Don't leave me alone! レヴィアたん

粟沿曼珠

第1話 美少女、深淵より来たれり

 ファーストキスはディープで、ソルティだった。






 海と山の狭間にあるこの街。かつての栄華の象徴は人口くらいしか無い、高齢者ばかりの寂れた街。

 見方を変えれば穏やかな街である。東京のような喧騒も無く、娯楽もそれなりにある。観光客——は近年できたカフェとかパワースポットとかの影響で増えてはいるが、それでも多い訳では無い。

 騒がしいのが苦手な俺にとっては充分住みやすい街なのだ。


 休日はよく海に行って釣りをしている。『逢瀬』というまるで男女の出会いがありそうな場所があるのだが、地元では魚と出会う場所——もとい釣りスポットとして有名だ。

 今日も今日とて釣り糸を垂らし、折り畳み式の椅子にどっしりと腰掛け、イヤホンから音楽を流して水面をじっと見つめる。

 家にいることが嫌いな訳では無い。ただこうしてぼーっとしている時間が好きなだけなのだ。それに夕食のおかずにもなるし。


 呆然と魚が掛かるのを待ち、次第に日は傾く。青かった空は赤く、鳥は南へと飛んで行く。

 しかし海は変わらず静謐であった。小さな波が押し寄せ、時々魚が水面から跳躍する。ただ、それだけ。


「……今日は釣れないか?」


 そう独り言ち、苦笑交じりに静謐な海を眺める。波の随に揺れる釣り糸、穏やかな潮騒がこだまし——


「——あら?」


 暗い海に僅かに釣り糸が引き込まれた。ぴくぴくと浮きが浮いては沈み——


「——ちょぉっ!?」


 まるで海が釣竿を呑み込もうとするが如く、釣竿が海にがっと引き込まれていった。咄嗟に手を伸ばして辛うじて掴み——


「うわ重っ!? 何だこれっ!?」


 明らかに小さな魚のものでは無い、重々しい食いつき。人間並みの掃除機があるとすればこのようなものではないか——そう想像してしまう程に強烈な勢いで引っ張られる。

 それと同時に、こんな所にこんなに大きな魚がいるのかと愕然とした。何年もここで釣りをしているが、自分は勿論、他の人が遭遇したという話を聞いたことも無い。


「だ、誰かーっ! 手伝って下さいーっ!」


 俺の叫びを聞きつけ、よくここで釣りをしているオッサン二人が駆けつけてきた。オッサン達もまた竿を、或いは俺の体を掴み——


「うおーッ!? こんなのがここにいたのか!?」

「でかしたぞ涼ちゃん!」


 その重みを感じるや否や興奮を露わにした。やはり、オッサン達も見たことの無いような珍しい魚なのだろう。

 海に引きずり込もうとする力にオッサン達と共に抗い——


 遂にそれが顔を見せた。


「……へ?」


 そう、である。

 俺達が釣り上げ、水面に浮き出たもの——それは、


「うわぁ水死体だァーッ!?」

「コレ土左衛門!」


 ——え、これ、死体……? 死体を釣り上げたの……? け、警察に通報……?


 などと考えるが、体は全然動かない。

 耳を劈く悲鳴と共に逃げるオッサン達の声、その音がどんどん遠のいていき——


 死体の目が開いた。


「ぎゃあっ!?」


 思わず尻餅をつき、堤防を這いずって恐る恐る浮き上がった死体を細目で覗く。

 生首は目を見開き、呆然と赤い空を眺めている——その顔は美しく、同時に違和感を覚えた。


 ——何と言うか、死んでいる気がしないような……?


 西洋人を思わせるような、黄色味の無い白磁の肌。水面にぶわっと浮かんでいる黒髪は人の長さ程あり、先端の方に行くにつれて光のように輝くブロンドの髪となっている。そしてその双眸は、さながら爛然と輝く満月の如し。

 違和感はその西洋人のような顔だけで無い。実際に見たり調べたりした訳では無いが、水死体だとすれば水膨れしているはずであろう。

 しかしこの死体にはその様子が無い。その相貌は一切の歪みや穢れの無い端正なものである。


 ——というかそもそも問題、何故釣り上げられたんだ……?


 その不気味で神秘的な様に自然と引き付けられ——


 今度はその満月の双眸がこちらを照らした。


「ひぃっ!?」


 総毛立って再び尻餅をつき、後退りする。

 直後、釣竿が海へと引き込まれ——


「…………」


 


「ぎゃぁ————————っ!?」


 その体もまた白磁の肌で、身長は百五、六十センチ程度といったところだろうか、幼女と言うには大きく、大人と言うには小さい。

 死体が動いたという事実に戦慄を抱くと同時に、神聖な美しさを感じずにはいられなかった。すらっとした体には無駄な肉が付いておらず、西洋の絵画や彫刻に見られる女性を想起させる。

 つまり——裸だ。最初から着ていなかったのか、何かの拍子に脱げたのか、その乳房も、女性器も、全てが露わになっている。

 毛は無い。


 などと思ってはいるが、興奮はしていない。できるはずが無い。

 眼前に現れたのは死んでいたであろう未知の存在、生ける恐怖——神なのか、悪魔なのか、或いは別の何かなのか。


 未知がゆっくりと迫り来る。体に突き刺さった釣り針を引き抜き、大人程の長さの髪を引き摺り、一歩、一歩、一歩——


 それと同時に俺の尻も自然と動いていた。一歩寄ってくる毎に後退り、心臓の鼓動は高鳴り、それに脳がかき混ぜられる。


「……——」


 こちらを見下ろして女性は何か声を発したが、聞き取れたのはそれが恐らく日本語や英語では無いという事実だけだ。


 ——会話……いやそれどころじゃない……警察に——!


 そこでようやく警察に通報するという発想に至った。

 ポケットに手を突っ込んでスマホを取り出し——


「————!」

「ひぃっ!?」


 語気を強めて言葉を発した女性、その顔が俺の顔のすぐ目の前にまで迫っていた。

 海の磯臭さが鼻腔を刺激し、思わず顔を顰めてしまう。


 体を動かすことさえ恐怖に感じ、ただただ眼前の女性を見つめることだけしかできなかった。


「あ、ああ——」


 できないことは少し考えただけで分かるのに、自然と会話しようと言葉を探していた。ああ、と唸って言葉を探し——


「んむぅっ!?」


 突如俺の顔が女性の顔に吸い寄せられた。

 後頭部に両手が当てられ、俺の顔が——否、口が勢いよく向かった先は——


 女性の口であった。


 自分の唇を彼女の唇に当てられ、舌が捻じ込まれ、絡みつき、飲み物を飲むかのように吸われる。

 頬が熱くなるのが感じられた。如何に未知の存在に対峙し、恐怖に身を震わせ、磯臭さと共にファーストキスを奪われようとも、人間の本能故か興奮してしまった。


 ——いや待て。


 もしファンタジーやSFの存在が現実にいるとして、じゃあこの行為は何だ?

 これと全く同じでは無いが、似たような現象に心当たりがあった。

 吸血鬼の吸血、ゾンビの噛みつき、宇宙人の触手の植え付け——つまり、己の同胞を増やす行為。

 仮に彼女がただの人間なのだとしたら、こんなディープキスをする必要が無い。そもそもこの行為に至る道理が無い。


 そう考えたのと同時に、悪寒が全身を巡った。


 ——俺、こいつの仲間にされる——!?


「ん゛む゛ぅ゛————————っ!!!」


 先程まで碌に動かなかった俺の体が、途端に激しく動き始めた。

 白磁の体に手を伸ばし、掴んで引き剥がそうとする。しかし女性は逃すまいと俺の顔をより強く寄せ——


「っはぁっ!?」


 途端に顔が——体が吹き飛ばされたかのように仰け反った。満足したのか、それとも既に彼女の同胞と化してしまったのか、彼女は手を放したのだ。

 その勢いのまま堤防に倒れ、背中に激痛が走る。


「痛っ!」


 背中の痛み、海の磯臭さ、赤く燃え上がった空、口の中で混ざり合った唾液——まだ人間であることを実感し、そのまま仰向けで空を見上げ——


 ——いやそれどころじゃない!


 はっとすると同時に心臓の鼓動がどくんと鳴り、体を起こし——


「——あー、オッス、オラ、レヴィアタン……? これでいいのかな……?」


 先程まで謎の言語を話していた女性が、困惑と微笑の混ざった表情で手を振り、日本語で話しかけてきた。


 ……というか何故その台詞を知っている?

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