第243話 フォン・ド・ヴォー

 243 フォン・ド・ヴォー

 

 顔を洗って戻るとフェルがちょうど起きたところだった。

 先に部屋で着替えてからフェルは顔を洗いに行った。


 肌寒い領都の街を歩き、市場に向かう。

 なるべく今日は買いすぎないようにしよう。昨日はちょっと調子に乗っていっぱい買いすぎた。


 おっちゃんの魚屋で店に並んだ魚を見ていく。

 領都に来て思いつく限り食べたかったものは作れた気がする。もう一回同じものを作ってもいいけど、何か変わったものも作りたい。


 鮭だったら……、ムニエル?バター焼き?なんか工夫がないな。美味しそうだけど、今日は白身の魚で油が乗ってるのがいいな。

 鯖なんてどうだろう。


「おっちゃん、鯖はどう?」


「いいのがあるぜ。結構でかいが、どのくらい必要だ?」


 おっちゃんが手で鯖の大きさを教えてくれる。けっこう大きいな。

 おっちゃんが1匹保冷庫から持って来てくれる。だいたい50センチくらいの立派な鯖だった。ここまで大きい魚は捌いたことがないかも。


「3尾ちょうだい。それでさ、おっちゃん。このくらい大きい魚を捌くのが自信がないんだ。少し教えてもらってもいいかな」


「いいぜ、教えてやっからこっちに回って来いよ」


 おっちゃんは空いてる作業台を指さしてそこを使えと言ってくれた。


 俺が1尾捌いてやるからそれで見て覚えろと、おっちゃんが僕の向かい側に立つ。

 忙しいのにごめんと謝ると、おっちゃんは笑いながら答えた。


「なに、別にかまわねーよ。にいちゃんは包丁が出来るし、そんなに教えるのは手間じゃねえから問題ないぜ。注文によってはこの場で捌いて渡すこともあるからな、まあ、教えがいがあまりねーのが、つまんねーところではあるがな」


 そう言っておっちゃんは大きな口を開けてガハガハと笑う。

 その様子は懐かしい誰かに似てるような気がした。


 おっちゃんは鯖をまな板に置いて流れるような手付きで包丁で捌いていく。すごい。包丁の動きがとても綺麗だ。あっという間に頭を落としてしまう。


「いいか?この辺りまではだいたいどの魚も一緒だ。違うとすればここからだな。いいか、でかい魚になればなるほどどうしても骨が反っちまう。包丁に少しでも引っ掛かりを感じたなら刃先を上の方に押し上げながら包丁を引くんだ」


 なるほど。平らにに置いたつもりでも、大きくて身幅がある魚はどうしても山型に反ってしまう。

 おっちゃんの向かいで作業を始める。

 おっちゃんほど流れるように頭を落とすことはできないけど、実際やってみたらおっちゃんの言ってることがわかった。


「良いぜ。だがちょっと包丁を細かく動かしすぎだな。髭を剃るみたいな感じだ。もっと包丁の刃を長く使ったほうが身が綺麗に外せるぞ」


 僕は髭を剃らないからわからないけど、おっちゃんが言おうとしてることはなんとなくわかる。


「終わったらそこの氷を入れて持ってって良いぜ。片付けはあとでやっとくから」


 そう言われて慌てておっちゃんにお金を

払う。


「忘れてたぜ。ありがとな」


 そう言っておっちゃんはまたガハガハと笑った。


 そのあとでセシル婆さんの八百屋でいろいろと野菜を買い足す。

 今日もそら豆がいいとセシル婆さんが言う。昨日と同じ分だけ買った。


 セシル婆さんのところではキノコは扱っていなかったからいい店を教えてもらって買いに行った。

 こっちではあまり乾燥したキノコは売ってないみたいだ。

 セシル婆さんから教えてもらったと店の人に言うとそれなら半端なものは出せないなと店の人が笑って言う。

 いいキノコの見分け方を教えてもらいながら欲しい分を買うことができた。


 宿に戻って部屋に行くとちょうどフェルがシャワーから浴びて出てきたところだった。

 髪を乾かしてあげて食堂に向かう。


 同じ宿だと聞いていたけれど3男の姿は見えなかった。

 どうせ二日酔いだろう。気にしないことにした。

 そういえばなんか渡すものがあるとか言ってなかったっけ?まあいいか、今夜にでも会えるだろ。


 肉屋とパン屋で仕入れを済ませ、先に行ったフェルのところに急ぐ。

 走って追いかけたら途中で合流できた。


 仲良く今日も広場まで歩いて屋台の準備を始める。

 そういえばこんなに外で料理をするのも久しぶりだ。

 前は半年くらいずっと外で寝泊まりしてたのに。

 

 顔を上げるとフェルと目が合う。

 フェルも同じことを考えてたのだろうか。同じだったらいいな。

 

 2人とも同じタイミングで笑顔になる。


 屋台の料理を仕込むついでに今日の宴会用の料理も仕込んでしまう。

 小熊亭の料理を出そうと決めたからか、ほとんど王都の店でやっていた仕事と変わらなくなってしまった。


「ケイ、どうした?」


 少しニヤニヤしている僕を見てフェルが声をかけてくる。


「ここはもう小熊亭の領都の支店だからな。そうなるのも当然だ」


 僕の気持ちを素直に話したらフェルが笑ってそう言った。


 魔道コンロで昨日から仕込んでいるデミグラスソースは広場に着いた時からずっと煮込んでいる。

 煮立たせてしまうと味が濁るので火加減を気をつける必要がある。

 このまま夕方まで煮込めばいいだろう。


 デミグラスソースは「フォン」という獣肉からとった出汁をベースに作る。

 最初にとった出汁を1番フォン、その出し殻をもう一度煮込んでとる出汁を2番フォン。その2つを合わせて味のベースを作る。継ぎ足しで作る場合はもう少し簡略化して出来るのだけど最初はこの2つの出汁をしっかりととることから始まる。


 いわゆるフォン・ド・ヴォーというのは子牛の骨や筋肉からとる出汁のことだ。だけどコストがかかりすぎるから小熊亭では成牛の骨も使う。そうなると別の呼び方になるのだけどそういう細かいことは置いといて。


 それぞれの「フォン」はだいたい2日くらい煮込んで作る。師匠は1日煮込んだら保冷庫に一度入れて次の日にまた煮込んでいたけど今回は保温の箱を使って時間を短縮してみた。少し出汁のとりかたが繊細な2番フォンじゃないから多分大丈夫だと思う。


 そのうちガンツにデミグラスソース用の保温箱を作ってもらおうかな。1人でお店をやるとしたならとてもじゃないけど師匠とおんなじやり方は出来ない。

 今回は量が少なめでやっているから持ってる保温箱が使えるけれど。


 小熊亭の味にちゃんととなるかどうかは少し自信はないけれど作り方はとにかく師匠に叩き込まれている。

 領都の人たちにこの小熊亭の味を楽しんでもらいたいな。もともとはこの街で生まれた味なのだから。


 屋台の営業にもだいぶ慣れてきた。忙しいと言っても小熊亭の通常営業に比べたらそこまでたいしたことがないことに気づいた。

 

 だってメニューがひとつだけなんだもの。普段から店でやってることより作業は単純だ。


 それに僕の手が回らないところはフェルがフォローしてくれてる。

 フェルが注文をとってパンと野菜の準備をしてくれるから、僕の作業はほとんどハンバーグを焼いて挟めるだけになっている。

 出来上がったハンバーガーはフェルが油紙に包んで待っているお客さんに渡してくれる。

 僕の作業に合わせて動いてくれるから初日と比べて僕もかなりやりやすい。


 開店して1週間。何度か買いに来てくれる常連さんも出来た。

 王都のお店の話とかをハンバーグを焼きながらお客さんにする余裕もある。

 中には店に配達してくれないかという大口のお客さんもいたけど人手が足りないからできないと断った。そのお客さんは残念そうにしていたけど僕たちの様子を見たら無理を言って悪かったと素直に順番を待ってくれた。


 そろそろ3時になる頃、パンの在庫を数えようとしていたら店の方に走ってくる集団がいる。

 

 あれは……シド?

 久しぶりに気配察知のスキルを展開する。少し頭がクラクラした。

 あー、あれはやっぱり希望の風の皆さんだ。少し遅れてジンさんが一生懸命走ってる。そんなに急いでどうしたんだろ。


「ケイ!まだハンバーガーは残ってるか?」


「どうしたのシド、みんなも。まだあるよ。とりあえず注文はそこの列に並んでくれる?」


「売り切れてるかもしれないと思って急いで来たんだ。1人2個でも大丈夫か?」


「大丈夫だけどさ、とりあえずちょっと落ち着きなよ」


 フェルが麦茶を持ってきた。それを飲んでいる間に並んでるお客さんの注文をとる。

 ジンさんは店に着くとその場に座り込んでしまった。装備を着てここまで全力疾走?ジンさんの装備ちょっと重たそうだしっていうか、一体何があったの?


「まだやってて良かったぜ。この1週間、ロクな飯を食ってねーからお前の屋台に行きたくってな、あのオークの砦から走ってきたんだぜ」


 シド、何やってんの?けっこう距離あるよね、あそこから。


「まだ在庫はあるからさ、店の裏で休みなよ。なんかみんなボロボロだよ?怪我してない?どうしたらそうなっちゃうの?ポーション飲む?」


 疲労困憊のジンさんが顔を上げる。


「コイツらがケイの屋台の料理を食いたいって言い出してな。走ればまだ間に合うかもっ……」


 そう言ってジンさんが咳き込む。

 

 どうした。本当に大丈夫なのか?


 ひと通りゲハゲハ咳き込んだジンさんが立ち上がり、何事もなかったように話し出す。

 取り繕い方がだいぶカッコ悪いけどとりあえずそこは無視することにした。


「悪いな、騒がせちまって。この1週間あのオークの砦を中心にゴブリンの集落を潰して回ってたんだが……その、飯がな、干し肉とパンとスープだけだったから流石に俺たちも限界だったんだ。今から走ればケイの屋台がやってるだろって思って……依頼はまだ途中だったがとりあえずいそいで帰ってきたんだ……1人……2個づつか?お前らどうする?」


 希望の風のメンバーがジンさんに頷く。


「お腹空いてるの?そしたらさ、もうすぐ営業が終わるから銅貨3枚くれたら適当に料理作って出すからそうしたら?」


「ん?どういうことだ?まだハンバーガーはあるんだよな?」


 戸惑っているジンさんにいつの間にか来ていたザックが少しドヤッとした顔で僕に変わって説明してくれた。

 いつの間にか店の裏に出来た飲食スペースに希望の風のみんなが案内される。

 とりあえずザックに任せてメンバーには1個ずつハンバーガーを作ることにした。

 

「ケイー!まだ料理は残ってるー?ベンは3個食べるって言っていますが」


 明るい声で声をかけてくれたのは「野うさぎ」こと、騎士団のリサさん。

 顔をあげたらマルスさんたち討伐メンバーの姿が見える。


「辺境伯様が特別に休みをくれてな、せっかくだからみんなで君の屋台の料理を食べに来たんだ」


 平民のような普段着でマルスさんが笑顔で話しかけてくる。

 リサさんは少しおしゃれな洋服を着てる。少し子供っぽいけど女の子らしさが感じられる可愛い服装だった。

 遠くにやたら筋肉質の男の人が見える。たぶんベンさんかな。鎧を着てないと別人みたいだ。

 3個食べたい。そう言って3本の指を食べてベンさんは真っ直ぐ僕を見る。ベンさんはハンバーガーも飲み物だと思っているのだろうか。

 まあいいか。営業後に試作の料理を出すことを説明して注文を受けた。


 いつの間にか店の裏にはけっこうな人数が集まってる。

 騎士の人たちもいるから怒られることはないかもな。


 フォン・ド・ヴォー。


 子牛でとった出汁のことだ。


 子牛でとろうが何でとろうが、鍋に入れるものは全て美味しく作るためには欠かせない物だ。

 いろんな個性を持つ食材を煮込んで作るその出汁はいろんな美味しい料理に変化する。


 炊き出しをしていたという師匠はこの街でどんなことを考えながら料理を作っていたのか。


 みんな笑顔で僕の料理を食べてくれている。隣では楽しそうに僕を手伝ってくれているフェルがいる。

 

 楽しそうにハンバーガーにかぶりつくみんなを横目で見ながら残りの注文を捌いていった。

 

 


 


  


 

 



 


 

 

 

 

 


 

 


 


 

 

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