第114話 初日

 114 初日


 いつもの時間に目が覚めた。

 そしていつものようにフェルに抱きしめられていた。

 誘惑を断ち切り、暖房をつけて着替えを始める。あかりを付けずに手探りで着替えを探していたらフェルも目を覚ました。

 少し拗ねている。ちゃんと起こさなかったからだろうか。


 魔力循環をしながら市場まで走る。

 ラウルさんに新年の挨拶をして、タマゴと牛乳を買った。少しだけ食材も買い足して家に帰る。


 フェルにご飯を炊くのを任せてフェルから見えない位置でお弁当を作る。

 ホーンラビットのお肉でそぼろを作っておにぎりの具と、オムレツに使った。

 トマトを切って詰めておく。すごくしっかりとしたトマトだ。試しに一切れ食べて見るとけっこう甘かった。

 

 トマトの王様、ではなくて、さすが王様のトマトだ。シチューとかこれで作ったら美味しいかもしれない。でも生のままの方がいいのかな?美味しいトマトだし。いずれにしても悪くなってしまう前に食べ切らねば。不敬罪で逮捕されてしまう。


 昨日のポテトサラダの残りもお弁当に入れた。トマトのつゆが他のおかずにかからないようにポテトサラダで壁を作ってみた。

 腸詰を2本オムレツの隣に入れて、隙間はピクルスを詰めておいた。


 手早くおにぎりを握って包んでいく。今日のおにぎりはそぼろとごま塩のおにぎり、ふりかけの3種類。具材に困らない限りはだいたいいつも小さめに握って、3種類渡すことにしている。

 その方が楽しいかなと思って。


 弁当を受け取ったフェルは上機嫌でカバンにそれをしまった。水筒のお茶は自分でやってもらった。

 塩鮭と、海苔。和風の卵焼きを作って食卓に並べる。醤油を少しだけつけた海苔をご飯に巻いて食べるやり方をフェルに教えた。この食べ方ができる外国人っているのかな。

 手早く作れるものにしたら、なんだか旅館に泊まった時のような朝食になってしまった。

 フェルはピクルスと呼んでいるきゅうりの浅漬けをコリコリ食べている。すっかり和食にも慣れたみたい。


 お茶を飲んでる時間はなく、急いで後片付けをしたら出勤だ。9時前には店に着いていたい。


 ギルドでフェルと分かれる時に急に抱きしめられた。


「頑張ってくるのだ」


 そう言ってフェルがギルドに向かって歩いて行った。嬉しかったけど、みんな僕をニヤニヤしながら見つめている。逃げるように小熊亭に向かった。


 店の正面の入り口から脇を通って裏手に回り、勝手口の方に出た。勝手口にはまだ鍵がかかっていた。ちょっと早すぎたかな。まあ初日だし、遅くなるより良いよね。


 9時になった頃誰かが勝手口に回って来た。僕より少し背の高い若い男の人が僕に向かって微笑んだ。


「もしかしてケイくんっすか?ずいぶん早いっすね。師匠から聞いてるっす。今日からよろしくお願いするっす。自分はロイと言います。まだ働き出して一年目ですが、ケイくんに仕込みの仕事を教えておくよう言われてるっす。そのうち合鍵も渡しますね。合鍵を貰うまでは今日みたいに9時に来て欲しいっす。自分これ以上早くは来れないんで」


 そばかすの目立つ優しそうな先輩はそう言って笑った。

 家の手伝いをすませてから来るので、朝が弱いわけではなくどうしても9時前には来れないらしい。

 実家住まいで、実家はパン屋をやっているらしい。

 いずれは家業を継ぐつもりらしいが料理をもっと勉強したくて小熊亭で働き出したのだそうだ。

 小熊亭で出されているパンはロイの実家のパンで、その縁もあってこの店で働き出したらしい。


「師匠の顔の怖さにも慣れてましたからね。小さい頃から配達とかでこの店に来てましたし」


 野菜の皮剥きをしながらロイがいろいろ話してくれる。


「ケイくん手際がいいっすね。これならすぐ終わるっすよ」


「僕の実家は小さい食堂をやってて、いろいろ手伝ってましたから。自分の包丁があるんですけど使ってもいいですか?」


「全然構わないっすよ。それより他人行儀な言い方はやめてほしいっす。年もそんなに離れていないし、自分に気を使う必要はないっすから。自分の話し方は気にしないで欲しいっす。こればもうくせみたいなもんなんで」


 ガンツの包丁に慣れるためにも、もらったペティナイフで野菜の皮剥きをする。

 ほんとよくできた包丁だな。スルスル皮が剥けるよ。

 あっという間に野菜の皮剥きが終わる。そのあとロイはスープを作り始めて、僕は店の掃除をする。

 店の前を掃除していたらアレクサンドラさんが出勤して来た。


「あら、ケイくん。ちゃんと来てくれたのね。クライブって顔が怖いでしょう、みんな面接に来たあと逃げちゃうから困ってたのよね。今日からヨ、ロ、シ、ク ♡」


 とりあえずよろしくお願いしますと頭を下げた。


 そこからはアレクサンドラ姉さんの指示で動く。

 

 まずはテーブルの名前を説明されて、ノートに言われたことをとにかく書き写す。

 その間にもアレクサンドラ姉さんはロイの仕事の様子を見て指示を出す。

 とにかくまずは何がどこにあるのか覚えなさいと言われて店内のあちこちを見て回る。ロイはタマネギをひたすら刻んでいた。


 小休憩の間もロイが仕事を教えてくれる。


 昼のメニューは3つ。

 Aランチはデミグラスソースのハンバーグ。Bランチはオニオンソースのハンバーグ。そしてCランチがオーク肉のステーキだ。3男と前に来た時食べたのはこのCランチになる。


「まずは使うお皿を覚えるっす」


 休憩中にも関わらずロイは丁寧に教えてくれた。

 サラダを入れる皿は共通で、スープを入れる皿は2種類。少しとろみがあるポタージュなんかは広めの皿で。とろみが少ないものは少し深いスープカップのような皿を使う。ハンバーグの皿は中くらいの丸い皿を使うけど、Cランチは一回り大きめの皿を使うそうだ。

 他のメニューの皿は空いた時間にまた教えてくれるそうだ。


 オーダーが入ったらまずお皿を用意する。サラダを盛り付けてお客さんに持っていったら、出来上がってくる頃か、出来上がった時にスープをよそって料理と一緒に配膳する。パンは先に持っていっていいそうだ。パンの用意の仕方も教えてもらった。


「できるならパンは冷めないように料理の出来上がる直前に持っていって欲しいっす。冷めたら美味しさが半減すからね」


 パン屋の息子ならではのお願いに僕は頷いた。


 ランチの忙しい時間は給仕の人が来てくれるらしい。でも来れない日もあるのでその時は僕たちが配膳して、オーダーも受けるそうだ。オーダーの取り方も教えてもらう。伝票に注文を書いて厨房の壁に順番に貼っていくのだそうだ。ただただ言われたことをひたすらノートに書き込む。


 ミンサーの使い方や基本的な野菜の下処理はできるので特に指導されなかった。

 アレクサンドラ姉さんがサラダの見本を作ってくれて、今日はそれを参考にしてサラダを作る。


 開店の1時間前になってクライブさんが来た。


「クライブ、ケイくんやっぱりすごいわ。即戦力よ。あんたあんまり怖がらせないようにしなさい。逃げられちゃったら困るわ」


 ハンバーグのタネを作りながらアレクサンドラ姉さんが言う。


「小僧。とりあえず今日はサラダを作れ。オーダーや配膳はまだやらなくていい。まず店に慣れろ。余裕があったら他のこともやってもいいがそこまで期待はしていない。俺のことはクライブか、師匠と呼べ。クライブさんとか、マスターとか呼ぶな。わかったか?」


「はいわかりました。師匠」


 呼び捨てにするか、師匠って呼ぶか選ばされたら、師匠一択じゃん。

 クライブさんは師匠と呼ぶことに決めた。たぶんロイもそうだったんだろう。こっちをみて苦笑いしている。


「ロイ!スープは出来たか?お前もうかうかしてたらあっという間にこの小僧に抜かされちまうぞ」


「味見お願いします!」


 ロイがスープを少しだけ入れた皿を師匠のところに持っていく。


「ふたつまみ塩を足せ。他は問題ない。終わったらこの小僧にもう少し仕事を説明しておけ」


「ケイくん。挫けちゃダメよ。クライブはいつも新人にこう言う態度なの。とにかくビビっちゃダメよ。私も協力してあげるからとにかく頑張りなさい。わからないことは休憩中にまとめて聞いて。お姉さんがなんでも教えてあげるから♡」


 とにかくいろんなことがあって混乱気味だけど、ビビっちゃダメなんだな。頑張ろう。


 そのあと給仕担当のおばさんが来て挨拶をする。メアリーさんと言うらしい。優しそうなふっくらとした人だった。

 開店までの少しの時間だったけど、ロイが店の中の主要な道具の位置を教えてくれた。言われたことをひたすらにメモを取る。


「今日は忙しいからな。覚悟しとけよ、小僧」


 クライブさんがそう僕に言った。

 メアリーさんが店を開けるとあっという間に店内は満席になる。

 急いでサラダを作って並べる。

 メアリーさんがそれをお水と一緒にお客さんに配っていく。


「小僧、もっときちんと盛り付けろ。なるべく背が高くなるように盛るんだ」


 そう言って師匠は手本を見せる。

 ふんわりと盛り付けて固めの野菜で周りを固める感じだ。なるほど背が高くなるようにね。たぶんこの方が食感も良くなる。


「ドレッシングをかけすぎだ。きちんと分量を守れ」


「はい。師匠」


 しばらくするとなんとなくコツがつかめてくる。お客さんが入って来たら人数を確認してその分を作ればいいんだ。サラダは全部のランチに共通なんだし。

 そうしたら少しだけ周りを見る余裕ができた。ロイがオーダーを聞いてお皿を用意する。スープのカップを温めてタイミングを見てパンを焼き始める。

 お皿を用意するのは僕でもできそうだった。


 アレクサンドラ姉さんはハンバーグの焼き方を担当していて、慣れた手つきでハンバーグを焼いていた。師匠はオークステーキを担当していて、そのほかにいろいろ足りなくなった食材を補充したりしている。


 ロイに言ってお皿を用意する係を代わってもらった。メアリーさんの声を聞いてお皿を用意していく。


「ケイくん。お皿が正面じゃないわ。この中皿は正面があるからこの模様を私の方に向けなさい」


「わかりました!」


 お皿に正面とかあるのか。とりあえず言われた通りに修正する。

 師匠はサラダだけやってろと言っていたけど、僕がお皿の用意をしても怒らなかった。


 店内はずっと満席。外には並んでいるお客さんの姿も見える。アレクサンドラ姉さんもある程度先読みしてハンバーグを焼いている。ロイがだんだんとタイミングを見るのが追いつかなくなって来ているのがわかった。


「ロイ。パンも僕がやるよ。それよりスープが間に合ってないからそっちをお願い」


 たぶんパンも良いタイミングで出そうとしているから混乱してしまうんだろう。


 パンの提供もやり出したらサラダが雑になってしまった。これじゃダメだ。

 失敗したサラダを脇にどけて作り直す。


 パンのあたためはオーブンで1分。AランチとBランチはタイミングは一緒だけどCランチは微妙に違う。


 パンの提供のことまで考えていると頭がクラクラしてくる。気にしすぎちゃいけないんじゃないかな。多少粗くてもとにかく料理を出すタイミングを滞らないように作業に集中した。


 ランチタイムが終わったらどっと疲れが押し寄せた。

 








 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る