第220話 寝ようか
220 寝ようか
部屋に戻って果実水をいただく。
人目がないからフェルは大興奮だ。
フェルが頼んだのは、新しく入ったというオレンジ味。冬が近づくと実がなるオレンジの一種で、普通のオレンジより皮が薄くて手で剥ける品種だ。
これってみかんだよね。エドが実際皮を手で剥いてる様子を見て、これはみかんだと確信した。
僕もみかん味を飲んでみたかったけど、フェルと同じものを頼むのも勿体無いような気がしたから、レモン水にブドウの果肉を入れた無難なものにした。
フェルが2つを飲み比べて、やはり私の選んだものが、美味しいなとドヤ顔で僕に勧めてくる。
決して独り占めにしないで、自分が美味しいと思えば、進んで僕に渡してくるフェルがとても可愛い。僕が勢いよくグビって飲む振りをすれば子供みたいに残りの果実水がどのくらい残っているかを気にする。
そんなフェルをからかったりしてたらノックの音がしてガンツが来た。
昨日は夜遅くまで作業してたそうだ。
「シドとザックの戦い方を見て、つい熱が入ってしまった」そう言ってガンツが笑う。
残りの果実水を飲み、ガンツと夕食を食べに下に降りた。
席に座って注文しようとしたら、今日は料理長がぜひ食べてもらいたいものがあるそうですと給仕の人が言う。
なんだか楽しみだ。
出てきた料理はなんとお刺身だった。
何種類かの白身魚と赤身の魚、ホタテもある。
赤身の魚はマグロみたいだ。赤身と中トロだ。
何よりうれしいのはご飯とお吸い物がついてきてる。
お刺身定食だ!
ガンツは意外と冷静で「生の魚か、久しぶりだの」とか言いながらバクバク食べている。
フェルは生の魚は初めてのようで、少し躊躇している。
生の魚は絶対に食べてはいけないと教え込まれて育ったそうだ。
「あの料理長が出すんだから大丈夫だよ。信じて食べてごらん」
そう言うとおろるおそる刺身を口にする。
二、三度噛めばとたんにフェルの顔が輝く。
小皿には塩と醤油が入れられていたけど、僕らは醤油一択だ。
醤油は昨日厨房をお借りした時にみんなに紹介した。
前世から数えるなら何年ぶりなんだろう。
前の人生の記憶はあまりないけど、久しぶりに食べるお刺身はとても美味しくて涙がこぼれてくる。
「ケイ?大丈夫か?」
フェルが僕の顔をを覗き込む。
「大丈夫。あんまり美味しくてなんか、涙が出てきちゃった」
そう言ってフェルに笑いかける。
お刺身定食も食べ終わってしまうころ、料理長のスティーブさんがやってきた。
「本日の料理はいかがでしたでしょうか?」
スティーブさんはにこやかに僕たちにいう。
「お昼頃、ジェイクが生の魚の氷漬けを大量に持ってまいりまして、あのにいちゃんに食わせろと、無理矢理置いていったのです。なんでも貴族さまの発注で用意したけれど、当日になってキャンセルされたようなことを言ってました。ジェイクは金はいいからと言っておりましたが、そういうわけにもいかないのでなんとか代金を受け取ってもらい今日の夕食でお出しすることにしたのです。私は港町の出身で、街では新鮮な魚は生でも食べます。この魚は鮮度も良く、痛みもなかったので今回このような形でお出しすることにいたしました」
「ありがとうございます。スティーブさん。領都で、生のお魚、僕の国ではお刺身というのですが、これが食べられるとは思いませんでした。すごく美味しいくて、泣いちゃいましたよ」
その言葉にスティーブさんはとても喜んだ。
「この赤身のお魚はなんですか?たぶん、もっと油が乗ったところがあると思うんですけど、それって残ってますか?」
そう言うと、スティーブさんは驚いて言った。
「おっしゃる通り、もっと油が乗った部分が少しですがございます。人によって好き嫌いがあるので、今回は避けましたが、よかったらお持ちいたしましょうか?」
「あるんですか?ぜひお願いします!」
そう言うとスティーブさんは厨房に戻り、しばらくしてピンク色の刺身がのったお皿を持ってくる。
大トロだ!しかもこんなにいっぱい。
口に入れるとスッと消えていく。こんな美味しい大トロは生まれて初めてかも、フェルを見ると目をうるうるさせて大トロのお刺身を味わっている。
いつのまにかご飯をお代わりしていたガンツも美味いなこれと言ってバクバク食べていく。
「ガンツ、このお刺身お酒にも合うんだよ?いいの?もっと大事に食べなくて」
そう言うとガンツの手が一瞬止まった。
「なに、その時はまた追加すれば良いのだ。まだあるだろう?」
そう言ってまた食べ始める。
「この刺身によく合う酒があるので、またお持ちいたします」
そう笑顔で言ってスティーブさんは厨房に戻った。
僕たちはお腹いっぱい食べて、日本酒?給仕の人が持ってきた透き通ったお酒をちびちび飲むガンツを残して部屋に戻った。
お腹がいっぱいだ。幸せなため息をついて、フェルと2人ベッドに座る。
「いよいよ明日だね、フェル」
「そうだな、楽しみだ。いっぱいお客さんが来るといいな」
「明日は朝から忙しいよ。セシル婆さんのところで野菜を買って、マリーさんのところでお肉も受け取らないと」
「パン屋のおばさんは8時からだと言っていたな。そしてそのあとでギルドから屋台を出さなきゃいけない」
見つめ合って他愛のない話をしながら、少しずつ2人の顔が近づいていく。
やがて目を閉じて唇を重ねる。
はじめはついばむように、そしてだんだんと長く。
ベッドの上に倒れ込み、口づけを繰り返す。
行き場のない衝動が身体中を駆け巡り、お互いの手が相手の背中を激しく撫で回す。
僕の手もただ本能に従うようにフェルの華奢な体を撫でる。
手にすっぽりと収まるくらいの柔らかなフェルの胸。少し筋肉質の引き締まった腰。
絡み合い、もつれあいながら何度も長いキスをした。
そしてどちらかともなく体を離す。
お互いを見つめあって急に真っ赤な顔で目を逸らした。
「寝ようか」
「そ、そうだな」
悶々とした気持ちを抱えながら布団に入ったけど、疲れていたのかいつのまにか眠ってしまった。
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