17 あれれ、何か風向きがおかしいぞ?

 ――だから言ったじゃないですか、玲奈レナさん。


 勝ち誇ったように言い放つ同僚の声に頭の中を侵食ジャックされる。

 やめて、私の脳内から出ていって。眠ってる時ぐらい自由にさせてちょうだいよ。あんたのことなんか考えたくもないんだから、こっちは。顔も見たくないし、話もしたくない。


 「薔薇の誇りこのゲーム」には、悪役令嬢は必要なんです。


「……だ、か、ら、らねえって言ってんだろくそがっ!」


 力強く叫び、がばっと起き上がった。はあはあ肩で息をしながら、全身にびきっと走った筋肉痛に顔をしかめる。

 ん……? あれ、ここどこ? ところで何してたんだっけ、私――同僚とやりあって、残業して酒飲んで寝て、それから……――それから?


「べ、ベネットさん、目が醒めましたぁ……良かったですぅ」


 深いブルーのドレスにフリルエプロンをつけたまるでメイドさんみたいな恰好に、さらに要素をプラスワン……丸っこい眼鏡をかけた女性が半泣きになりながら万歳している。

 薄茶色の髪をアップスタイルにしてごまかしているがくるんくるんのくせ毛が愛らしい――そしてお胸が豊かなこの女性の名を、私は存じていた。


「エレナ・リリーラッシュ先生せんせぇ……」

「あぁお腹すきましたかぁ? ちょっと待っててくださいね、なにしろ一日ぶりですものっ、胃に優しいものを食べましょぉねっ」


 ほわほわん、とした甘い声にぐらぐらと眩暈が止まらない。どうやら私はまだ、悪夢の中にいるらしい。悪夢の中で悪夢をみるとかどんな冗談だよ。

 エレナは第一学年の治癒魔法科目の担当教師だった――つまり私も授業を受けている。そう、ネームドの女子キャラはエレナ先生がいるんだよ。別に乙女ゲーム、男しか出てこないゲームじゃないんだからねっ。

 うきうきしたようすで部屋との境を仕切るカーテンを引いて、エレナが出て行くのを見送りながら私は考えた。

 ここは紛れもなく保健室、のようだ――私がこの学院に来てから初めて利用したが、校舎のどこにあるかも把握している。だが、何故私が保健室にいるのか、そこがまったくもって理解不能だった。

 

「ローゼル目が醒めたって⁉」


 ソウビが保健室に駆け込んできたのは、私がエレナのお手製クリームスープをすすっていたときだった。とろとろに煮込んだお野菜の滋味が五臓六腑にしみわたる。


「あ、おはよ」

「……おはよ、じゃないっての。こっちがどんだけ……!」

「心配させてごめん! とりあえず、このとおり私は元気でやってます」

「はぁ……⁉ 俺はあんたの心配なんてぜんぜん、まったくしてないから!」


 かわゆいのう。否定されればされるほどに愛を感じてしまうよ、相棒マブダチ。うんざりしている風を装いつつ、ソウビは私が座っている隣のチェアを引いて座った。


「あの……エレナ先生に聞いたんだけど、私『魔法戦闘』の途中で倒れたんだよね?」

「……そうだけど」

「え、とね、私じつは演習中の、特に最後のルイーザたちと対戦したときの記憶がほとんどなくてね?」


 なんか、どーん、と爆発音みたいなのがした気がする。あとやたら楽しかったような、けたけた腹筋がよじれるほどに笑い転げたような気もするんだけど授業中にそんなことってある? 


「な、なにを、しちゃったのかなぁ、って」


 おそらく、やらかした。何かを――とても重大な失態を。

 エレナに尋ねても言葉を濁したし、誰か知ってるひとから話を聞かねば、と思ったところでソウビがお見舞いに来てくれたのだった。


「あー、いま言うと……あんたショック受けるかもしれないけど。それでもいい?」

「えっ何何何、その前置きあまりにも怖すぎんだけどもっ!」


 そんなやばそげなフラグを立てないで、でも私ってば何やらかしたのっ。怯えた表情の私にソウビは憐れみの眼差しを向けた。やだやだやだやだっ、やっぱり言わなくていい、心の準備が出来てからにしてっ! そんな私の叫びは残念ながら間に合わなかった。


「実技科目『戦闘演習』、初めての授業中断――担当教師の介入にて、生徒の暴走を阻止」

「は……ひ?」


 暴走、って。誰が、まさか私が? いやいや、そんな馬鹿な。私を誰だと心得ますか、ローレル・ベネット(名前変更可能)ですよ? この乙女ゲームの唯一のヒロイン……。

 嘘だと言ってよ――ねえ、ソウビは私をからかっているんだよね。そうなんだよね? 私が無言で圧をかけても、首を横に振るばかりだった。


「ちなみにいまのあんたのあだ名【狂気の魔女クレイジー・ウィッチ】」

「そんな二つ名あだなは嫌だぁ……!」


 最悪かよ。くそダサすぎるだろ。シリアルキラーでももっとマシな名前つけてもらえるぞ。


「あだ名でぴいぴい言ってる場合じゃないっつの。あんた、要注意薬物使用したってことで『魔法戦闘』落第させるって話が出てるんだから」

「ら……落第ぃ、そんな馬鹿な。え、ちょっと待って、その薬物ってなんのこと?」


 ソウビは頭を抱えて手で目を覆った。ため息が海よりも深い。


「――だよねえ、俺もそう言ったんだから。あの馬鹿みたいに不器用なローゼルが、あれほど複雑な魔薬精製なんて無理だって」

「なんか阿呆の子扱いも腹立つけどそうだよっ、なんの薬品のことかは存じませんけど私、初歩中の初歩、風邪薬すら失敗してるもんね!」

「威張ることじゃないんだけどね、それはね」


 そのとき保健室のドアが開いて、グリーヴが姿を見せた。

 がっくりと肩を落とし、ずいぶんお疲れのようすだ。やっぱり大人って大変だよな。色々なしがらみがあってさ。この世界でも教師陣の権力争いとかあったりするんだろうな、私みたいな子供にはわかりませんけどね。


「おう、目が醒めたって聞いたぜ……って、思ってたより元気そうだな」

「はいっ、クリームスープ美味しいです!」


 ずるずる、がつがつと食べながらソウビと話していた私を見て、わずかにグリーヴの表情が緩む。いいやつだなあ。


「生徒に怪我をさせたとあっては、俺も生きた心地がしなかったぜ」

「せんせぇすみませんー、もう私めっちゃ元気です! ご心配おかけしました」

「そかそか。じゃあよかったってことで、おまえ『魔法戦闘』の単位なしな」

「……え?」


 前言撤回。こいつ鬼だ! 悪魔だ!

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