少年達よ、忌まわしき塔を撃て

古野ジョン

少年達よ、忌まわしき塔を撃て

 西暦二一一六年、月面第一宇宙港。一人の若きパイロットが、発進準備をしていた。彼の名はムトウ・ゴロウ。二十歳にて第一線を戦う、エリートパイロットであった。


 だが、彼にとってそんなことは関係がなかった。軍に入って、宇宙戦闘機に搭乗する。それさえ出来ればどうでもよかったのだ。


 ムトウは機体を走らせ、滑走路へと向かわせる。彼が乗るのは、L-3戦闘機。対空戦闘に特化した機体で、月の周りをうろつく敵機に対して緊急発進することが多い。


 離陸許可を受け、ムトウの機体はエンジンをふかして加速していく。地球の六分の一程度の重力しかない月面において、長い滑走路は不要だ。数百メートル走ったところで、エンジンノズルが斜め下を向く。空気からの揚力を得ることが出来ない月面では、こうして浮き上がるのだ。


 機体はどんどん上昇し、あっという間に月の重力を振り切った。そして間もなく、もう一機が上昇してきた。


「ムトウ、随分と張り切ってるじゃないか」


「任務中だぞ、フジタ」


 僚機に搭乗しているのは、フジタ・ユウヘイ。ムトウと同じく日系人であった。それもあって仲は良いが、性格はまるで反対であった。


 ムトウはフジタの発言を気にせず、司令部と交信に入った。


「こちら《シルベスター》。 敵機の位置を乞う」


「こちら司令。 ただ今より誘導する。 指示を待て」


「了解」


 ムトウとフジタはさらに加速し、誘導されたポイントへと向かう。


「ムトウ……いや、《シルベスター》。 間もなく『塔』が見えるな」


「ふん、それがどうした。 それより敵機が近いぞ」


 フジタの発言に対し、ムトウは冷たくあしらった。


 間もなく、二人の機体のレーダーが敵機を捉えた。二人はさらに接近し、敵機に対して呼びかける。


「貴機は我が共和国の領域に侵入しようとしている。 速やかに退去せよ」


 ムトウが警告する間、フジタは距離を置いて攻撃態勢を取っている。妙な動きをすれば、直ちにフジタが撃墜するというわけだ。


 敵機は警告を聞き、地球方面へと引き返していった。地球諸国との関係が悪化していくなかで、こんなことは日常茶飯事であった。


「《シルベスター》と《ピアリー》に告ぐ。 直ちに帰投せよ」


 司令部から二人に交信が入った。領空侵犯を企む輩はいなくなったから帰ってこいという命令だ。


「こちら《ピアリー》。 了解した、直ちに帰投する」


 フジタは司令部に応答し、操縦桿を取ろうとした。だがそこで、ムトウの機体が引き返そうとしないことに気づいた。


「《シルベスター》、どうした? 帰投命令が聞こえなかったのか?」


「《ピアリー》、いや、フジタ。 悪いが、聞こえなかった」


 そう言うと、ムトウは一気に機体を加速させた。彼の機体は迷うことなく、地球の方向へと向かって行く。


「おい、どうしたムトウ!! そんな命令は出ていない!!」


「俺はこの機を待っていたんだ。 悪いな、フジタ」


 フジタはムトウを追いながら、司令部と交信する。


「こちら《ピアリー》。 《シルベスター》が帰投命令を無視して地球に向かっている。 指示を乞う」


「こちら司令。 可能な限り追い、《シルベスター》が地球領域を侵犯する前に撃墜せよ」


「撃墜ですか? しかし、奴は」


「分かっている。 しかし戦端を開くわけにはいかないのだ」


「了解。 《シルベスター》を撃墜する」


 フジタはムトウを追いかけた。


「《シルベスター》に告ぐ。 このまま命令を無視するなら、撃墜する」


「お前にしては随分とかしこまっているな、フジタ。 お前に俺を墜とせるのか」


「ムトウ、残念だ」


 そう言うと、フジタは二発の対空ミサイルを発射した。直線軌道を描き、ムトウの機体へと向かって行く。


「単純すぎるぞ、フジタ!」


 ムトウは持ち前の技量でミサイルをギリギリまで引きつけ、一気に機体を旋回させる。ミサイルは行先を失い、迷走していく。


「ムトウ、俺はそこまで馬鹿じゃない!!」


 ムトウの機体が旋回した先には、もう二発のミサイルが迫っていた。フジタはムトウの回避パターンを熟知していたのだ。


 だがムトウは並のパイロットではない。瞬時に照準を合わせ、正面に向かってミサイルを発射した。


 ムトウはすばやく左に旋回する。次の瞬間、ミサイル同士が衝突した。その破片は高速度の塵となり、彼の機体の鼻先をかすめていった。


 そうこうしている間に、二人はどんどん地球領域に接近していた。さっきとは逆に、地球側から要撃機が飛んでくる。


「おいムトウ、要撃機だ。 お前、このままだと戦争を起こすことになるぞ」


「俺の望みは、そんなちゃちなものじゃない」


 フジタの呼びかけにも応じず、ムトウの機体はさらに進んでいく。


 地球側の要撃機から、二人に交信が入った。


「月共和国所属の二機に告ぐ。 貴官らに飛行許可は出ていない。 速やかに退去せよ」


「断る」


 ムトウはそう言い残すと、進行方向を変えた。


「おいムトウ、どこに行く気だよ」


「フジタ、お前にも理解してもらえると信じている。 ついてこい」


 フジタはミサイルの発射ボタンから指を下ろし、ムトウの機体を追尾した。


 要撃機が徐々に二人に接近してくる。何度も二人に呼びかけ、警告を発する。


「ムトウ、これ以上は無理だ。 このままだと撃墜される」


「フジタ、前を向け。 お前の言う通り、『塔』が見えるぞ」


 フジタはその言葉を聞き、前を向いた。そこにあったのは、地球から伸びる一本の「塔」だった。


「これをどうするってんだよ」


「決まってるだろう。 忌々しいあの『塔』を撃つんだよ」


「おい、それじゃ間違いなく撃墜される――」


 そう言い切る前に、コックピットに警告音が鳴り響いた。要撃機が、フジタの機体をロックオンしたのだ。


「悪いな、フジタ。 俺は先に行く」


「待てっ」


 次の瞬間、要撃機からミサイルが放たれた。ミサイルは真っすぐフジタの機体に向かう。


「これじゃとばっちりだ」


 フジタは必死に回避行動をとる。戦闘機やミサイルの性能では地球側がはるかに上回っている。回避するには、その差を技術で埋めるしかない。


 なんとか全てかわし切ったが、既にムトウは「塔」を射程に収めていた。その向こうには、「塔」から発進してくる別の要撃機が見える。


「ムトウ、何故なんだ!! 何故『塔』を撃つ!!」


「あの『塔』は俺たちを苦しめる元凶だ。 もはや地球のお荷物、いや属国と成り果てた俺たちの国を救うにはこれしかない」


「馬鹿が!! そんなことをすれば、俺たちだって飢え死にだ!!」


「誇りを失った国を守るよりよっぽどマシだ」


 そして、ムトウはミサイルを発射した。「塔」に沿って配置された自動迎撃システムがそれに反応し、一斉にミサイルを放つ。ムトウのミサイルは、あっという間に迎撃されてしまった。


「そんな兵装で通用するわけがない!! 引き返せ、ムトウ!!」


「馬鹿だなフジタ、おとりだよ」


 ムトウは一気に機体を旋回させ、ミサイルを放ったのと逆方向に進んでいく。自動迎撃システムがミサイルを再装填する前に、次弾を撃つ構えだ。


「ムトウ……本気なのか」


「フジタ、お前はどうなんだ。 虐げられる自国の民をそのままにしておくのが軍人なのか?」


「……そんなハリボテの誇りなんかよりも明日のおまんまだ。 お前には賛同しかねる」


「そうか、残念だよ」


「ああ、本当にな」


 間もなく、フジタの機体が二発のミサイルを発射した。そのミサイルは何にも遮られることなく、見事に命中した。


 次の瞬間、張り詰めていた糸が切れるように「塔」が切断された。そう、「塔」を撃ったのである。


「フジタ、何故撃った」


「俺に課せられたのはお前の撃墜命令だ。 それに従ったまでだ」


 塔は徐々に崩壊していく。均整の取れていた構造体が、ただのデブリと化していく。デブリ同士が衝突し、互いに加速度を与えていく。その無秩序な運動は、腕利きパイロットのムトウにも予測することは出来ない。


「まさか、お前の狙いは」


「あばよ、ムトウ。 親友としてのはなむけだ」


 間もなく、デブリの一つがムトウの機体を貫いた。


 フジタは「塔」と距離があったため、デブリには巻き込まれなかった。「塔」への攻撃で混乱する敵機をかいくぐり、辛うじて地球領域を脱出した。


***


 二十二世紀になり、人類はその版図を太陽系へと広げつつあった。その足掛かりとなったのは、月である。二十一世紀後半、多くの国家が月への建国プロジェクトに参加した。表向きは国際協力を謳っていたが、実際には「出し抜き」を警戒して牽制し合うための茶番であった。


 そして西暦二〇八〇年、国連は月における建国を宣言した。「月共和国」の誕生であった。空気で満たされた巨大な居住ドームと、それに付随する大規模宇宙港。その情景は、まさしく人類に宇宙時代の到来を予感させた。


 建国から二十年間、共和国は春の時代を過ごした。新たに火星への建国計画が立ち上がり、共和国は地球と火星の中継地点として大いに活用された。月面に建てられた工場は多くの雇用を生み、新たなドームの建造が検討されるほどに人口も増えた。


 だが、それをよく思わない人間もいた。もともと国家間の駆け引きの末に生まれた共和国は、地球における政治の力場に変化をもたらしていた。共和国に頼らずとも、宇宙開発が出来たほうが良い。そのような考えを持つ国々が、別のプロジェクトを発足させた。


 そう、軌道エレベータである。赤道上から静止軌道を経由して、上空十万キロの終端へと至る。人類史上最大の構造物であり、敬意と畏怖をこめて「塔」と呼ばれた。


 「塔」は大いに役立った。非効率な化学ロケットを使う必要はなくなり、「塔」に付随する各ステーションから火星への往来船が発着するようになった。地球各国と共和国を結んでいた航路は廃止され、エレベータの終端ステーションから物資輸送が行われることになった。


 そして、共和国の地位はみるみる低下していった。火星と地球との中継点という立場を失い、地球各国はその存在価値を認めなくなった。今や共和国は「不便なところに勝手に住んでるお荷物国家」と成り果てていたのである。


 さらに、共和国への必要物資の輸出が「塔」に依存することになった影響も大きかった。地球各国は不当に「塔」の利用料金を値上げし、共和国から一方的に搾取する構造を作り上げていた。共和国民は、かつての繁栄の遺産で細々と食い繋いでいたのである。


 後に「軌道エレベータ破壊事件」と呼ばれる今回の出来事は、結局「フジタ・ユウヘイがムトウ・ゴロウを撃墜しようとした最中の事故」ということになった。ムトウの野望に反し、軌道エレベータは速やかに修復され、通常の運営を再開した。


 ムトウの行動は、何かを変える嚆矢となったのか、それともただのテロリズムに過ぎなかったのか。


 正解の分からぬまま、今日も月は地球の周りを回っている。

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