琴事。

四月

 新しいものが嫌いだ。新品の文房具や、洋服に、新作のコスメも。新しい友達も、恋人だって。

 だって、全部私にとっては意味がない。


「じゃあ、本を読む会の活動を始めます! って言っても、今日は改めての活動紹介と、あと自己紹介ぐらいしかやらないんだけどね」


 だというのに、どうして私は今ここにいるんだろう。例によって嫌いな新生活、新学期。大学生になったことによって始まったそれらに、ようやっと慣れてきたGW明けの五月。このまま私にとっての当たり前に馴染ませていこうと思っていたのに。


「あっ、上級生の自己紹介終わったら、新入生の皆にも軽く自己紹介お願いするので! 考えておいてくださいね」


 ……どうして、ここにいるんだろうなあ。



 サークルなんて入るつもりがない私に、母から投げられた言葉はこうだった。


「アンタ、サークルとか入んないの?」


 夕飯時、そう投げかけられた話題には驚いた。だってうちの食卓と言えば、妹と母だけがにこやかに話す横で、私は黙りこくっているのが当たり前だったから。


「……入んない、けど。なんで?」


 口の中のものを飲み込んでからそう返せば、先に声を上げたのはお母さんじゃなくて妹だった。


「えー⁉ 勿体ないよ! せっかくの大学生なのに」

「そうそう、どうせなら大学生らしいことしなさいよ、アンタ」


 あくまで提案。あくまでアドバイス。言葉だけ見ればそうだ。……でも。


「……じゃあ、なんか探してみる」


 ここで私が反対意見を出したら、面倒なことにしかならないことを、私はもう知っていた。つまるところ、家で私に拒否権なんてないのだ。



 そうして見つけたのが、今日参加している本を読む会だった。大学の公認サークルで、でもそこまで忙しくなさそう。たくさん本を読むわけではないけど、読むこと自体に抵抗感があるわけではないし、その上でたぶん、お母さんに反対されないやつ。

 ただ、自分で選んでおいて何を言っているんだ、という感じではあるけれど。新しいものが嫌いな私にとって、これまでのサークル探しも、今日この場に居ることも、ストレスにしかなっていなかった。それでも、サークルに入らないという選択肢はないのだから、早く慣れていかないといけない。憂鬱で染まった息を吐きだしそうになって、ぐっと飲みこんだ。


「二年生の自己紹介が終わったので、次は一年生にお願いしようかなー。順番どうしよう、我こそは! って人いる?」


 そう言ったのは、代表を名乗った三年生だ。それに対して「手上げづらいでしょそれ」と別の先輩が笑う。それだって、正直どうでもよかった。トップバッターにはなりたくないなとは思ったけど、それだけだ。


「そしたらー……まあ無難に、座ってる順に行こうか。そっちの、入口に近い方から」

「あっ、私ですね?」


 先輩に指されて声を上げたのは、一番入口側に座っていた女の人だった。女の人、と称したのは、なんだか同世代には見えなかったから。


「じゃあ先輩方にならって、まず名前と所属から。佐藤千尋です。文学部歴史学科の一年」


 茶髪のショートボブで、緩くパーマもかけているその人は、ためらいなんてないように立ち上がって話し始めた。その姿がなんだかすごく堂々としていて、思わずそちらを見る。


「ただまあ、見た目からお気づきの方もいるかもしれないんですけど……社会人入試で入ってきてるんですね。だから今二八です!」


 ざわり、小さく空気が揺れる。先輩の一人が「えっめっちゃ先輩だった」と呟いたのが聞こえた。


「そんな感じなので、先輩方も同級生の子たちも扱いに困ると思うんですけど、普通に下級生とか同級生として接してもらって大丈夫なんで! 敬語とかも気にしなくて大丈夫です!」


 ざわめきを受けてやや苦笑したその人は、けれどそんなこと気にしないと言わんばかりにからりと続けた。


「あとは……ここのサークルに入った理由とか喋ろうかな。私は学科から分かるように歴史が好きで、歴史小説もよく読むんですね。ただ本ってお高いじゃないですか。図書館はもちろん使いますけど、読みたい本ない時もあるし。で、サークル紹介の時にお話聞いたら、部室の本は好きに読んでいいし、サークルのお金で数冊なら好きな本買えるって教えてもらったので入りました!」

「じゃあ金目当てってこと?」

「人聞きが悪いですよ! もちろんちゃんと活動には参加しますし、できる限りの貢献もしますとも」


 茶化すように言った先輩の一言に、その人はややわざとらしく不満気な声で返した。そこには、怯えだとかそういうものが全くなくて、素直にすごいな、と思う。


「まあそんな感じで、よろしくお願いします! ほんと、気軽に話しかけてくださいね」


 そう締めくくったその人は、にっと笑った。その笑顔が、なんだかすごく印象深かった。



 異例の一年生をきっかけに始まった自己紹介は、それ以降もさくさくと進んでいく。人数がさして多いわけでもないから、私の番もすぐに回ってきた。最初の人にならって立ち上がって、できるだけ集まる視線を意識しないようにしながら喋る。


「山本さくら、文学部英文学科の一年生です。サークルに入ったのは……」


 そこで一瞬詰まった。親に言われて入ったって言うのは、なんだかよくない気がしたから。少し迷って、それっぽい理由を口にする。


「最近中々本を読めていないな、と思ったので。大学生になったんだから、もっと色々読んでみたいなと思って、入りました」


 最後に「よろしくお願いします」と小さく頭を下げてから座る。ぱちぱち、とまばらな拍手が聞こえた。まあこんなもんだよな、と思いながら次の人の自己紹介を聞き流す。

 その日は、それ以降特別何かあるわけでもなく解散した。

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