アスピーの花言葉

にしまき。

第1話 風に揺れる月

「あなたはもう少し思いやりを持ちなさい」


「人の気持ちも分からないの?」


「空気を読みなさい」


蛍にとってこのお説教の数々は、正規品のプラモデルたちに内蔵されたマニュアルに過ぎないのだ。


人の気持ちなんて目に見えないもの、分かるはずがない。


だって、目に見えないのだから。


「空気は読むものじゃない。吸うものだ!」


目覚まし時計が鳴り響く朝、この16年間で聞いてきた名言の中で最も納得の行った名言をでかでかと口にし、今日も学校へと足を進める。


暖かな太陽の下を優しく吹きつける薫風は、たしかに夏の香りがした。


いつもと何も変わらない校門を抜けた先に立っている頭髪の薄い校長と目が合う。


「コーチョー先生の仕事は、こうやって立ってるだけ?」


「失礼なことを聞くんじゃない」


「えー?なんで怒ってるの?」


「夢ノ瀬、ちょっと職員室に来なさい」


ただ気になったから質問しただけの蛍は、ムッと顔を顰めながらも職員室へと歩いた。


職員室での長いお説教の内容は、とっくに聞き慣れたものだった。


目上の人には敬語を〜だとか、他者を気遣った発言を〜だとか。


そんなこんなしているうちにHRは終わり、一時間目の授業が始まってしまった。


今更授業に参加する気にもなれず、校庭の隅にある裏庭で時間を潰すことにした。


入学以来、この裏庭のベンチが授業をサボる時の定番スポットである。


が、そこには先客がいた。


かれこれ2ヶ月と少しこの高校にいて、それでもはじめて感じる雰囲気を持つ、蛍と同じくらいの年の少年だった。


ツヤツヤの少し長い黒髪から覗く高い鼻と、ふっくらとした唇は、半月の夜を思わせる。


「きみ、誰?」


「え……」


荷物も何も持たず、意味ありげにうつむいていた少年がびくりと大袈裟に肩を震わせ、顔をあげる。


「お、俺は……」


「どうしてここにいるの?何年生?」


蛍は少年の隣に腰掛け、容赦なく顔を覗き込む。


「えっと……何となく、かな」


「学校、好き?」


少年は突然の質問攻めに戸惑いつつも、蛍の方をじっと見つめる。


「いや、あんまり」


「わたしも。みんなわたしが出来ないことをやれやれうるさいから。わたし、出来ないって言ってるのに」


「そっか」


「きっとみんなには“出来ない“って言う言葉だけ聞こえない呪いがかかってるに違いないよ」


「はは!きみ、面白いこと言うね」


「き、きみこそ、不思議なところで笑うね。変なの」


先ほどの根暗そうな雰囲気からはほど遠い眩しい笑顔には、“退屈が裏返る“そんな予感を感じた。


「きみはどうして学校が嫌いなの?」


「ちょっと、色々あってね」


「色々?どんな色々かなぁ……気になるなぁ」


「……なんで俺なんかに、そんなに興味があるの?」


少年の純粋な疑問に、蛍は満面の笑みを浮かべて答える。


「わたしはね、気になることはぜーんぶ知りたいんだ。それにきみって、何だかすっごく知りたくなる目をしてるから!」


「そ、そうかな……あの、俺……」


「世の中のこと全部知るまで、わたしは100歳になっても200歳になっても、ずっとずーっと生きるんだ!……今、何か言おうとした?」


「ううん、何でもないよ。忘れて」


「ふーん。だからね、わたしに意地悪ばっかり言ってくるみんなのことも、いつか知りたいんだ。」


「きみは心が綺麗なんだね……憎くないの?みんなのこと」


「ないよ。この世界にいるみんなは、いつか全員わたしの一部になるんだから」


「……それって、俺も?」


「わぁぁぁ!なんかわたし、ここにいるの飽きちゃった!喉も渇いたし」


「もう帰るの?」


大事な部分をすっ飛ばして突然ベンチから飛び上がる蛍。


「そうだ!わたし、いいところ知ってるんだ。一緒に行こ」


「え……ちょっ、ま……!」


蛍は有無を言わさぬ勢いで少年の手を掴み走り出す。


午前9時40分。


風をきる耳に、一時間目の終礼が掠れた。


今はじめて会った、名前も知らない二人。


でも今は、せめて今くらいは、この風に身を任せてもいいような、そんな気がした。


                                  _続く






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