第145話 キノコのスープ
145 キノコのスープ
一息ついて落ち着いたらフェルはテーブルクロスを縫い始めて、その向かいで僕は溜めてたレシピの原価計算をしていく。
店の大鍋で、大体70杯くらいのスープが作れる。今はそれを大鍋で3つ作っている。それでも足りなくなりそうな時はあるのだけれど。
全体の材料費を3で割って、ひとつの鍋の原価を出す。それを70で割ればひと皿あたりの原価が出る。
問題は醤油と、味噌の原価だ。
普段よく使う、大体500mlくらいの容積の瓶に程よく淹れた水を、一杯ずつ大さじで掻き出していく。
26杯と少し。この保存瓶には大体450mlの液体が入る。
醤油の樽と同じ大きさの樽に今度は保存瓶で水を入れていった。
いつもの醤油が入っているくらいの量を入れたらひと樽大体10リットルの液体が入ることがわかった。
1リットル2000円の醤油か。確かに高い。値引きされる前は1リットル4000円だったはずだ。それは確かに師匠は怒るだろう。
味噌の樽も醤油と同じ大きさだから大さじ一杯あたりの値段はほとんど一緒だ。
大さじ1杯30円。2杯入れたら60円。
当たり前だけど、いまさらものすごい高級な調味料を使っていたことに気づいた。
お米を使わないとすぐに家計が破綻しちゃうよ。
この前、鶏がらスープに大さじ2杯の醤油を入れた。
これだけでスープが約1円原価が高くなったことになる。
鶏がらスープ自体が原価が安いのでまだ大丈夫だけど何でもかんでも醤油を使うと良くないな。店が潰れちゃう。
王国には銅貨より低い価値のお金は存在しない。
物を売買する時はその銅貨1枚に見合った分量を、店側が用意して、販売している。
お米は銅貨1枚で大体5合買える。僕は割り引いてもらっているからもっと安い。
5合のお米からは大体10個、大きめのおにぎりが作れる。
ロイのところのバゲットは大きめだけどそれでも銅貨3枚する。
できるだけ見やすいようにレシピ帳に原価を書いていく。
ひとつのレシピで見開き1ページ使ってしまった。
慣れるまでは仕方ない。
できるだけ書き込めるスペースはあったほうがいい気がした。
ドナルドさんからもらった電卓で計算してひたすら原価を書いていく。
この前追加で買った紙も使い切りそうだ。
書いていて気がついた。
お店のレシピでランチのスープを作ると大体原価が50円から60円の間に収まっている。
ハンバーグの原価は大体150円くらいだ。ソースの分がイマイチよくわからないけど、大体200円以内なのではないだろうか。
そこにパンの仕入れ値を足すと、サラダを入れても銅貨3枚と少し。
350円以内には収まっていると思う。
小熊亭でハンバーグのランチは銅貨7枚。夜はパンとサラダは別で出しているからもう少し割高だけど。
ランチは多い時で200食くらい出るから、昼の1日の売り上げは銀貨7枚くらい。サンドラ姉さんが昼の営業時間を30分伸ばした理由がわかった気がする。
こんなに考えてメニューを作っているのだ。美味しいからと言っても気軽に高級な調味料など使えない。
お店をやるって簡単なことじゃないんだ。
難しい顔をして悩んでいるように見えたのだろうか。フェルが暖かい麦茶を僕に渡してどうしたのかと尋ねてきた。
「お店のレシピの原価を計算してたんだ。やっぱりお店をやるって大変なんだなって思ってた」
「何か悩んでいるなら話してみるといい。話せば少し考えもまとまるかもしれないぞ」
フェルがそう言って優しく微笑んだ。
「あのね。醤油の値段が思った以上に高いっていまさら気づいたんだ。ずっと探してた物だったから浮かれて使っていたけど、コップに半分入れただけで銅貨1枚しちゃうんだ。師匠も、サンドラ姉さんも言ってたけど、小熊亭では高すぎて使いにくいんだ」
フェルの淹れてくれた麦茶を一口飲んで話を続ける。
「いつもお弁当に入れてる生姜焼きなんてお店ではとても出せないよ。あの程度の料理だけど、銅貨10枚で売らないと採算が合わないんだ。東の国の家庭料理で庶民的な食堂をやりたいって思っていたけど、醤油を使う限り、ちょっと高級な店になっちゃう。これだと何か違うっていうか、でも醤油は手放せなくて……。それに、高級な調味料を使っていたから美味しいものが作れてただけなのかもなって思ったら、なんか辛くなって来ちゃった」
醤油が見つかって、浮かれていろんな料理を作って、ちやほやされてたのが馬鹿みたいに思えてしまう。フェルの前でうまく表情が作れなかった。
「ケイは……ケイの作る料理はそうではないぞ。その醤油が手に入る前からケイの作ってくれたものは美味しいものばかりだった。何故か優しい味がするのだ。私はそれに何度心を救われたことか。不味い黒パンで美味しいパン粥を作ってくれたこともあったな。私のために鶏を潰して、トマトのシチューを作ってくれた。そうだな。その中でも最初に出してくれた肉の入っていないキノコのスープのあの優しい味は忘れることができない」
そんなこともあったっけ。フェルが最初に僕の作ったスープを美味しそうに食べているのを見てから、もっと美味しい物を食べさせてあげたいと、必死にやっていた気がする。
「王都についてゼランド商会で醤油と味噌を見つけた時、ケイはとても楽しそうにしていたな。ずっと探していた物が見つかったと、お米と一緒に生姜焼きを作ってくれた。あんなに美味い料理を食べたのははじめてだったかもしれない。だが、それでも私は肉の入っていない、滋養たっぷりのあのスープのことを思い出すだろう」
確か少しでも消化に良いように野菜を丁寧に柔らかくなるまで煮込んだんだっけ。他にはキノコと少しの香草しか入れていなかった気がする。
「王都に来て私たちはいろいろなものに出会った。便利な魔道具や、美味しい食材。それを使った美味しい料理。ケイは急にいろいろとそれらを吸収し過ぎて少し疲れているのではないか?心配しなくてもケイの作る料理は美味しい。それは食べる人のことを考えて作っているからであろう?醤油がいくら高かったとしても、私たちはこれまで贅沢をしていただろうか?ケイはちゃんと節約して、私に装備を整えさせてくれたではないか。美味しいご飯を毎日欠かさず作って」
そう言って、フェルが僕に優しく微笑む。
「もっと自分に自信を持って良いのだぞ」
フェルの言葉を聞いて、自分が少し情報過多になっていたことを反省した。
醤油は確かに高価だ。だけどそれだけで絶対使えないということにはならない。
どうしたら良いかはこれからゆっくり考えていけば良い。なんか焦ってしまっていた。
今日はもう原価の計算はやめることにして、フェルと2人でお風呂に入りに行った。
湯船で体を伸ばしながら冷静に考える。
生姜焼き、唐揚げ、カツ丼、蕎麦。照り焼き、肉じゃが、すき焼きに親子丼。
どれもふんだんに醤油を使う料理だ。
師匠やサンドラ姉さんが原価を気にしなさいというのは作りたい物を諦めろということを言っているわけじゃない。
どうしたらそれを商売にできるか考えるために勉強しなさいと言っているだけなんだと思う。
きっとそうなんだ。
そしてフェルが言っていたのは、どんな料理を作るかよりも、どんな人に作るかを大切にしろってことだと思う。
まずは食べる人のことを考えて料理を作ることを忘れちゃいけない。
それはとても大事なことだと思う。
でもその2つの事が矛盾してしまうような気になってよくわからない。
風呂からあがってフェルの髪を乾かしてあげる。
「少しすっきりとした顔になったな。相談に乗れて私は嬉しかったぞ」
そう言うフェルの表情は優しい。
王都で一番寒いと言われる2月。
その夜道を2人で歩いて帰る。
外は寒いけど心は暖かかった。
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