第9話 クロワッサン・キス!
「うぅ、寒いー」
「あぁーなんかアウターもってくりゃよかったねー」
とか言ってるけど、マユさんはちっとも寒そうにしてない。
実に堂々とした姿勢で、踵を鳴らして歩いている。
ちなみにマユさんは黒のスキニーパンツに、グレーのダボついたロング丈パーカーだ。
痩せてる人が着ると、めっちゃ可愛いカッコいい。
あと、フードにレースがあしらわれていて、めちゃ可愛い。
かっこいい系クール美人顔で、この着こなしはズルイ。
「どこ、行くんですかー?」
「朝はねー、ADZのコーヒーって決めてんの」
「ADZ?」
「ほら、そこよ」
マユさんが、顎をクイとあげて目的地を示す。
その先に視線を向けると、ビルの角地に『ADZ珈琲』と書かれた木の看板が目に入ってきた。
ちょっと今風にした、小綺麗な純喫茶って感じだ。
入り口はガラス張りになっていて、店の中では店員が珈琲をサイフォンで淹れながら、大きなオーブンからバットを取り出していた。
「ここね〜朝は、珈琲に焼きたてのクロワッサンが付いてくるの」
「へぇぇ、焼き立てクロワッサンとか、高まるぅー!」
「そうでしょう、そうでしょう。この甘いにおいが、たまんないのよねぇ〜♪」
何故か得意げなマユさんはおいといて、たしかに良いお店だ。
店内に入ると、いっそうクロワッサンの香りが強くなった。
わずかに感じる珈琲の香りも、脳を刺激してくれる。
「モーニング、ホットで。二階の窓際、二人。いい?」
マユさんがカウンターのイケメン店員に声をかけると、爽やかな笑顔でどうぞと返してきた。
今の暗号のような短いやり取りで通じるあたり、常連のお客様なんだと感じ取れる。
金色の手摺りが素敵な螺旋階段を登っていくと、二階に到着する。
二階にもカウンターがあり、そこではイケオジが珈琲を淹れていた。
「あそこ、窓際行ってて」
マユさんは私にそう言うと、そのままイケオジのところに行き、何かを話し始める。
どうやら既に一階からオーダーは届いているらしく、すぐに珈琲を淹れてくれたようだ。
カウンターの奥には小さなステンレスの扉があり、少し大きめのが音が鳴るとイケオジが扉を開けた。
中は小さなエレベーターになっているらしく、焼きたてのクロワッサンが取り出されていた。
しばらくするとマユさんが、珈琲とクロワッサンを運んできてくれた。
「んふふーふふー♪」
マユさん、鼻歌まじりでかなり上機嫌だ。
よほどこのルーティーンが、気に入っているのだろう。
というか、鼻歌ですらいい声だと思う。
……あれ?
これ……ブルームーンの曲だ。
しかも、ライカさんが歌ってた曲。
なんだぁ〜マユさん、ライカさんの歌、知ってるんじゃん。
「ん?」
どうしたの、と顔を覗き込んでくる。
左目の泣きぼくろが近づき、なぜだかドキッとしてしまう。
いやいやいや、私にそっちの趣味はない。
でも綺麗なのは事実だし、まぁ、不意打ちでドキッとすることもあるだろう。
今のは、そういう『ドキッ』だ。
「なぁに、あんたまだ寝ぼけてるの?」
「いえ、ちょっとぼっとして……」
と、そこで……
私は、とんでもない不意打ちをされてしまった。
何を思ったのかマユさんは、そのまま軽く唇を触れてきたのだ。
ほんとに軽く、フレンチもフレンチだけど。
まるで外国人がよくする、挨拶のように。
ほんの一瞬だけ、キスをしてきたのだ。
「んっなぁ、んなななっ?」
「目ぇ覚めた?」
「さ、覚め、覚め、覚めっ!」
「鮫・鮫・鮫? なにそれ、何かの暗号?」
「こんなところで、何するんですかぁ!」
「大きな声出したら、よけい目立つわよ?」
なぜか、私が注意されてしまう。
この時、私は「やっぱりこの人と、何かしてしまったのだろうか」と思い、頭の中がグルグルとしていた。
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