第28話 女神 ケーオ・フィラメント 4

 


 黒瀬は、その日が来ることを、ひそかにだが恐れていた。

 誰にも言わなかった、鈴蘭かすみにすら言わなかったが、この状況を恐れていた。

 その日がいつか来ることを、恐れていた。


 黒瀬カゲヒサは、轢殺を目論む女神たちを何度も出し抜いてきた。

 黒瀬だけでも回避逃亡のスキルは高かった。

 さらには協力者の鈴蘭かすみもいる。

彼女は常に黒瀬を手伝ってはいないものの、それでも味方として、長い付き合いの人間がいる。

 これでは完璧で盤石。

 

 女神との勝敗———と呼ぶべきかわからないが、日々の逃避行、勝率としても、今までは100パーセントを保ってきた。

 幾度も干戈かんかまじえ、その全てから逃げ切った。

 女神からの攻撃を、傍から見れば不審者から見れば、華麗に回避する日々を送った―———。


 視界に飛び込んできたあの制服―――見覚えがある、良くある紺色ブレザー。

 見覚えどころではない―――天瀬井高校ウチの、女子生徒!

 


 トラックのサイド・パネルに削り走られ、破砕するブロック塀。

 それを背に飛ぶ黒瀬は―――!


「……ッ!」


 まずワイヤーをその方向の電柱に射出。

 腕を硬直させ、張力をすべて使う。

 全身を前進———吹っ飛ばし加速する。

 両足の底からぴんと背筋を伸ばして―――間に合え!

 持っていた学生カバンを宙に置き去りにして、少しでもスピードを上げようとする。


 勢力均衡とはいかない。

 ここで問題なのは、敵はなにも、黒瀬カゲヒサだけを狙っているわけではないのだ。


 


 黒瀬は一瞬、とあるシーンを連想した。

 サッカーボールで遊ぶ小さな子供。

 ボールが脇に転がり、追いかけて道路に飛び出した―――。

 たっ、たっ、たっ。

 地面に視線を注いでいるが、車が迫ってきている、驚愕するドライバー。

 悲劇的な結末を、秒で脳裏に描くと、ハンドルを握り締めて肝を冷やす。


 ―――そんなシーン。

 女子生徒が小柄なことが、さらにその想いを強めた。

 


 女神も黒瀬の行動が変化したことに気づきはじめる。




 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆




 ケーオは静かに驚いていた。流石に目を丸くしていた。

 凶悪な女神、人の命を命とも思わない女神、であるように見えたが、高速で逃げる獲物である黒瀬の行動に、注目と驚き。

 

 内心———、内心だが黒瀬にしてやられると思ったのだ。

 S級の転生抵抗者を初見で始末できるとは思わない

 勝てないかも、という場合を想定していなかったと言えば、嘘になる。

 神とは言えども。


 少年が、トラックの進行方向に移動していく。

 


 女神は人間同士のそういった繋がりに疎かった。

 そのため、思い至るのに時間は要した。

 人は、人を守る―――良識。

 人間同士ならば、特別な友好関係以外でもままある常識的な行動だろう。 


 しかし黒瀬カゲヒサがそういった選択をするとは、想定できず。

 鳥のように低空を飛行する黒瀬。

 炎上しながら走行するトラック―――そのの目と鼻の先に向かい、吸い込まれるようにく。


 えっ、まさか―――黒瀬カゲヒサ、お前、まさか。

 こんなにも、呆気なく?


 炎上髪の女神は呆けた―――、ずいぶん間の抜けた表情になっていることが自分でもわかる。

 今日はあの人間に逃げきられると思っていたのだ。

 逃げ足は最上級の獲物。

 しかし馬鹿な、命が惜しくないのか。

 今まであれだけ抵抗しておいて。

 女神こっちが異世界転生を諦めない、止めることが出来ない事情までもが、全てではないが―――伝わったのに。

 完全に敵になったのに。

 冠位長カリヤの手紙の時点で、ほぼその旨は伝わっていたといえるが。


 誰かが引かれそうになっている。トラックの、進路上にその女子がいる。

 クラスメイトだ、トラックに気づいていて、気づいているようにも見えるが、反応までは出来ないのだろう、振り返らない。


 黒瀬は恐れていた。

 女神からの逃走中。

 別の生徒が襲われることを。



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