第8話 婚約者の名前

「……なんだって?」


「私は家から出たいのです。私は今婚約中ですが、もうすぐ婚約破棄になります。今の婚約者は義妹と結婚することになるはずです」


「義妹と……それは酷いな。でもそんなこと、家族は反対するんじゃないか?」


「いえ、家族はもともと私の事を冷遇していましたし、義妹は可愛がられていますから。私には、ただ結婚の為に必要な教育はしてくれていただけです。婚約破棄になったら……家族はさらに私を尊重してくれることはないでしょう」


「……そうか」


「さっきも言った通り、自分の人生を生きたい……でも、残念ながら私は今世間知らずで騙されやすくて、ひとりで家を出るすべを持っていません。もちろん実際に結婚しなくて構いません。婚約者として私をここから逃がしてください。そして、市井で生きて行けるような手助けをしてください。これは、取引です」


 高位の貴族であれば必ず王都以外の家を持っている。そこで生活できるように、手助けしてもらうのが目的だ。


 その間、呪いの進行を止める。

 婚約破棄は汚点になるだろうが、彼にとって悪い話ではない、はずだ。


 私の言葉に、彼は目を瞑った。

 次に目をあいた時、彼は私をまっすぐに見つめ微笑んだ。


「取引か。呪いの進行が遅れるなら願っても居ない。……婚約成立だ」


「っ……ありがとうございます」


「礼を言う必要はない。君に俺の命を任せる。……もし上手くいったら、俺が君を護るよ、必ず」


「……取引ですよ」


「もちろんだ」


 瀕死の人を利用したようで申し訳ない気持ちもあったけれど、微笑む彼は何故かとても優しい瞳をしていて、私はなんだか泣きそうになった。


「ここじゃ流石に難しいので、部屋に行きましょう」


「了解だ、婚約者さま。……連れて行ってもらわなきゃいけないなんて、格好がつかないけどな」


 彼はおどけるように言って、私の腕を取った。



「ここですか……?」


 彼に案内されたのは、王城の一室だった。


 王城では来客も多いため、客室は多い。だが、ここはその中でも奥まった場所にあった。

 警備もしやすく人目につかないように作られた部屋は、貴賓が使うものだ。


「じろじろ見るな。早く部屋に入るぞ」


 戸惑う私は強い口調で促され、慌てて彼を支えながら部屋に入る。

 思った通り、調度品も素晴らしく、広い部屋が広がっていた。


 入ってすぐは応接で、奥にベッドルームがあるのだろう。


「セオドア様……!」


 執事服を着た二十代の男の人が心配した顔で駆け寄ってくる。

 私の婚約者はどうやらセオドアというらしい。


「良かったです! 先程の爆発音、心配していました。よくご無事で……」


 爆発音はやはり彼に関連するものだったらしい。従者は泣きそうにぐしゃっと顔をゆがめたが、セオドアは強い口調でそれを遮った。


「ラジュール。戻ってはこれたが状況は良くない。また呪いをかけられた、今度のはかなり強力だと思う」


「まさか! そんなことまで……驚く程腐っているな」


 悔しそうに唸って、ラジュールと呼ばれた従者は顔を覆った。しかし、すぐに気を取り直したように顔を上げ、眉を寄せ考えるそぶりをする。


「呪術師は見ましたか?」


「ああ。……だが、目の前で自害した。見せつけるようにな。爆発音はそれだ」


 目の前の自害はもう解呪は出来ない、という意思表示だろう。

「……解呪の方は……秘密裏に呪術師を呼ばなくては……。多少貸しを作っても、仕方ありません。問題ないですよね? 時間がないので、すぐに行きます」


「呪術師を呼ぶ必要ない」


「必要ないとは、それはどういう意味ですかセオドア様……!」


 まさかという顔で、ラジュールがセオドアに詰め寄る。

 その顔は絶望と怒りに満ちていて、見ているこちらがひやひやする。


 しかしセオドアは全く怯んだ素振りもなく隣に居た私に目をやる。


「死を覚悟しているとかそういうことじゃない。ここにいる彼女が呪いを遅らせてくれると言ってくれている」


「えっ。……このご令嬢はどなたですか? この事を見越して呪術師をすでに?」


 ラジュールは私の事がまったく目に入っていなかったらしく、こちらを注目し驚いている。

 警戒心露にじろじろと不躾な目で私の事を見たが、セオドアはさらに軽い調子で私の事を紹介した。


「婚約者だ」


「えっ。恋人などいなかったですよね……?」


「今のところ恋はしていないので恋人ではない。政略結婚という奴だ」


「政略結婚をするような時期じゃないでしょう……! それに何なんですか急に。呪いの話なのか婚約者の話なのかさっぱりわかりません! 説明してくださいっ」


「呪われているのにか? 一刻を争うぞ」


 呪いで弱っているはずなのに、これはラジュールをからかっている。ラジュールは慌てたり怒ったりしていて、確かに面白い。


 セオドアも普通の顔を装っているが口の端が上がっていて、私もつい笑ってしまった。


「ちょっと二人して……! ああもう。呪われているのは間違いないんですよね? それでこちらの女性は呪いについて対処できるというのは間違いないですか」


 ラジュールは間違っていたら殺す、という顔で私の事を見てくる。


 主への怒りを私に転換するのはやめて欲しい。


「私の婚約者がおびえているだろう。やめてくれ。ところで君の名前は何というんだ?」

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