午後のジャズと消えた恋人

モノック

第1話 目黒のジャズバー、時を巡る旋律

 都会の喧騒から一線を画す目黒の静かな街角に、ひっそりとたたずむジャズバーがあった。この場所は、偶然には決して見つけることのできないような、隠れ家のような雰囲気を持っていた。古びた看板と薄暗い照明は、ここがただの飲み屋ではないことを静かに物語っていた。僕はそのバーの常連ではないが、時々、都会の喧噪から逃れるためにここを訪れる。


 ある夏の日の午後、僕は仕事を早めに切り上げ、そのバーへと足を運んだ。外はまだ明るいが、バーの中はすでに夜のように静かだった。年季の入った木製のカウンターに座り、いつものようにウイスキーを注文する。氷がグラスに触れる音が、何とも言えず心地よい。


 ジャズバンドがステージで演奏を始める。彼らの音楽は洗練されていて、どこか懐かしい。メロディが流れる中、僕の心は過去へとさかのぼる。彼女と過ごしたあの夏の日々が、音楽とともに甦る。彼女はジャズが好きだった。僕たちはよくこのバーに来た。彼女はいつも、音楽が奏でる色を話してくれた。彼女には音楽が青く見えたり、赤く感じられたりした。僕にはそんなことは決して分からなかったけれど、彼女の話を聞くのは好きだった。


 彼女は突然僕の世界から消えた。理由も告げずに。それから長い時間が経ったが、僕の心にはまだ彼女の空白が残っている。バンドの演奏が一曲終わると、僕はふと我に返る。バーには僕とバンド以外に客はおらず、静かな空間が広がっている。ウイスキーをもう一口飲むと、氷が軽くカチリと音を立てる。僕は再び過去へと心を馳せる。


 バーの壁には古いジャズミュージシャンの写真が飾られている。彼女と一緒に見た写真たちだ。僕たちは、それぞれの写真にまつわる話を想像しながら、時間を過ごしたものだ。彼女は特にビル・エヴァンスの写真が好きで、彼の演奏を聴くたびに、目を閉じて微笑んでいた。


 今の僕には婚約者はいない。時々、寝る女はいるけれど、それはただの肉体関係で、心は通わない。そんな関係は、深い寂しさを一時的に埋めるだけで、心の奥底にある何かを満たすことはない。


 バーから流れるジャズの音楽が、僕の心の奥にある扉を少しずつ開いていく。そこには、忘れられた時間、失われた感情が眠っている。彼女との記憶は、遠い夏の日の幻影のように、ぼんやりと、しかし確かに、僕の中に残っていた。

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