第9話

 執務を終え、他の側室たちにすでに祝ってもらったらしいレジェスの部屋に向かう。

 本当の誕生日の日は公爵邸から帰った翌日で疲れが残った様子だったが、今日は顔色も良く元気そうに彼はアイラを迎えた。


「陛下はどの側室を一番寵愛していらっしゃるのですか?」


 贈り物を渡して食事をしていると、レジェスは隣で悪戯っぽく微笑んで聞いてくる。


「それを聞くということは、レジェスは自分が一番ではないと思っているのか」

「陛下、お答えいただけませんか。私の素朴で純粋な質問に」


 変わらず、肌を平気で大部分晒しながら聞いてくる。

 アイラはそんなレジェスの口に鶏肉を押し込んだ。


「私は陛下の可愛いひな鳥ですのに。共食いをさせるなんて」

「飲み込んだのはそなただ」

「そういえば、ラモン様とそろそろダンスの練習を再開されるのですか?」


 泣き真似をしながら蒸したニンジンをレジェスは摘まむ。


「ラモンとそんなことまで話すのか」

「ラモン様はよく口を滑らせます。心配です」

「痛みが引いたならダンスの練習は再開させる」

「ラモン様が羨ましいです。私もダンスが下手になりましょうか。そうしたら陛下は私とも練習してくださいますか」

「よく回る口だ」

「陛下が私の質問に答えてくださらないからです」

「一番に寵愛されているとそなたが思えば、そうなのだろう」

「陛下はまだ側室の誰とも寝ていないのに、ですか?」


 持っていたフォークを取り落としそうになる。

 レジェスの軽くて大したことのない話が心地よくて少し、油断していた。鎌をかけられることは日常茶飯事だから気を張っているつもりだったのに。


「嫉妬しているのか、レジェス」


 フォークなんて取り落としかけていないという風を装って、鶏肉にフォークを突き刺して自分の口に運ぶ。


「私はいつでも陛下の本当の男で夫になる準備ができているのに、陛下は酷い方です。もしかしてナタリア様のことが私よりもお好きなのですか?」


 唇を少し尖らせ、レジェスは衣服を指でつまんでピラピラさせた。かろうじて隠れていた胸元の素肌が見え隠れする。アイラは視線がそこにいきそうになったが、すぐにレジェスの顔に固定した。


「ナタリアのことは好きだ」

「結婚できるくらい好きですか?」

「来世では結婚しようと約束している。ナタリアがなんとしてでも私を見つけてくれるだろう」

「では、私は来世でも今世でもナタリア様に勝たなければいけないのですね」


 アイラは先ほどレジェスが共食いだと嫌がった鶏肉にまたフォークを突き刺してこれ見よがしにまた口に運んだ。今度は油断してはいけない。


 気を張って食事を続けたが、レジェスは鎌をそれ以上かけてくることもなく食事を終えた。


「陛下の贈り物を開けてみてもいいですか?」

「当たり前だ」

「ラモン様は『露出し過ぎだ』と服をくれました」

「ラモンからしたらそなたは刺激的だろうな」


 箱をまさに開けようとしたレジェスの手が止まる。


「どうした? 開けたくないのか」

「いえ、見てしまったらおねだりできないかと思いまして」

「なんだ、私の夕焼けは強欲だな」

「陛下にキスをしてもいいですか」

「今度はレジェスからするのか」

「私は誕生日が二回あるので、私だけの特権です」


 可愛く上目遣いで言いながらレジェスがアイラの手を取ったので、頷いてうながした。

 手の甲にレジェスが唇を落とす。アイラは黙ってレジェスの赤毛の中にあるつむじを眺めていた。


 手の甲だけでなくてのひらにもキスをしてレジェスが顔を上げた。もういいかと手を引っ込めようとすると、手を引っ張られて抱きしめられた。


「キスだけではなかったのか」

「唇にもお許しいただけますか」

「わかったわかった」


 聞くくらいなら最初からしておけばいいものを。

 誕生日を祝うという名目だからか、レジェスはいつになく前のめりだ。


 ヒューバートの誕生日ももう二週間後に迫っている。

 彼が亡くなってもう二年が経つ。異母兄弟姉妹に王位がいかないようにするには、アイラは側室たちの誰かとの間に子供をもうけないといけない。


 言葉に出すのは簡単だった。できると思っていた。でも、いまだにアイラは側室たちに心も体も許していない。

 レジェスのキスを受け入れながら思い出すのはやっぱりヒューバートのことだった。黒幕を捕まえさえすれば、ヒューバートはあのふわりとした儚い笑顔を浮かべて許してくれるだろうか。


「陛下」


 レジェスは唇を離してから、アイラの目元を拭う。


「私はヒューバート様よりも上にしてくださいとは言っていません。望んでもいません」


 自分が涙を流していることにアイラは気付いていなかった。


「すまない」


 濃いオレンジの目がアイラを覗き込む。この一言はキスの最中に涙を流したことに対してなのだが、この男は人の心を読むのがうまい。ヒューバートのことについて否定も肯定もしていなくとも分かっているだろう。


「陛下が側室全員とすぐに寝ていてさらに側室を入れようか検討する好色な方であったのなら、私はこんなに心惹かれなかったでしょう」

「私が誰と寝たかは言わないぞ」

「男女の空気は分かります。片方が隠しても片方が隠しきれませんから。陛下は誰とも寝ていらっしゃいません。隣で眠ったかもしれませんが、それ以上は特に何も」


 それ以上踏み込んで欲しくないのでレジェスの鼻を摘まむ。レジェスはアイラの唇をそっと撫でた。ここまでアイラに近付いた男は今まででヒューバートとレジェスしかいない。


「陛下が頑なでいらっしゃるからこれほど心惹かれるのでしょうか。あのような亡くなり方でしたら絶対に忘れることなどできませんね」

「そなたの心は一人の時に分析しろ」

「もう分析は終わっています。陛下、愛しています。あなたが他の男を想って泣いても、それでも愛しています」


 愛など口にしないでくれと叫びたかった。

 ただでさえヒューバートを思い出させるような事件がたくさん起きているというのに。ヒューバートが死んでからでないとアイラは愛に気付かなかった。彼とずっと一緒にいるものだと思っていたから。愛しているなんてこんな熱量で伝えたこともなかった。


 レジェスは答えなど求めていないようにその後は普段通りに振舞っていた。アイラも少しおかしくは見えただろうが、何も聞かなかったかのようにいつも通りに過ごした。

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