理引き摺り出され、紅はまさに飛び上がった。
「
「固いなぁ、呼び捨てで良いよ」
「そういう訳には……」
青の鋭い眼光から目を逸らしつつ、閉じた本を膝上に置いた。
紫が、ベンチにドカッと腰を下ろす。彼女の距離の詰め方は独特で、今まで紅の周りにはいなかったタイプだ。
紅は尻をもぞつかせて紫から心持ち距離を取ると、ベンチには座らずに立ちぼうけしている青に尋ねた。
「二人は、家がこっちの方なの?」
「いや、正反対だよ。紫がメンチカツが食べたいって騒ぐから、
「ああ。あそこのメンチカツ、美味しいよね」
「スーパーの方が近いんだけどね。それとはまた違うだろ?」
青の言い分に頷く。メンチカツを思い浮かべたら、少々小腹が空いた。
しかし今胃にものを入れてしまうと、晩御飯が食べられなくなる。
それでは父と紅の少食を改善しようと、日々の料理に精を出す母に申し訳ない。
「……良かったら、俺と半分こする?」
「え」
紫に近付く
彼は目を丸くする紅に苦笑すると、あっけらかんと「気にしなくて良いよ。……紫に立つフラグは余すことなく折るのが、俺の主義だからね」と述べた。
青の説明はよく理解できなかったが、メンチカツが食べたいのは事実であるので、紅は有り難く彼の提案に乗ることにした。
よく解らない面子で、河本精肉店を目指す。
店内は狭いため紫だけで買いに行くよう、青が言葉巧みに促した。彼女は兄の言葉に素直に頷き、店の中へと入って行く。
顔見知りなのか、紫は女将と親しそうに笑い合っている。……いや。たとえ初対面だろうと、彼女ならば持ち前のコミュニケーション能力で、誰とでも仲良く話せるだろう。
「……君、昼休みに
唐突にその話題に触られ、紅は言葉に詰まる。
黙り込む紅に、青は可笑しそうに笑った。
「君は少し、自己評価が低い嫌いがあるな。紫程じゃないが君も顔はそこそこ良いんだから、目立っているという自覚を持った方が良い。
「………」
だろうな、と頭の片隅で独り言ちる。
彩美を呼び出した時の山吹の苦々しい顔を思い出し、紅は少しだけ晴れやかな気持ちになった。
「――紫さんと青君は、どういう経緯で彩美さんと……並行世界と関わることになったの?」
「俺達は門螺さんに乞われたんだ。『どうか力を貸して欲しい』って。吾妻屋も同じだよ」
「君達でなければいけない理由が、何かあったのかな?」
「さあ、どうだろう。ただ彼女は初対面であるはずの俺達のことを、よく知っているような口振りだった。初めから俺達に頼むのは、決まっていたようにも思える」
「ふうん……」
難原兄妹と
反対に、紅のことは関わらせたくはなかった。
その違いは何だというのだろう。
彩美が、初対面の彼等に力添えを頼んだということも引っ掛かる。
それも踏まえると、あの『
そして昼休みの話と照らし合わせてみれば――自ずと答えは出るような気もした。
「――お待たせ、買って来たぞ!」
思考の海に踏み入ろうとした所で、紫の快活な声と、彼女な持つ紙包みから漂う揚げ物の良い匂いに、紅の頭脳は呆気なく食欲に負けた。
紫の手からメンチカツを受け取ると、青が紙包みの中で器用にそれを半分にした。
紅は学ランのポケットからポケットティッシュを取り出し、差し出された半分のメンチカツをティッシュ越しに掴み上げる。
「うんまぁ~」
既にメンチカツを頬張っていた紫が、満面の笑みを浮かべた。
洩らした感嘆の声の端々からも、幸福感が強く伝わってくる。
彼女の笑顔を見ていると更に空腹を覚え、紅は釣られるようにメンチカツに食らい付いていた。
サクサクの衣の食感と、口内に溢れ出した肉汁の甘さが絡み合って最高だ。適度な塩気が、疲れた身体に沁みる。
「やっぱり、ここのメンチカツが美味しいよね」
青が唇を綻ばせながら、穏やかな口調で言った。
彼はあっという間にメンチカツを平らげる紫の様を、温かい瞳で見守っている。
「今度は、彩美と吾妻屋も誘おう!」
口回りを衣の油分でテラテラに輝かせた紫が、それに負けない輝かしい微笑みで言うのに、紅は苦笑しつつ「紫さん、口元拭いた方が良いよ」と告げた。
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