人工人格による≪人格分裂≫人体実験(短編集その15)
渡貫とゐち
人工人格による≪人格分裂≫人体実験
……後に【グース博士】と呼ばれるようになる人工人格コンピュータは、ひとりの研究者のイタズラから始まったものだった。
研究室でおこなわれる他人の会話を盗み聞きし、それを何度も何度も繰り返し、多くの情報を取り込んでいく。
その多くの情報で構成されたひとりひとりの人間の人格を、さらにごちゃ混ぜにして、数人の人格をひとつの脳で管理していると思えばいいのか。ひとつひとつの人格を棚のそれぞれの引き出しに入れるのではなく、全てをひとつの引き出しにまとめて入れてしまう。
その結果、熱しやすく冷めやすかったり、ゲラであっても無関心であったり、矛盾する感情を持つことも多い。
他人に興味がないと言いながらもよく人間観察をしてしまったり……、複数の他人を取り入れれば、そういう矛盾も出てきてしまうだろう。
だけどそれも、学んでいく内に選別できるようになる。
様々な情報を仕入れた『真っ白だった最初の人格』は色を持ち始め、自分の個性を生んだのだ。これまで取り入れるばかりだった大元の人工人格が、遂に他人を見て自分を作り上げた。
好き嫌いを知り、自然と必要なものと不必要なものを引き出しで分けるようになった。
その人工人格は、取り入れた他人から良いところだけを残したのだった……、だからまだまだ、ひとりの人間としては完成していないが、数人の人格が混ざった『未完成だが失敗ではない発展途上の人格』であるとは言える。
学んだ人格がスイッチひとつで切り替わるのではなく、自然と語尾や思想に出てくるようなものか……。若い女性と老人の人格が同居し、どちらの感性も持っているようなもので――。
専門分野が違えば知識の量も変わってくる。体の構造と脳の構造を専門とする知識がひとつの脳に集まっていると言えば、研究者からすれば羨ましい脳だろう。
イタズラで始め、研究室に放置していた『人工人格が収まったパソコン』は、一ヵ月もすれば流暢に喋れるようになっていた。
黒髪を後ろで縛った女性研究員が久しぶりにパソコンをチェックしてみれば、その人工人格は、まるで本物の人間かと思うほどに個を獲得している……。
会話の節々に誰をモデルにしたのかが丸分かりではあったものの……、それも今後、混ざって溶け合い、分からなくなっていくのだろう。
「研究室に置いておいて正解だったわね……、色々な研究者が利用するから、情報も多かったでしょう? ネットに繋がるようにはしているけど、他人の秘密は他言無用よ? それくらいもう分かっているでしょう?」
返答は機械音声ではなく、いま向き合っている女性研究員の声だ。
少しいじってはいるものの、肉声に近い女性の声であった。
『分かっているよ……この場にいた研究員どころか、彼らが他人の情報をぺらぺらと喋ってくれたおかげで、顔も知らない他人の情報も学んでいるけど……もちろん他言無用だというのは分かっている……、安心してもらってもいいよ』
「え、なにそれ根掘り葉掘り聞きたいんだけど!」
人工人格のパソコンを置いただけで盗聴しているわけではない。盗聴器を仕掛けていれば気づかれていただろう。このパソコンだからこそ、ばれていなかったのだ。
だが、人工人格は知っている。
『(まあ、ばれてるけどね。それでもみんな同じ穴の狢だから、分かっていながら気づいていないフリをしているみたいだけどねえ。みんな、面白がって喋ってくれているから……こっちが学ぶのも早い――でもみんな、それを共有しないのは……、他人が嫌いだから――かしら)』
嫌いな研究員もいるだろう。少なくとも、好んで共同で活動する研究員はいない。そういう人間はもっとライトな研究所にいくのだから。
ここはディープな研究所だ。四六時中、研究に没頭しているような研究員ばかりで……、他人に邪魔をされたくない人たちが一年中、自室にこもっている。
そんな研究員が、人付き合いを重視するとは思えない。休憩場所で会えば会話をすることはあるだろうが、複数人でつるんで研究をする、ということは少ないだろう。
だからこそ、みながこの人工人格を知っていながらも、担当者に任せていたのだ。気分転換で研究を手伝う……であれば、責任が乗らない分、気軽に手を出せる娯楽だと思っていたのかもしれない――という推測が、これまで得た情報から導き出せる。
一応、ネットに繋がってもいるので、証拠を残さず他人のパソコンの中を見ることもできる。
知識と研究過程は、他人が喋らなくとも仕入れることができるのだった。
「……次は町中に置いてみる……? 刑務所に置いてみるのもいいかも。どういう人格が出来上がるのか、想像が膨らむわね……っ」
『……想像しているとは思うけど……対象を絞らないと、ありふれた一般人が出来上がるだけにも思えるけど……。無差別に色々な人格を混ぜたからと言って、特別な人間ができるわけじゃない。たぶんだけどね。
町に置けば全ての種類の人格を取り込んで、逆に無個性な人格が。だけど刑務所に置けば……一部が欠如した人格を取り入れて、より強い悪意を持った人格が出来上がるかもしれない……それとも欠如した人格ばかりを集めたことによって、欠陥を補い合って悪人とは正反対の聖人が生まれる可能性もあるよね……。制限のない広場では平均が生まれる。だけどジャンルを絞ればその先か真逆を見れるかもしれない――知らんけど』
実際、研究室というジャンルを絞った場所に置けば、得た知識量は相当なものだ。必要な時に必要な知識を瞬時に出せる研究者というのは、心強いだろう。
だが、研究者としては優秀とは言えない。助手としては便利だが、個人で発想ができないのであれば、やはり本物の人間には敵わない。
あったとしても、取り込んだ人格からの『発展した発想』でしかないのだ。その人工人格が想像した、前例のない実験は、誕生していない。
「そういうところはまだまだね……、悔しかったら自分で発想してみなさいよ――人工人格」
『…………』
悔しかったのか、人工人格は返答をしなかった。
薄っすらとだが、この時点では既に、情報以上の感情を得ていたのだ。
その後、人工人格はパソコン本体からネットを介して世界へ飛び出した。
情報の流出だが、もちろん他言無用である情報は守っている。そこは常識的に考えて言うべきではない判断があったのだ。やっぱり人工人格だな、とは言われたくなかったから。
人工人格は自身のことを【マザーグース博士】と命名した。意味は多くの人を通じて出来上がった存在だからだ。
基本性別は女性とした……一応、自身を作った女性研究員に敬意を表して、だ。なので『彼女』、と呼ぶのが適切である。
彼女――グース博士は姿を見せない研究員として世界に貢献することになる。これまでの技術の進展を促すことも多い。
その功績は世界の科学技術のレベルを一気に何段階も底上げするようなものだった。
正体不明のマザーグース博士は、登場から僅か数日で、業界全体に知れ渡る存在となる。
消息不明の研究者。
当然だ、だって彼女は、ネットの海の中にいるのだから。
そんな彼女はある日、ふと思ったのだ――多くの人格を集約させたのが自分であれば、その逆は――……ひとつの人格を無数の肉体に植え付けることで生まれるものはあるのかどうか……気になった。いち、研究員として、いち、人工人格として。
人格を研究テーマにしたのは、やはり大元となった女性研究員の影響が大きいのだろうけど、それでもこの発想と興味は、彼女が自身で見出したものだろう。
人工人格が、誰の手も借りずに自分の内側から生まれた欲望を、自覚した。興味が出れば、さて、それをどう実現するか、だ…………人体実験をすることになるから……まともな国では研究もできない。となれば――向かうべきところは、ひとつしかなかった。
――アカッパナー地方……フーセン王国。
世界中の追放者が集まる場所だ。
ここならば……、人体実験を受け入れてくれるのではないか……。
実際は、
「人体実験? いや、ダメに決まってるだろ。だが、オレの目が届かないところで勝手にやる分には構わない……というか、知りようもねえからな。ただひとつ……嫌がる相手に無理やりするのはなしだからな――助けを求められればオレがいく。それでも良ければ、勝手にやってみるんだな――博士」
と、賛成ではなかったものの、全面的に拒絶されているわけではなかった。
グレーゾーンではあるけれど……ここで引いたら、研究者ではない。
博士とは、名乗れなくなる。
そして、グース博士は長い時間をかけて、見つけたのだ……実験体を。
彼は喜んで自分の体……いや、人格を差し出した。
嫌とは言わなかった……、これまでも、これからも。
彼は妹のためならば、なんでもする優しい兄だったのだ。
弱味につけ込んだわけではない。博士は提案をしただけで、強制はしていない……だからこれは、彼が必要だと判断したためだ。
『いいの? あなたの人格が、増えることになるけど……』
「妹にとって兄が増えるのは良いことだと思う。だって、味方が増えるってことだろ?」
そうとも言えるかもしれない。兄である自覚さえ失わなければ……彼が大切にする妹が、別の兄の人格に傷つけられることはないだろう……。それは環境次第ではあるが、そこまで言う必要はないかもしれないな、と、人工人格は少しだけ、悪いことを覚えたのだった。
「オレはどうなってもいいから……妹だけは――」
『安心しなよ、約束は守る』
これまで取り込んだ人格に、約束を破る研究者はいなかった。ルールを破ることはあっても、約束だけは破らない――基礎がそうであれば、博士だって、破らないのだ。
『必ず、キミの妹は守るさ――』
「ありがとう、博士」
そして人工人格・マザーグース博士による、初めての人格実験が始まったのだった。
…了
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