第235話 ちびちびと
235 ちびちびと
僕が生姜の使い方を悩んでいることを話すとスティーブさんも僕と同じことを考えていたみたいだった。
もっと生姜の風味を強く出すために後から生姜を足した方がいいと思うけれど、最初にお米と一緒に炊き込んだのは良いと思うとスティーブさんも言ってくれた。
そして食感を邪魔しないようにすりおろして少し入れるのはどうかとスティーブさんが提案してくれる。
なるほど。すりおろすのは頭になかった。
チューブに入ったすりおろした生姜を思い出した。あれけっこう便利だったもんな。
手を抜くわけではないけれど生の生姜を使うより良い場合もあったし。
ちょっとした隠し味に使いたい時など重宝してた。
「とりあえず後から風味を足すのはいろいろ出来上がってから試してみてもいいんじゃないか?それから出汁の取り方については私も少し思うところがある。魚のアラは少し炙ったのだろう?今日は私のやり方を教えるからそれで一度やってみよう」
スティーブさんから鯛の捌き方、美味しい部分の説明を受けながら鯛を捌く。
いつの間にか厨房のみんなが真剣にスティーブさんの説明を聞いている。
フェルはその様子を静かに見つめていた。
あとで厨房の人に聞いたらあんな風にスティーブさんの手解きを受ける機会は滅多にないのだそうだ。
みんな集中してスティーブさんの説明を熱心に聞いていた。
骨周りの身はスプーンで掻き出して炊き込む時に身と一緒に入れる。骨周りの身はよく動くところだからその分滋養が多く含まれているらしい。この美味しい部分は大事に使った方がいいそうだ。
残った骨は本当に軽く炙る。少し香ばしくなるくらいでいいとスティーブさんが言う。カラッと油で揚げるとおつまみとして最高に美味しいらしいのだけど、それ以上に骨の芯から出る旨みをスープに活かす方がいいそうだ。
前に食べた魚の煮込みはこの骨で煮込むスープの出汁をとっていたらしい。
つまりあの料理で使っていた鯛は1尾だけではなかったということだ。別の料理で使った鯛の骨で出汁をあらかじめとっておいて、そしてその出汁で1匹丸ごと煮込むのだ。
目から鯛の鱗のようなものが剥がれ落ちていくのを感じる。
そうか。何でかわからないけど魚の料理は1尾で完結しようと勝手に思ってた。
そういう調理の仕方に疑問も思わずやっていたような気がする。
魚の骨は炙りすぎると旨みも逃げていくそうで火の加減、香りとそして骨の焦げ具合は見て覚えろとスティーブさんが言う。
そしてスティーブさんは料理とは全てが下準備で決まると僕に話す。
魚は肉に比べると特にクセが強い。良いところだけ切り取って調理するよりその魚の全てを引き出すように作るのだと言う。
貴重な食材を余すところなく料理するためにこういう考え方は大事なことなんだと言う。
これは王都の料理人が肉料理でよくやる足し算引き算とはまた少し違う考え方なんだとスティーブさんが教えてくれた。
話を聞いていて感じたのは野菜の味を引き出すことに似ているってことだった。
それぞれに火の通り方の違う野菜はときには別の鍋で茹でたりもする。茹でるときにこの野菜は塩を効かせた煮汁で長めに煮込んだり、湯通しするだけにしたり。
炊き合わせってほどでもないちょっとした工夫だけど。
食材の持っている美味しさを最大限に引き出す。そのためにどうするか。どういう下準備をするのか。スティーブさんはそう言っている。
思わずなるほどと思ってしまった。
「調理しながらあれこれ足したり引いたりと食材をいじるのではなくて、素材の美味さをより引き出すためにどうしたら良いか
準備の時から考えるんだ」
スティーブさんはそう僕に話してくれた。
スティーブさんはこの考え方は獣肉や野菜にも当てはめられると言う。それを聞いた僕が僕が悩んだ顔をしているとスティーブさんが笑って言う。
「ケイくんはスープを子供の頃からずっと作ってきたんだろ?入れ込む食材の順番とか自分なりに深く考えてやってきたのは君のやり方を見てるとよくわかる。そう難しく考えなくて良いんだ。この方が美味しい。そう君は考えて今まで作ってきたはずだ。君が感じたそのやり方をもう少し広げて考えれば良いだけなんだよ。食材の持っているものを調理で充分に引き出す。だけどそれ以外にもできることがあるんだ。下準備で美味しさを引き出した食材を、料理というものに変えていく作業。料理人とはそれをひたすら追求する仕事なんだ」
そしてその道に正解はない。そう言ってスティーブさんが笑う。
「良い食材を使えば美味しい料理ができるんだ。当たり前のことだけどね。でも良い食材の良いところを全て引き出していると言えるかい?良い素材を良い状態で調理する。ケイくん、もうわかるよね?だから僕たちは下準備に手間をかけるんだ。そうすることでもっと美味しいものになるって知っているから」
意識してそうしていたかと聞かれるとよくわからない。食材に下味をつける、それ以外にもできることをひたすら探してやるのだとスティーブさんが言う。
そう思えばセシル婆さんがレタスは冷たい水に浸しておけって言ってたのも下準備のひとつだ。
食べた人が笑顔になれる美味しい料理を作るっていうのは普段から一貫して変わらない。
だって、今、僕の作った料理を一番先に食べてくれるのはフェルなんだから。
フェルに美味しいって言ってもらえるようにいろいろ考えながらいつも料理を作ってる。
小熊亭で仕事している時だってそうだ。
実際フェルがそれを食べるかとかそういうことではなくて、今作ってるこの料理を、フェルが美味しいって言って食べてる顔を想像しながら作ってる。
アントンさんやホランドさんの顔が浮かぶ。
スパイスの足し算と引き算。
その理屈は教えてもらったけれどそれだけじゃない。
当たり前だけど料理は算数じゃないから、得意げに公式をいくつか使って自分勝手に美味しいって思うものを作るものじゃない。
公式を知っていたからって出会ったばかりのあの時のフェルにクタクタになるまで煮込んだスープを作れるわけじゃない。
ろくな材料もなかったあの粗末な食事をフェルは忘れられないと言ってくれた。
そうだよね。フェル。あの時美味しいって言ってくれたキノコのスープはフェルにとにかく元気になって欲しいって思ったから作れたんだ。
これ美味しいねって、大切な人に言って欲しいから、その人のことを考えてできるだけ丁寧に作る。
普段お客さんに出す料理もきっとそれと想いは変わらない。そしてそれを食べた人が美味しいって喜んでもらえる料理はたぶん……。
ふとフェルの方を見ると洗い物をしながら厨房の人と何か話している。
フェルも何か思うところがあっていろいろやってみているんだ。
僕も頑張らないと。
鯛飯が炊き上がる時間で明日の準備を済ませてしまう。
スティーブさんにガンツから時間停止の保存箱を作ってもらった話をすると、実際に使いこなすのはけっこう難しいから気をつけるようにと助言をもらった。
保存には良いけれど保冷庫の代わりに使うと逆に仕事がやりづらくなってしまうらしい。小熊亭でも肉とかトマトソースの保存用にしか使ってなかったしな。
鯛めしが炊き上がりまずはそのまま試食してみる。
出汁の旨みがかなり強く出た。ちょっと強すぎるくらいだ。野生味というのかな。私は鯛ですって主張しすぎかも。でもこのままお茶漬けみたいにすれば絶対美味しい。そう思える味だ。
「ちょっとやりすぎてしまったな。このやり方なら一度骨を湯通しした方がいいかもしれない」
スティーブさんが味の感想を言う。
「でもこの方がお米にぎゅっと味が詰まってる感じがします。この感じは残したい」
出来上がった鯛めしは、僕が作ったものよりもさらに荒々しい力強いものになった。だけどその力強さは僕にとって新鮮な感覚だった。
「お米を炊くときは蓋を開けれないから炊いている時にアクが取れないんですよね。取りすぎても良くないと思うけどある程度は雑味を無くしたいって思います」
スティーブさんが顎に手を当てて考えている。
「これ以上工程を複雑にすると誰も作れなくなる。もっと簡単なやり方にした方が良いだろうな」
スティーブさんと2人でいろいろ相談し合う。スティーブさんは僕みたいな若輩者の意見もしっかり聞いてくれてさらにいろいろな経験から自身の考えを話してくれる。
材料は今日の分は使い切ってしまったので今日の反省を生かしてまた明日試作することになった。
次はあらかじめ骨で出汁をとってからその出汁で鯛の身と一緒に炊き込んでみる予定だ。
今日の試作はみんなで賄いにするそうだ。スティーブさんに許可をもらって鯛めしを簡単なお茶漬けにしてみる。
昆布で出汁を取りネギを刻む。
出汁の味はシンプルに昆布と塩だけ。塩の量はお吸い物にするとしたらほんの少し薄味に感じられるくらい。
鯛めしに細かくした鰹節をふんわりと混ぜる。
お茶碗によそい食べる直前に出汁を多めにかけてネギと刻んだ海苔を散らす。
これ絶対美味しいやつだと思う。
明日ツマミで出すつもりだったキュウリとナスの浅漬けを小皿に盛って一緒に出した。
歯応えのあるものもあった方がいいと思って。
スティーブさんはこの漬け物のことを絶賛する。
こういう気遣いが出来ることが素晴らしいと言ってくれた。
褒められ慣れてないからちょっと動揺したのは内緒にしておこう。
だって師匠がいつもあんな感じだし。
うらやましそうにフェルが見ているからご飯を半分にしてフェルにも出してあげる。僕も半分の量で鯛めし茶漬けをいただいた。
「このスープはずっと無限に飲んでいられそうだ」
フェルがちびちびと大事そうにお茶漬けの汁を飲む。
残ってた出汁を少し足してあげた。
鯛の出汁が染み込んだお米から出てくる旨みがちょうどいい。さっぱりと味わえる。
支配人はおかわりをしようとしたけどもう鯛めしは無い。
明日もこうやって食べたいと支配人が何度も言っていた。
そのあとは後片付けをしながらスティーブさんといろいろ雑談をした。
僕が今日冒険者のひとりから買ってきてもらったスープの話をすると、スティーブさんが驚いた顔をする。
「実はそれを作ってるのはうちの母なんだ。もういい年なんだけどね。10年前は炊き出しを大通りのパン屋の主人と一緒に取り仕切っていてね。あの時私やクライブはそれを手伝っていたんだ。準備をしながらよく怒鳴られたね。もっと繊細に食材を扱えとか、もちろんクライブもおんなじだよ。かなりうちの母に怒られてた」
ビトさんからもらったそのスープはとても優しい味だった。
滋養がある。でもそれだけじゃなくて全ての素材が混ざり合って、優しい、なんだかまあるい味がした。
師匠の師匠?ウォルターさんのスープの味と師匠の店の味が似てたのも何か関係があるのかな?
「もっと繊細に食材を扱いな!」
そう怒られている師匠の姿はちょっと想像できなかった。
部屋に戻りフェルがお風呂に入っているあいだ、今日のことをいろいろノートにまとめる。
スティーブさんに教えられたことはすごく心に響いた。一言一句忘れないようにノートに書く。この経験はとても貴重だ。
だけどスティーブさんに弟子入りするなんてことは全く考えていない。
領都で一番の料理人だと僕は勝手に思っているけれど、そんな人に意見や悩みを話していろいろと指導をしてもらってることは得難い経験だし幸運なことだ。
だけどそれでも小熊亭で働いて本当に良かったと思う。やっぱり僕は洋食がやりたいんだ。
高級なホテルの厨房で働くよりも街の誰もが気軽に行けるようなお店がいい。
大衆的、それで全然いいと思う。
フェルと交代でお風呂に入ってから冷たいお茶を飲みつつフェルの髪の毛を乾かす。
「なんだかケイは領都に来てから少し顔の形が変わったのではないか?少し大人っぽくなったぞ?それに身長も伸びたと思う。私より少し高くなってないか?」
自分ではその変化はよくわからなかった。
確かに前に買ったジーンズももう折り返さずに履くようになっていた。
領都に来る前に靴も新しいものにしたし、エリママのところで服も新調した。
フェルと一緒に並んで歩くと自然と目がうのが最近嬉しかったけれど、いつの間にか同じくらいの身長になっていたんだな。
「なんだか頼もしく思えるぞ。だが私は楽しそうに料理を作るケイの顔のほうが好きだ」
そう言って微笑むフェルに優しくキスをする。
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