独身女子の憂鬱 麗香視点
「ごめん、山口さん。子供が熱出しちゃって。仕事途中だけど、明日来れたらやるから」
麗香の一つ上の先輩は、少し体が弱い二歳の子がいて、今月だけでもう5日も休んでいる。明日きちんと出社する可能性は限りなく低い。
「いいですよ、私残業できるんで」
苛立ちを隠して、口元だけで微笑みを浮かべて子持ち社員に理解のある振りをする。
嫌な顔をすれば、陰口を叩かれるのは目に見えているし、拒否したところで自分の評価が下がるだけだからだ。
同僚たちも次々出産して、育児休暇を取ったり、時短勤務をしている。復帰したとしても、子供が熱を出したりして、しょっちゅう休んだり早退する。
病気の子の世話をするのは、倫理的に真っ当なことで文句を言えるようなことではない。たとえ正しい行いのしわ寄せが誰かに来たとしても。
男性社員が育休を取るケースも多少はあるが、やはり子育てのメインが母親であることは変わらないように思う。
男女平等なんて、男性が出産するようにならない限り無理だ。
出産しても男性並みに働くというのは、どこかで無理が生じると思う。
だから結局経済力がある男性が婚活市場では人気がある。
ちらりと仕事中の誠を見る。
仕事は優秀で真面目で人望が厚く、女子社員にも人気だ。営業成績もよいから、このままいけば順当に出世していくだろう。
──不倫してるなんてバレたら、総スカンだろうな。
暗い気持ちで残業を終え、家に帰ると、ポストに友人から結婚式の招待状が届いていた。今年になって何回目だろう。
幸せそうな報告に胸を痛めている自分を認めたくない。
人の幸せを素直に祝福できるのは、満たされた人間だけだ。恵まれてもないのに、それができるなら聖人だ。
20代最後の貴重な時間を不倫に割くなんて、愚かなことはしないつもりだった。それなにモテてきただけに、こんなに結婚で焦るとは思っていなかった。
だが、会社でも優良物件はすでに誰かのものであることが多く、思うようにいかない日々に苛立っていた。
最近プライドを捨てて結婚相談所に登録した。年収で相手を足切りできるのは合理的な制度だと思う。
──出会ってから結婚するまでに1年かけて、そこから妊娠したら第一子は何歳になるのか。そこから二人目が欲しいとしたら……。
考えると焦る。
誠と関係を持つ前、奥さんといるところに偶然出くわしたことがある。
二人で楽しそうにカフェで食事をする姿は、ほほえましく、理想の夫婦に見えた。
『泉さん、今日は奥さんとデートなんですね』
『うん。そうなんだ』
子供がいない夫婦はまだ所帯じみていなくて、奥さんもお洒落できれいにしていた。都会の理想のカップルに見える。
『きれいな奥さん』
なんだかふわっとして優しそうで、男が守りたいとか言い出すタイプに見えた。
『初めまして。主人がお世話になっております』
たしか少し前に結婚7年目と言っていた。二人を見て、結婚願望がより刺激される。
その後、なにかの会話中に誠は妻が子供ができないことを悩んでいると聞いた。
何不自由ない幸せそうな夫婦にも悩みがあるのだと知り、安心した。そして他人の不幸に安心している自分に気づいて嫌になった。
──こんなの負け組の考えじゃん。
それから、なんとなく誠のことを見るようになり、飲み会のあと酔ったふりをして関係をもった。
──あんなに奥さんを大事にしてそうな人でもこの程度か。
落胆すると共に、誠の妻にほの暗い優越感を覚えた。幸せなんて脆いものだ。でもその脆いものすら手に入れられない自分。
婚活の息抜きに不倫はちょうどよかった。本気になりすぎないでいられるし、寂しさも紛らわせる。
その程度のつもりだったが、誠が麗香の婚活を心配したり、妻の話をするたびに苛立ちが募っていく。
──奥さんといるより、私といる方が楽しいはず。
今週末は、初めて休日にデートする。誠が麗香の誕生日だからと前から行きたかったフレンチを予約してくれたのだった。
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