第20話 おやすみなさい

 音量は落としたままにしていた。

 小さ画面のなかで、古い映画スタジオはみえない怪獣によって破壊されてゆく。

 リョウガは電車に揺られながらスマートフォンの画面を眺めていた。通勤用に使っている安価なリュックサックを胸に抱え、座席に座っていた。同じ車内には、リョウガと似たように帰宅途中と思しき人々がそれぞれのスマートフォンの画面を眺めていた。動画を観る者、ゲームを者、記事を読む者、写真の群れをスクロールさせ続ける者。

 車窓の向こうには夜が広がっていた。時刻は深夜に近い。点々と明りのついた町の景色が流れている。

 動画が公式にアップロードされたのは三日前だった。動画の再生が終わると、リョウガは再生ページを閉じた。

 サイトのトップ画面が映し出される。そのままじっとみつめた。

 ネット上にはショウについて新しい情報が常に溢れていた。それも、日に日に増してゆく。ショウのプロジェクトは順調に進行している。

 車内へ視線を向ける。じっと画面を見続けている乗客がいる。スマートフォンを握ったまま眠っている客もいる。その光景のなかにリョウガもいる。

この光景の中にいると、泳ぎ慣れた海にいる気分になる。

 これがおれたちの世界だよな。と、その領域へ神経をおいた。

 神経をおいて、ただ、それだけだった。そこからあたらしい何が始まる予感はしなかった。

 そのときリョウガの持っていたスマートフォンが振動した。ヒメからの着信だった。カメラ通信だった。

 リョウガは何もせず、じっと着信中の画面を眺めていた。だが、振動はいつまでも止まない。しぶとい生き物みたいに動きつづける。

 何もせずにいると、やがて、周囲の乗客も気づき、不思議そうな表情で一瞥した。

 振動は三分以上経っても続いた。つい、苦笑して下を向いた。それからまもなく電車は駅に停車した。立ち上がり、リュックサックを背負って降車した。

 ホームに降りる。乗客たちは改札口へ向かっていった。その駅から乗り込む者はほとんどいなかった。皆、足早に改札へ向かう。リョウガだけがそのままホームに残った。着信はその間も着信は鳴り続けていた。執念を感じた。出るまで絶対にあきらめるものかという気配がする。

 留守番電話の設定にしていなかったことが、致命的だった。拒否ボタンを押しても、また、すぐにかかってくるだろう。

電源を落とすか。そうも考えた。

 リョウガはホーム上に設定された空調なしのガラス張りの休憩所へ入った。なかには誰もいない。ひとり、その中にいると、ガラス張りの虫かご気分になった。

 その場に立ったまま通話ボタンを押すと画面にヒメの顏が映った。自室なのか、背後にベッドと、本棚が見えた。着ているものの襟首の形から学生服のままと思われた。

『あ』

 けっきょく仕掛けた方が繋がったことに軽く驚き、瞬間、小さな声を漏らした。

『やった、勝った』

 小さな勝利の声をあげた。リョウガは黙って見返していた。が、やがて、ため息を吐くために一度、顔ごと視線を下へ外した。

『というか、つながるし! 壊してないし、スマホぉ!』と、怒り『ってぇ、そこどこ?』すぐに怒りを収めてそう聞いた。

「駅のホーム」

『うぉ、ああー………ごめん、まだ家じゃなかったんだ。こんな時間だからもう家かと思ってた………』

 だから、わかった、じゃあ今日はやめとくね。

 とは続けない。

『ねえ、元気?』

 むしろ、いつもよりわざとらしく明るい声をかけてくる。

 それはきっと、向こうの画面に映し出されている仕事帰りのリョウガの顏があまりにひどいからだった。気遣いからの声かけだと思われる。疲弊した相手へわずかでも生命力を足してやろう、と考えたのかもしれない。

 だからひどく芝居じみている。現実を乗り切るための演技力不足といえた。だが、献身は充分に感じられた。

 勿論、感じとったそれはこちらの勝手な思い込みの可能性もある。しかし、もしそうだったとして、かつて怪獣に壊された遊園地の瓦礫から引っ張り出した少女が、いまは人に何かを与えられる側の人間になっているとしたら、それはそれでよかった。彼女は悪い状態からは脱した。そんなことを考え、また苦笑してしまった。

 どうやら他人の良いところをみつけることで、じつは必死に、自分自身を良い生物にしようとしている。一度、ひとを滅ぼそうとまで思ったような人間だった。そこから、どうにかして遠ざかろうとしている。

 けど、なんだろうな、これ。頭のなかでつぶやく。当然、そのつぶやきは誰もとらえてくれるはずもない。なんとか、この体内だけで核廃棄燃料物を処理しようとしている気分だった。ショウと会ってから、ずっと、その気分のままでいる。

 いや、だいたい、核廃棄燃料物となんだろうか。気付くと、ずいぶん物騒なものを持ち出して自身を表現するようになっている。まえはこんなものは持ち出さなかった。

 けれど、もう引き返せない場所に立っている。もはや、画面の向こうのヒメ側の世界が、元いた世界に思えてならない。

 そこまででやめておいた。いや、おおげさ過ぎるんだよお前は。と自身へ苦言した。いつの間にか、この世界を背負っている気分になっていやがる。居心地でもよかったのか。ニヒリズムを働かせて自己を落ち着かせた。

『元気じゃないの?』

「疲れてる、寝れば少しはなおるよ」

『ごめん………わたし、安眠妨害をしかけてたのか………』

「いいんだ、どうせ電車じゃ寝れない体質だ」

『あ………もしかしてかけてたとき、ずっと電車にのってたの………うわ、さらにごめん………』

「もう降りたからだいじょうぶだ。人もいない、いまなら自由にしゃべれる」

『いや、そういわれたものの………べつにするどい用事とかはない………』

「鋭い用事って、なんなんだ」

『え、ああ、さっき読んでた本で出てきた表現。すぐ使ってみたいから使ってみた。なんだろ? 貴方ならこういう戯言とか、耐えれそうだし』

「そうなのか」

『うん、なんかさ、まわりにいる友だちとかには、思いついたけど使えない言葉って、けっこうあるんだよね。ま、読んだ本にすぐ影響されるわたしの底の浅さは、みとめるとして、だ。でも、こういう言葉で伝えるほうが、より、わたしの頭なかのことが伝わるはずだ、ってー、そういうある。なんかそれを友だちとかに使うって話すと、ヘンな人ってシール貼らされやすいの………んん、いえ、ヘンなシールっていうか、ヘンなレッテル? ってか、同じものを人と違う言葉で表現すると、なんかダメなんだよね、やられるの。そりゃあ、わたしがしゃべるのヘタだって問題はぜんていにある』

 ヒメはなるべく自分を客観視しようとつとめながら話している気配がある。油断すると、すぐ主観で走り出す自分を知っていて、細いロープを絶えず握ってなんとか、制御を試みている。全身を駆使したい気持ちがある。全力を出したい。だが、思ったように、それでもやろうとする。

 画面の向こうの少女は、どうすれば、自分のなかにあるものを、自分の持ちものとして、扱えるようにできるか模索のなかにあった。この夜に、自分の部屋のなかで、たどり着ける方法を探している。

 対して自分はどうだろうか。

 無尽蔵に生産される皮肉で腹がいっぱいだった。いずれ、さけて黒いのを地面にこぼしそうだった。

 血がたりない。なんとなく、そう思った。片づけるためには血が必要だった。

『いや、ホントに、ただ元気かな? っと思っただけなの』

「ああ、元気だ」

『どれくらい元気? ちゃんと食べてる、ん?』

「むかしより食ってる。さいきんは、気づくと動物みたいなメシの食い方になってる」

『それ、どの動物かによるよね』

 言って笑った。ヒメはさらに話を発展させようとしかけたらしいが、ふと、太い眉毛ゆっくりと定位置へ戻した。相手が意識して眉毛の動きを抑制していたがわかった。

『そろそろ寝る』

 自己都合でかけておきながら、自己都合によって終了させる。

 しかし、それはこのまままだ自宅にも戻っていない相手への配慮とも、もとらえることができた。このまま長引けば、休む時間も減り、明日がつらくなる。

「そうだな、寝るといい。おやすみ」

『おやすみなさい』

 そういうと、ヒメは軽く手を振って通信を断った。

 リョウガは誰もいないホームの休憩所で次の電車を待った。

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