第10話

 用意させた軽食を前にしてもレジェスの顔色はいつもより悪い。青白いというべきか。赤い髪と対照的で何とも気になる。


「どうした、元気がないな。体調が悪いのか。それとも公爵家で何かあったのか」


 後者であればアイラは返答を期待していなかった。実家がいくら嫌いでも、アイラに実家の弱みを軽々と喋るとも思えなかった。それほどの関係性でもない。


「陛下がおっしゃられた通り、見舞いに行って良かったです」

「それなら良かったな」

「あれほど痩せた母を目にするとは予想しておりませんでした」


 アイラは軽食を選ぶために皿に目を向けていたが、レジェスの皮肉を含んだような言葉に視線を上げた。


「後悔しているか」

「いいえ。ショックは受けていますが、明日になったら行って良かったと思うでしょう」

「今は後悔しているではないか。私が行けと言わなければ良かったか」

「いいえ。そもそも一度目は何の先触れも出さずに帰ったので、母にはみっともないからと会ってもらえませんでした。今日やっと見舞えたのです。両親のことは嫌いであるはずなのに、病床の母の姿を見てショックを受ける自分が嫌になっています」


 サンドイッチを口に入れて飲み込んでからアイラは頷いた。


「よく分かる。だから私は父の見舞いには行かない。決して父のこれまでの行いを許したくないからだ」

「私は母を、両親を許したわけではありません」

「それはそうだ。そなたについている傷は深いから」

「私を、慰めていただけますか?」


 アイラは軽く笑ったが、嘲笑に見えるかと不安になってすぐに表情を戻した。


「ここへ座れ」


 自分の横を叩くと、レジェスはゆっくり移動してきてアイラの横に腰掛ける。アイラはサンドイッチを選んでレジェスの口を開かせると押し込んだ。


「私は大事なことを言わない男は嫌いだ」

「皇太子殿下のことは申し訳ありません」

「まぁ、それはもういい。私も大人気なかった。兄の死の原因である皇太子に会ってあれほど心が乱れるとは思っていなかった。兄の死は自業自得なのに。そなたは帝国とこれからも仲良くしていくのに大きな役目を果たすだろう」


 レジェスは不味い草でも食べているかのような表情でサンドイッチを咀嚼する。喉仏が動くのを見てからまた別のサンドイッチを詰めた。

 大人しく咀嚼するレジェスをアイラはしばらく眺めて、あることに気付いた。


「そなたの目は夕焼けの色だな」


 濃いオレンジは何の色だったかと考えていたが、夕焼けだ。今日、執務室で粗方仕事を終えたと伸びをして見た夕焼けの色だ。


「私の目はお気に召していただけましたか」


 レジェスの目元を無意識に指先で触っていたので引っ込める。


「気に入った」

「陛下の前では頑張って瞬きをしないでおきます」

「無理はしなくていい」


 レジェスは本当にしばらく瞬きをしないでいたが、やがて渇きに耐えかねて目を瞑ってしまった。アイラは一連の当たり前の流れに思わず笑った。レジェスも瞼を押さえながら笑う。


「陛下はなぜ父親である先代陛下を許せないのですか」

「ヒューバートを殺したかもしれないからだ」


 ひとしきり笑っていたレジェスは急に表情を凍り付かせる。アイラにとっても言うつもりはなかった言葉だった。ナタリアにもケネスにも漏らしていないのに、なぜこの男に言ってしまったのか。目の前に傷ついた自分のようなレジェスがいたからか。


 それとも先ほどナイルから聞いた花言葉と、あの日付のせいだろうか。即位のパーティーの日からヒューバートの誕生日まで999本の白いバラが届く手はずになっていると聞いたからか。


「おかしいだろう。これほど調べても殺害犯も黒幕も捕まらないのだから先代陛下を疑うのは当然だ」

「はい」


 アイラはうっかり漏らした内心を悟られないように、サンドイッチを摘まんだ。


「今の話は内密にするように。でないと父が急死したら私が疑われるからな」

「先代陛下はすでにいつ亡くなってもおかしくありません」


 冗談にするつもりで言ったのに、レジェスが大真面目に返してきたのでアイラは肩をすくめた。


 いい頃合いではあっただろう。レジェスもそろそろアイラが自分を抱かないことに疑問を持つだろうから。あの父親を目くらましにできるだろうか。


 アイラは犯人が分かるまでは体の関係を持ちたくなかった。ラモンは本さえ読めれば気にしていないだろうし、ケネスは何となく分かってくれているはずだ。ナイルにどう説明するか。彼は積極的ではあるものの、身分などでやや自虐的な傾向があるし、強く何かをアイラに主張するわけではないから今は調べものに注力させるか。


「父がある菓子を陛下のために手に入れたと張り切っていたので今土産をお渡ししても?」

「あぁ、先ほど言っていたな。何だ?」


 考え込んだアイラを現実に引き戻すように、レジェスは白い箱を持ってきた。

 開けようとするレジェスの手を握って止める。


「これは?」

「陛下が王女時代にベルテ地方に視察に行かれた際に召しあがったお菓子です」


 アイラの視線は箱に描かれた白いバラの模様にいっていた。そのほかは何の変哲もないただの紙の箱だ。


「記憶にないな」

「かなり前ですからね」


 レジェスは箱を開ける。中から出てきたのは宝石のようなカットの色とりどりの砂糖菓子だった。


「パートドフリュイ」

「はい。陛下が視察で行かれた際にこれを好んでおられたと父が話しておりました。これほど美しいのに王都ではなかなか売っている店がありませんから。帝国でも一部地域で大変流行ったことがあります」

「そうか」


 息がうまくのみこめないのを気取られないように、菓子を一つ摘まんでかざす。


「お気に召しませんでしたか?」


 隣にいるはずのレジェスの声が遠くに聞こえる。

 ヒューバートを視察に伴って行った際に食べた菓子だ。それに箱の白いバラ。なぜこうも立て続けに周囲からヒューバートのことを突き付けられているのだろう。アイラは忘れていないのに、周囲がそれでも忘れるなと強く押しつけてくる。


 アイラは手に持っていた菓子をレジェスの口に押し込んだ。


「毒見が必要でしたね」

「そなたは私に慰めて欲しいと言わなかったか? それなのに土産を差し出して私の機嫌を取っている」

「陛下が笑ってくださると、私も慰められます。しかし、この菓子は正解ではなかったようです」

「そんなことはない。懐かしい」


 もう一つ菓子を取ってレジェスの口にまた押し込む。レジェスは苦笑していた。


「今日は元気のないそなたに無理矢理食べさせたい気分だ」

「おや、陛下が私の母親でしたか」

「こんな立派な子供を生んだ覚えはないな」

「そうですか? 赤毛の鳥を可愛がりませんか?」


 レジェスは菓子がなくなると、口をひな鳥のように開けた。せわしない翼の動きを模倣するようにレジェスは手をパタパタと振る。


 大の男がひな鳥の真似をしている様子にアイラはこらえきれずに吹き出した。ひとしきり二人で笑いながら、思わずアイラはレジェスにすべてを忘れて抱きつきたくなる。彼はアイラの側室なのだから抱き着くのもそれ以上も何の問題もない。


 迷いを振り切るように、アイラはまたレジェスの顎をつかんで口を開かせて菓子を押し付けた。レジェスがアイラの腕をそっと掴む。


「甘いものはもしや苦手だったか」


 レジェスの口に指を押し付けたままアイラが問うが、レジェスは軽く目を伏せてアイラの指をぱくりと咥えた。ぺろりとアイラの指を舐めてからレジェスはゆっくり腕を放す。


「私は可愛いひな鳥なので、間違えて陛下の指を食べようとしてしまいました」

「自分で可愛いなどと言うでない」


 白々しい言い訳にアイラは呆れて笑った。


「陛下が慰めてくださるとおっしゃるので、私も口付けをしていただけるのかと期待しました」

「慰めて欲しいと言ったのはそなただ。私は隣に座れとしか言っていない」


 あぁ、そういえばナイルとのやり取りをこの前見ていたのか。レジェスはいつものような笑いを浮かべながら少し思い出す素振りをして頷いた。


「そういえばそうでした」

「母親の病気のことで落ち込んでいた心はどうだ。私が何か言ったところで意味はないだろうが」

「これは両親と会話してこなかった私の問題ですから。頑張ってみますが、今日はまだ落ち込んでいてもう少し陛下に慰めていただきたいです」


 落ち込んでいるくせに、アイラの顔色を窺って笑わせようと頑張ったレジェスをいじらしく思った。アイラの前でレジェスは再びひな鳥の真似をしている。


 この男の家が、プラトン公爵がヒューバートを殺したかもしれない。この菓子と白いバラが描かれた箱はアイラへの挑発か脅迫かもしれない。

 アイラはすべてを疑わなければいけない物悲しさを押し込めてレジェスを抱きしめると、額にキスを落とした。


「そなたが可愛いひな鳥であることを祈っている」

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