起爆しないダイナマイトを、彼は背負って生活している。
「ん?」
【絶対に押すな】と書かれたボタンがあった。
蛍光灯を点けるためのボタンにそっくりなので、ボタンのすぐ下に書かれた注意書きがなければ押してしまっていただろう。この注意書きのおかげで躊躇うことができた。
だが――この書き方は興味を引き過ぎる。
絶対に押すな? それは押せという意味か?
「…………すごい押してぇ」
思えば、不自然な位置にあるボタンだった。
通路のど真ん中である。
蛍光灯のボタンなら、通路の端にあるだろうし……、長い通路の途中にはひとつの部屋もなく、背後には窓しかない通路の壁に、なぜかある――。
そもそもこのボタンはなんの機能があるのだろうか。
確かに、この通路自体、なにもなさ過ぎるので怪しいとは思うが……。
壁を叩いたら音が他とは別で、壊してみれば向こう側に隠し部屋でもあるのではないか、と考えてしまうのはゲーム脳過ぎるか。
左右を見る。ドッキリ? カメラで、押すかどうか迷っている反応を見ているのではないか……、もしもそうなら、これは押すのが正解なのだろうか。
「いや、会社の休み時間にすることではないとは思うけど……」
しかし社長の性格を考えると、社員に内緒でなにかを企画して、現在進行形で企画が進んでいることもあり得る。
そのため、ここで押さないというのは空気が読めていないダメな行動なのではないか……。
「まあいいや、押してしまえ。なんとかなるだろ――」
【絶対に押すな】は、もう効果を持たない。そもそも押してほしくない人が書いた文言ではないのだ、きっと書いた本人は押してほしいはず――
押せば、なにが起きる?
カチ、という音が鳴る。
押し込んだ感覚が人差し指に伝わってくる。……押し込んで、なにも起きない。恐らく、押し込んでから、押した分、反発があってから完全にオンに切り替わるのだろう。
左右を見て、なぜか誰かに見られていないか、確認してしまう……。こそこそとする必要もないのだけど、こういうイタズラ心は、童心に帰ることができる。
子供の時は、大人のいないところですることは全てひやひやするものだった……、その感覚だった。
ごくり、唾を飲み込むと――不意に、緊急放送が流れた。
まさか押したことがばれて……?
だが、事態はもっと
静寂を突き破る、女性の声が、よく通る。
『ビル内部に爆弾が仕掛けられました。真偽は不明ですが、虚偽であるという証拠もありません……、念のため、社員の皆様はただちに避難を開始してください』
遠くの方でガヤガヤと避難の喧噪が聞こえるが、やはり真偽不明なので慌てていないようだ。避難はスムーズに……。しかし、そんな中で、残された彼は『押し込んでしまったボタン』をどうするか、悩みに悩んでいる……もしかして、これが爆弾?
爆発の――起爆ボタンなのか?
「……やべ、どうしよう……」
まだオンにはなっていないが、少しでも指を戻せば、すぐにでもオンになるだろう……、爆発させないためには、このまま指を押し込んだまま固定すればいいのだが――
となると、彼はこの場から動けなくなる。
避難したいのに……いや、爆弾の起爆がこのボタンなら、避難しないことで起爆しないなら、避難する必要もない……? いや、一生この場にいることもできないし、いずれは指を離すことになる……、やはりどうにかしなければ。
指さえ離さなければ、爆弾は起爆しない……というか、本当に爆弾の起爆ボタンなのか?
真偽は不明だ。だけど虚偽である証拠もないので、指を離すのはハイリスクだ。九割、違うだろうと思っても、残り一割の可能性が当たってしまえば? ――ビルごとドカンである。
ドッキリかと思って流れに乗ってみたら、まさか本当に爆弾の起爆ボタンを押していただなんて……、仮に、これが笑い話になっても、死んでいたら笑えない。
未来の落語でネタにしてくれれば浮かばれるレベルの結末だ――。
「……仕方ねえな」
片手が開いているので、彼は電話をかけた。
へるぷみー。そして、すぐに駆け付けてくれたのは、同僚である。
「……お前、なにやってんの?」
「指を離せなくなった……助けてくれ」
「強い粘着? って意味じゃないか。お前、もしかしてこれ、今話題になってる爆弾の……?」
「分からないけど、そうかもな」
「お前……ッ、可愛い子を紹介してくれるからって誘っておいて、こんな用事とか最悪だな!」
「状況を考えろ、お前もよくきたよな……」
避難中のはずだが?
「避難中に怖がってる女の子を見つけて、介抱したお前が俺にその子を紹介してくれるかもしれないって希望に縋ってもいいじゃんか!!」
「ありえねーよ」
あり得ないが、それに縋るほどには、追い詰められていたのかもしれない……ともあれ。
きてくれたことには感謝だ。生きて脱出できたら、本当に女の子を紹介してやってもいいだろう……、さて、これで二人が揃った。
頭脳が二つあれば、知恵も出てくる。
「ったく、しゃーねーな……ほれ、ガムテープと……さっき飲み干した空き缶がある。これを使えばボタンを固定できるだろ……。後々、爆発してもいいから、とにかく今、俺たちが逃げることが最優先だな――あとは警察に任せればいい」
同僚に手伝って貰い、ボタンに空き缶を当て、ガムテープで壁と固定する。空き缶と入れ替わりで、指を離し――ボタンは変わらず半分オンになっているものの、完全ではない。
ひとまずは、セーフだろう……。
まだ爆弾を起爆するボタンだと決まったわけではないが……。
「面白い絵面だな、これ……。通りすがった人が絶対に取るだろ……で、ドカン! だ」
「その時にはもう俺たちはビルの外だ……じゃあいいじゃねえか」
それもそうだった。
爆発しないことを確認し、二人はビルの外へ避難する。――その後、警察が介入し、ビル内部を調べたものの…………爆弾は発見できなかった。しかし、確実に建物内部にはあるらしい。
「え、あるの!?」
「らしいぜ。まあ、ボタン一つでしか起爆しない特殊な爆弾らしい……つまり、お前が一度押し込んじまったボタンが、唯一の起爆装置だったわけだ。
押したなら仕方ない、あとは反発によって、押し込みが元に戻らなければ……爆弾が起動することは一生ないってのが警察の見解らしいぜ」
「ほんとかよ……」
「誰が仕掛けたのか分からないが……、目下捜査中らしい。ここで投げ出されても困るしな……まあ、起爆の仕組みも、分かりやすいんだからいいじゃねえか。
ボタンがある通路は完全に封鎖して、誰も入れないようになってる。あの空き缶が落ちたりしなければ、爆弾は起爆しねえし……、いつも通りの日常だろ」
爆弾がどこかにある、というだけで、いつもの日々が戻ってきている。
気にしなければいいだけの話……、だが、気になる。
一度意識してしまえば、消化しない限りは、残り続けるのだ。
『絶対に押すな』、と書かれていると気にしてしまうのと同じように、か?
「絶対に安全だと保証されても、一日の半分以上を過ごすビルに爆弾が仕掛けられていると、やっぱり気持ち悪いか……」
徹底して固定しているので、起爆することはない――と分かっていても。
…了
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