第172話 お酢
172 お酢
いつも通り忙しい昼の営業をこなし、賄いを作る。
金曜日はメアリーさんとカインが休み。セラはお兄さんが休みの土日を休みの日にしている。
マルコさんは僕と同じ木曜日を休みにしている。
少し思うところもあるけれど、気づかないふりをしている。
店に来たタイミングが不自然だ。
漬けておいたオーク肉を冷蔵庫から取り出して水気を拭き取る。
片栗粉をほんの少しまぶして置いておき、一緒に漬け置いていたタマネギを炒める。
しんなりしたら一度お皿に取り出してお肉を焼く。
中火より少し弱目の火。優しくお肉に火を通す。
お砂糖、お酒、醤油の順番に入れてタマネギをフライパンに戻す。
ちょっと手間だけどタマネギを一緒に焼くと焦げついちゃったりするから別にして炒めている。
味醂もどきの甘いお酒を少し加えて酒精が飛ぶまで弱火で煮込む。
お醤油の量はだいぶ減った。
だけど原価は、パンと一緒に出すと銅貨4枚近くになってしまう。
師匠のいう銅貨3枚、鉄貨5枚まで落とせなかった。
最後に大さじで半分くらいお酢を回し入れる。
全体にさっと馴染ませて完成。
足りないコクを加えることを諦めて、お酢を足すことでさっぱりと食欲が湧くものにした。
昨日のフェルもおかわりするくらい美味しくできた。
今日は分量が6人分だからちょっと調味料の量は違うけど。
まとめて作れば調味料も少なくて済むんだけど、なかなかそうもいかないよね。
セラがご飯と味噌汁をよそってくれてみんなが待ってるテーブルに料理を運ぶ。
どうかな?自信はあるけど、原価がこれで限界だ。これ以上落とすと味が悪くなる。
大量に作れたら漬けダレがまとめて作れるから、もう少し原価も落とせるかな?でもそこまで大きく変わらないかも。
「ケイくん!これ美味いっす。お酢を加えたのがいいっすね。さっぱりしてていいっすよ」
「本当ね。これいいじゃない。ちゃんと生姜焼きの味もするし、悪くないと思うわ。クライブ、これなら店に出してもいいと思うけど」
「ケイ、原価はどこまで抑えられた?」
「それが……もしもパンと一緒に出すなら銅貨3枚と鉄貨8枚になります。お米と一緒に出すなら銅貨3枚くらいになるのですが」
「これが限界だってことだな。お前が工夫してここまでのものにしたってことはよくわかる。酢を入れる思いつきも悪くねえ。確かにこれは美味い」
そう言って師匠は箸を止めて少し考える。
「ケイ。お前がいる日はランチで限定20食で出せ。夜出すかはその売れ行きを見て考える。ダメだってことじゃねえ。これが出過ぎると他の料理が出なくなる。そうなると流石に苦しい。ビーフシチューと同じだ。ケイ。よく工夫した。悪くない味だ」
「やったじゃない。限定メニュー、名前はどうしようかしら。ケイの生姜焼きにする?」
「普通に生姜焼きでいいです。僕の名前なんてつけなくていいですから。でもありがとうございます。工夫してみて改めていろいろ勉強になりました」
よかった。採用だ。うれしいって気持ちより先に、とりあえずなんだかホッとした。
こうして生姜焼きがランチメニューに限定で加わることになった。
この生姜焼きは今ではウサギの生姜焼きと呼ばれてる。使ってるのはオーク肉だよって言ってるのに。
開店して1時間も経たないうちに売れ切れてしまう。けっこう人気のメニューだ。
最近では開店前に並ぶ人も現れた。
完成した生姜焼きを3人分作って、冷めないように急いでミナミに持っていく。
採用されたってホランドさんに言ったら、ホランドさんが泣いていた。
つられて僕も少し泣いてしまった。
お皿は後で取りに来ると伝えて店に戻る。明日の休憩時間にでも回収しよう。
生姜焼きは香草の使い方が難しい。
漬けダレを作るのが今のところ僕しか出来ない。師匠はその辺りもわかっていたようで、僕の休みの日は出すのをやめている。
ロイが一度作ってみたけどおんなじ味にはならなかった。
しばらく練習してみるとロイが言っていた。
きっとロイならすぐに作れるようになると思う。
ハンバーグとかと違って一度に何人前か一気に作ると、味がブレてしまうみたいだ。
その辺りはずっと生姜焼きを作り続けていた僕がやっぱり一番作るのが上手い。
師匠もそう思っているみたいだ。
一人前ずつ作ればいいんだけどなって言っていた。
「採用されたんだろう?良かったなケイ。おめでとう」
夕方店に来たフェルが僕の顔を見てすぐに言う。
そんなにわかりやすい顔してたかな。
どうして師匠が僕に生姜焼きを作らせたのか、原価が高過ぎるってしつこく言ったのかは、それはずっと先、僕が独立する時によくわかった。
僕の得意な料理、特に醤油を使った料理をいつかちゃんと自分の店で出せるように工夫させたかったんだと思う。
そのままでも美味しいけど、結果値段が上がってしまったらそれは僕の思ってる店にはならない。
今のうちに苦労して考えとけってことだったんだとその時思った。そのことに気づいた時には思わず笑ってしまったんだけど。
いろいろ文句も言ったけどやっぱり師匠の手のひらの上だったんだなって、子供みたいだったあの時の僕を思い出し苦笑した。
夜の営業も順調にこなしてお風呂に寄って帰る。
西区の公衆浴場も悪くはなかったけどサウナがまだなかった。
そこは家から歩いて5分くらいのところにあるけれど、やっぱり前から通ってる南区の公衆浴場がいいっていう話になり、特別時間がない時以外はここに通っている。
お風呂上がりにパイナップルの果実水を作った。
幸せそうに果実水を飲むフェルの髪を時間をかけてゆっくり乾かす。
「ケイ。良かったな。ケイがうれしそうにしているから、私まで嬉しくなるぞ」
僕を見上げるフェルがそう言って微笑む。
その表情を見れて、頑張って良かったなって心から思った。
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