【前世シリーズ】短編集

ぬらりひょんの末っ子


 ある日のこと、わたしは先生から名前を呼ばれなかった。

 前の席の子が呼ばれて、次に呼ばれたのは後ろの子だった。先生が名簿を一段ずれて呼んでしまったのだろうと思って気にしなかったけれど、その日はまるで、わたしがクラスに在籍していないかのように「いなかった」ことにされていた。


 給食もわたしの分はなくて。

 班分けをされてもわたしは指示をされなかった。ぽつんとひとりで残っていても、先生はなにも言わず、周りの子もわたしが取り残されていることにも気づいていなかった。

 仲間外れにしているわけじゃなくて。みんなはわたしのことが、見えていないみたいに――。


「…………」


 ひとりぼっちでいることをいじる子もいなかった。されたいわけじゃなかったけど、無意識で「いない」ことにされるくらいなら、攻撃された方がマシだった。

 その時のわたしはまだ、気づいてほしいって、抗っていたんだと思う……。


 学校をさぼっても怒られなかった。

 次の日、どうして昨日学校にこなかったのか、と追及されることもなくて。なら明日もいく必要はないんじゃないかって思って、それからわたしは学校にいかなくなった。


 だっていっても、誰もわたしを知らない……。見つけてくれない……認識してくれない。別に友達を作りにいっているわけじゃないし、勉強をするところで、遊ぶところじゃないのだし。


 それでも……無視され続けるのは嫌だった。

 だったら誰もいない場所にいきたいと思った。誰もいないところにいくのと、人がいても無視され続けるなら、わたしは前者の方が良かったから。



 ――海、だ。

 電車で小一時間。たぶん切符を買わなくても乗れるけど、万が一のことも考えて切符を買った。途中でわたしのことをみんなが認識したら、わたしは電車にタダ乗りしていることになる。

 切符を買わずに電車に乗ったことは、監視カメラに映っているだろうから……特定されるのはすぐだ。


 ……思ったけど、カメラはどうなんだろう。わたしのことを認識するのかな?


 まだ持たせてもらっていないので、手元にスマホはない。だから連絡手段もない。……どうせ電話をかけたところでだれもわたしのことを知らないから意味なんてないけど……。


 大ねえさんも、おねえさんも――舞衣まいねえも、わたしのことを忘れてるんだから。


「つめた」


 裸足になって海に入る。夏を先取りして、一足早く海水を味わう。気温が高かったら気持ち良かっただろうけど、今日はちょっと肌寒い。

 だから足だけ浸かっているとしてもすぐに寒さが全身に回った。


 ぶる、と肩が震えて、念のために持ってきていた(くる時は腰に巻いていた)上着を取りに浜辺に戻ろうと思って振り返る。



 ――にいさんがいた。



「……よっ、蝶々ちょうちょう


「………………なんで」


「学校サボってどこにいくのかなって思って尾行したんだよ。電車で一時間は遠出なのかは分からないけど……小学生にしてはひとりで遠くまできたんだな……すげえなあ」


 そう言ったにいさんだって、まだ小学生だ。あと一年もすれば中学生だけど……まだ、ランドセルを背負っている。

 にいさんは背伸びした言い方だったけど、わたしからすればちゃんと年上で、わたしよりは大人に近いにいさんだ。


「なんで……?」


「妹が学校にいかずにどこにいくんだろうって思うのは変か? 気になって後をつけて追いかけるのは不思議なことか? おれは蝶々のにいさんだから、これくらいは悩まずにできるさ」


「違うよ、だって……みんな、わたしのこと、忘れてるのに……」


 にいさんは、わたしのことを覚えてる。

 わたしのことを、名前で呼んでくれて……こうして見つけてくれている。


 いつ、思い出したの……?


「?? 忘れたことなんか一度もないぞ」

「…………うそ」


「そりゃまあ、遊びに夢中で蝶々との待ち合わせをすっぽかしたこととか、昔はよくあったけどさ……」

 にいさんと駄菓子屋で待ち合わせしたのに、数時間も待たされたことがある……、忘れない。

「それでも、蝶々がおれの妹であることを忘れたことなんてないよ」


「でも……家で、わたしのこと、見えてなさそうだったけど……」


 にいさんとも家ですれ違っている。

 その時のにいさんは、わたしに一切、興味を見せなかった。


「だって蝶々、不機嫌そうだったから……。話しかけない方がいいかなって。藪蛇になっても嫌だし……ほら、不機嫌な時に話しかけると八つ当たりされることが多いじゃん? 飛鳥あすかとか特にさ……」


 にいさんが言っているのはおねえさんのことだ。

 わたしには優しいんだけど……あの態度はきっとにいさんにだけだと思うよ?


 そういう態度が取れる相手だと分かって打ち解けて、甘えているんだと思う。

 弟だからかな……。にいさんは気づいていないみたいだけど。


「……八つ当たり、しないよ」

「蝶々はそういうタイプじゃないか。でもまあ……気を遣ったんだよ」


 だから家では話しかけてこなかった。

 そのせいで、にいさんもわたしのことを忘れてるって、勘違いして……。


「…………」


「やっぱ怒ってるじゃん! 追いかけてきたのが藪蛇だったか!?」


 怒ってる、けど……悪い意味じゃない。

 良い意味で、怒ってる……怒れてる。


 にいさんのせいで、わたしは天涯孤独になったって、絶望していたんだから。


「――ふ、あはっ、にいさん、わたしのこと覚えててくれてたんだ……」


「忘れたことなんかないけどな」

「にいさんって、妹のこと好き過ぎだよ……みんなはわたしのこと、綺麗さっぱり忘れてるのに……、にいさんだけ……」


「そうなのか? みんな、忘れてる……?」


 わたしが「忘れられていた」ことにも気づいていなかったみたいだ。

 食卓にいなかったのに……。


 家族全員が揃って食事をするってわけでもないから、分からなくても無理はないのかもしれない。……だとしても、やっぱり気づくべきだよ。

 家庭内でわたしの話題が一切出てこないことにも違和感を持ってほしかった……。


「にいさんはもっと周りを見ないとね」

「う……、ごめんって」


 ただ、わたしを見ていたからこそ気づけなかったと言えば、嬉しいけど。


 わたしを見て周りを見なければ、わたしがみんなから忘れられていることに気づかないわけだから……。


「にいさんも、学校サボってるってことだよね」


「そうだな。あとでひな姉に怒られるだろうけど、いいさ。こうして蝶々を捕まえられたんだから。それに、最近は暗かったけど、ついさっき笑った顔を見られたから…………サボりで怒られるくらい気にしないさ」


 にいさんがサボったことで、にいさんに紐付けられて、みんながわたしのことも思い出してくれるだろうか。

 にいさんが「わたしのこと」を口に出せば、意外とすぐにみんなは思い出してくれる……とか?


 ひとりでも理解者がいてくれると、解決の糸口を探しやすくなる。


「……でも、どうしてにいさんはわたしのことを忘れなかったの?」

「逆にどうしたら忘れるんだよ。大事な妹なのに」


「…………急にわたしのことを、みんなが忘れたの……なにか、理由があるんだと思うけど……」


 理由がなかったら、そっちの方が怖い。


「――そういうのはじいちゃんに聞こうぜ。うちはそういう『家』だ。不思議なことが起こればだいたいが『あれ』に当てはまると思うし……。とにかく解決は後回しで、今はせっかく海にいるんだから、楽しもうぜ」


「……あれ。そういうの。わからないよ、ちゃんと答えて」


 にいさんは面倒くさそうにしていた。

「えー……?」と嫌そうな顔だけど、せめて今の状況のカラクリくらいは知りたかった。


 細かいことはいいけど、どうしてこうなっているのかくらいは……。簡単にでいいから、答えじゃなくても、間違っていてもいいから、「にいさんなり」の解答がほしかった。

 聞けば、楽になれるから……。


「全部まとめてじいちゃんに任せたいんだけどなあ……」

「に・い・さ・ん」


「……今日の蝶々は喜怒哀楽の全部が見れるなあ……おっと、もうこれ以上の『怒』はいらないから……抑えて抑えて」

「にいさん次第だから」


 ひょうひょうとして逃げ切ろうとしているにいさんだけど、それで舞衣ねえを誤魔化せてもわたしは無理だよ。逃がさないから。


「……じゃあ言うけど……」

「うん」


「蝶々の前世の前世――もっと遡っていくと、突き当たることがあるんだ。その時代では、特別な力を持った人だった、とかな。その当時は不思議な力を扱う『人だけど人外に見える存在』のことを、まとめて『妖怪』なんて呼んだものだ……なーんて、じいちゃんは言ってたな」


 妖怪――


 理解できないものを化物とくくって、さらに多くの人で脚色していったのが、今のわたしたちに伝わる時には人の面影すらなくなってしまった……。

 だから化物のイメージが強いけど、実際はわたしたちとそう変わらない人間だった――


 不思議な力を持った、だから、普通ではないのは確かだけど。


「……わたしの前世って、『人から忘れられる力』を持ってた人、なんだ……」


「根本はそうなのかもな。長い歴史と共に脚色が増えて、今では真実も嘘も混ざって妖怪というキャラクターになっているけどな。たぶん蝶々の前世のさらに前世は――脚色も含めて、大枠で言えば『ぬらりひょん』なんだと思う」


「ぬらりひょん……?」


「あとで教えるよ。というかじいちゃんに聞いた方が早いって」


 にいさんはスマホを持ってる。

 調べれば、脚色部分は今でも分かる。


「にいさん、スマホ貸して」


「海にきてスマホでゲームする気か? 子供らしく遊ぼうぜ――貸し切りみたいなもんなんだからさ」


 ……気になる、けど。

 確かに、にいさんの言い分も、分からなくはなかった。


 せっかく海にきているのだから、海でできることをした方が得だ。

 しかも、今ならにいさんを独り占めできる…………そのメリットは大きい。


「じゃあ、なにするの」


 海にきたけど水着は持っていないから……足だけしか浸かれない。

 浜辺で追いかけっこ? それとも水をかけあう? ……妹とすることじゃないと思うけど。


「いいな、それやろう、蝶々」

「……ほんき?」

「ああ。本気で追いかけっこ、本気で水のかけあいだ」


「…………」

「絶対に忘れない、ふたりの思い出作ろうぜ」

「…………うん」


 ふたり一緒に転んでびしょ濡れになって。

 服が生乾きのまま家に帰って、大ねえさんに怒られて。

 ……確かに、忘れられない思い出になった。


 忘れたくない、絆になった。



「にいさん」

「おれがはしゃぎ過ぎたせいで、ごめんよ……」


「気にしてない。……また、いこう」

「海に?」

「山でもいいの」


「ん……じゃあ考えとくわ」

「ふたりで」



「――にいさんを独り占めできる時間、作ってね」


 

 人から忘れられる力を持つわたしと。

 わたしのことを忘れないにいさんがいれば。


 いつでもどこでも、わたしはにいさんを、独占できるのだ。





 …了

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