第177話 衝動買い
177 衝動買い
目が覚めたのは朝の7時過ぎだった。
フェルはもう先に起きてシャワーを浴びているようだ。
顔を洗いたいけど大人しく待とう。
窓を開けて部屋に風を入れる。
少し肌寒い風が部屋の中に入ってくる。
保冷庫の中に水差しが入っていた。
冷たい水を飲み干して一息ついた。
なかなかすごい部屋だな。王都で泊まるとしたら銀貨3枚くらいしそうだ。
もちろんこんな宿に泊まったことなんてない。
「なんだ起きたのか?もう少し寝ていても良かったんだぞ」
シャワールームからフェルが出てくる。
ちょっと薄着だから目のやり場に困った。
顔を洗うついでに洗面所で着替えて、朝食を食べにいく。フェルの機嫌が少し悪い。洗面所で着替えるくらい良いじゃないか。
ガンツとお弟子さんがもう朝食を食べていた。僕らも隣のテーブルに着く。ガンツたちは食べ終わったら鍛治師の工房がある地区に行くそうだ。
「領都について知りたいじゃと?どうせ冒険者ギルドに行くのだろ?そこで聞いてみれば良いではないか。ワシらのことなど気にせず、新しい街を新鮮な気持ちで見てまわれば良いのだ。何でもかんでも知識を先に詰め込むとつまらんぞ。ワシらの仕事についてきたことなど忘れて旅を楽しめば良い」
えー。少しくらい教えてくれたっていいじゃん。せめてギルドがどこにあるかくらい教えてよ。
ガンツたちは食事を済ませてさっさと宿を出て行った。
これでも僕たちお尋ね者なんだけど。
宿の従業員に大体の領都の地理と冒険者ギルドの場所を聞く。
領都と王都の作りはだいたい似ている。というよりも戦後王都の街を真似て作ったからほとんど一緒だ。
領都の南側に領主館がある。
昔はそのお城の北側に街が広がっていたのだそうだ。
崩れてしまった防壁を直すよりも新しく街を拡張することにしたらしい。
なので、領主館がある中央から南側が旧市街と呼ばれて、この宿がある中央から北側は戦後新しく拡張された部分なのだそうだ。
王都の街と同じく中央から十字に大通りがあって、門は西側と東側、そして北側にある。
北側には魔の森と呼ばれる森林地帯があって冒険者はそこで狩りをするのが普通らしい。
魔の森に沿って街道が通っていて、馬車で1日半行った場所に大きな港があるそうだ。
たぶん3男はこの港で醤油を仕入れたんだと思う。
南側の領主館の近くは貴族街で、一般の人が入るには通行税が必要らしい。
まあ行かないから良いんだけど。
ざっくりと領都の周りを説明すると、北側には魔の森、魔の森を越えると帝国で、東側には海があり、西側は穀倉地帯、畑が広がっている。そしてそのままさらに西に行けばやがて王都に着く。
この10年で新しくできた街だから、道が整理されていてかなりわかりやすく作られている。
これなら迷うこともあまりないかもしれない。
冒険者ギルドは魔の森に近い北側の門の近くにあるそうだ。
市場と食材を扱う店は北西の地域にわりと広くひろがっているそう。
本当に王都を縮小した感じだ。北か南かの違いはあるけれど、主要な施設も大通りに面しているし、ほとんど一緒だ。
危険な地域、例えばスラムみたいに治安の悪いところなどはあるか聞いてみた。
うっかり気づかずにそんな場所に入り込んでしまったら大変だ。
ところが領都にスラムはないんだそうだ。
領都で路上で暮らしている人はいないらしい。冒険者向けに野営できる場所はあるけれど難民キャンプのようなところはないみたい。
強いて危ない場所といえば貴族街くらいだそうだ。うっかりタチの悪い貴族に絡まれたりすると面倒なことになるらしい。
「じゃあこの街には孤児や路上で暮らす人は居ないってことですか?そういう人たちが街に入るのを制限してるってこと?」
そう聞いてみたら宿の従業員は笑ってそんなことはないと言う。
領都には孤児院があるそうだ。事情があって親を亡くした子供はそこに預けられる。
なんらかの理由で仕事を無くしてしまった人は商業ギルドで住み込みの仕事を斡旋されるらしい。
これは辺境伯様がもともと孤児だったからなんだそうだ。
両親を流行病で亡くした辺境伯様はこの街の人たちに育てられたらしい。
市場で手伝いをしたり、冒険者たちの荷物持ちをしたりしてお金を稼いでいたそうだ。
住む家のない人は狭いけど長屋みたいな住居をあてがわれて、大抵は防壁の拡張工事の仕事に就く。
もちろん本人の希望があれば他の仕事を紹介される。
いろいろな事情を抱えた人はいるけれど、今まで何か特に困ったことにはなったことはないみたいだ。
最初に従業員さんを捕まえていろいろ聞いていたけど、そのうちに宿に泊まるお客さんや掃除係の人たちが会話に混ざってきて、いつのまにか辺境伯様の自慢話みたいなことになっていた。
なんだかみんなが楽しそうに話すから、辺境伯様がとても良い領主なのだと言うことがよくわかった。
着替えに部屋に戻ったフェルが階段を降りてくる。
鎧はつけてなかったけど、いつものギルドの依頼を受ける時の格好だ。
腰には剣も帯剣していた。
きっと依頼を受けたいんだな。
なんか気合いが入ってる。
今日は下見のつもりなんだけどな。
宿を出て北に進む。
時間は9時を過ぎたあたり。
街には活気があって行き交う人も多い。
道の脇には屋台が出ていて、すでに営業してるお店や、これからお昼に向けて営業の準備をしていた。
冒険者ギルドは少し目立たないところにあった。建物は少し小さいけれど、とにかく食堂が広かった。
今日のお昼はここで食べてみても良いかもしれない。
王都と比べて人口が少ない分、当然冒険者の数も少なくなる。とはいえ朝のギルドは割と混んでいた。
なんとなく人混みに紛れて依頼票を見る。護衛の仕事が王都より多いかも。
魔の森近辺の街道の護衛任務。
馬車に乗って護衛するというよりも森に沿って何組か警戒をするという仕事みたいだ。パトロールみたいな感じなんだと思う。
魔の森での素材採取や狩りの依頼。
森での素材採取はCランク推奨となっている。たぶんDランクの僕が依頼を受けるとなると審査があるんだと思う。
フェルがいれば大丈夫かな?
Dランクの仕事はさっきのパトロールの他に、穀倉地帯のホーンラビットの討伐。
他には防壁の工事の仕事なんかがある。
王都よりも依頼の難易度が高いのかな。
駆け出し冒険者にちょうど良い依頼は少なかった。
その代わり戦闘訓練みたいなものが定期的にあるみたいだ。週に3回ほど開かれている。
場所が変わればいろいろ変わるものだなって思って、普通に感心してしまった。
王都の冒険者ギルドのマスターは新人冒険者の育成に頭を悩ませていた。
こっちのギルドではもっと実践的に冒険者の育成をやってるみたいだった。
「なあ、ケイ。久しぶりにホーンラビットを狩りに行かないか?西の方の森の近くで今大量発生しているみたいだぞ。2人でやればけっこう稼げそうだ」
フェルが嬉しそうにそう言った。
確かにこのところ2人で狩りに行くこともなかった。森でデートなんてしばらくやってない。
森の浅いところで素材も採取できるかも。この辺りの植生も少し気になるし。
いいかもしれないな。
「良いよ。でもこれから行くのは少し遅いかも。ついたらお昼近くになっちゃうよ」
ホーンラビットは午前中の方が活発で、僕たちの狩りはいつも朝早くに狩り場に行ってやっている。
受付に行って明日そのホーンラビット狩りの依頼が受けられるか聞いてみたら、とにかく大量発生しているから受けてくれたらとても助かると言われる。
けっこう切実に困っているみたいだった。
王都のギルドに登録しているけれど大丈夫か確認したらそれも大丈夫だと言われる。資料室の場所を聞いてこの辺りのことをもう少し調べてみることにした。
フェルは訓練場を見に行った。
僕は資料とか地図とかから情報を仕入れたりするけれど、フェルは割と実戦派だ。
冒険者から聞いた話の方が下手な資料よりもずっと有用な情報だったりする。
でもそれはフェルの実力があってできることで、僕みたいなちんちくりんが訓練場に行ったって誰も相手になんかしてくれないよ。
ギルドの食堂が混む前にお昼ご飯をそこで食べることにした。
「午後からは私も訓練をしてみようと思う。馬車の旅で体も鈍ってしまっているからな。良い機会だ」
料理をガツガツ食べながらフェルがそう言った。
ギルドの食堂ではお昼のランチが銅貨5枚で、なかなかの量があった。
スープの味が小熊亭と少し似てる。
なんだか不思議な感じがした。
フェルを見送って僕は市場に出かける。
せっかくだからいろいろ見てみよう。
大通り沿いの店もなんとなくのぞいてブラブラと散策しながら向かった。
市場からは魚の生臭い匂いがする。
ちょっと言い方は良くないけれど、その匂いはとても懐かしい感じがした。
市場の匂いだ。
お昼を過ぎれば市場で買い物をする人も少ない。その代わり品物も少なくなってしまっているけれど、種類はけっこう豊富だ。
調味料の店でいろいろ見せてもらう。
醤油と味噌がひと樽銅貨7枚だった。
安いけど、今じゃなくて帰りに買えばいいかな?
だけど誘惑に負けてひと樽ずつ買ってしまった。
スパイスや香草は王都よりもずっと種類があった。南の方や、東の国などからいろんなものが集まってくるらしい。
時間がある時にいろいろ知らないものを試してみたい。
調味料を扱う店を出て今度は市場の中心に向かって歩く。魚はこの辺の店では扱っていないみたい。野菜や果物が並ぶ中を時間をかけて歩いた。
王都より2割以上安いんじゃない?
季節がいいっていうのもあるけれど、何でもかんでも全部安く思えてしまう。
衝動買いしてしまった。
少し反省してる。
だって安かったんだもん。
何気ないふりをしてフェルと合流する。
「ケイ。なにか買い過ぎただろ」
バレてた。
笑ってごまかしたらフェルが。
「明日の昼食はさぞ美味しいものが食べられるのだろうな」
そう言ってニヤリと笑った。
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