微熱
白井なみ
微熱
いつにも増して身体が怠く、寝ている間に頭の中に石でも詰め込まれたのかと疑いたくなるほど、頭痛が酷かった。
朝、仄かな期待を込めて仕事に行く前に体温計で熱を測ってみると、36度7分でガッカリした。
休みたければ休めばいいのだけれど、どうしてかそれが出来ない。会社に電話をして「お休みをいただきたいのですが……」と上司に伝えることの方が、遥かに難しく感じてしまうのだ。
小さな子供の頃は、それほど体温が高くなくとも体調が悪いことを証明しさえすれば、親が学校に連絡を入れてくれた。
当然のことながら、大人になった今は親が会社に欠勤の連絡を入れてくれることなど有り得ない上、仮にそんなことになれば、しばらくの間は職場で嗤い者にされることだろう。
そもそも現在私はひとり暮らしで、私の母親は今頃、私が体調を崩していることなど知る由もなく、みかんでも食べていることだろう。
結局その日、私は会社へ行った。
朝の満員電車の中では至る所でヘクションやらゲホゲホやら、もはやこれでは、電車が運んでいるのが人なのか菌なのかわからない。
ただの風邪ならまだいいが、この時期になると毎年インフルエンザが流行りだす。それだけでなく、3年前くらいにコロナウイルスとかいう新種まで現れた。
コロナウイルスという言葉が世間に認知されたばかりの頃は、職場に一人罹患者が出たというだけで大騒ぎしていた。
当時はどこの店に行ってもマスクが売り切れていたし、終いにはトイレットペーパーまでもが何故か店頭から消えた。
コロナが当たり前のように人々の生活に溶け込んだ今となっては、当時の騒ぎようがなんだか滑稽なように思われる。
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プリンターメーカーは、年末年始のこの時期が繁忙期と言える。主に、年賀状印刷に関しての問い合わせが増えるからだ。それに併せて、インクの注文や故障などのトラブルに関する問い合わせも増える。
脳みそを巨大な手で力を込めて鷲掴みされているかのような痛みと、倦怠感を感じつつもいつも通り仕事をしていた。
しかし、午前11時を過ぎたあたりから、強烈な悪寒を感じて全身がブルブルと震えだした。
頭痛は更に酷くなり、頭の中はオーバーヒート状態だった。
さすがに、この日は上司に言って早退させてもらうことにした。
職場で熱を測ると、38度近くまで体温が上がっていた。
上司は然程興味もなさそうに「今日はもういいから、病院行ってゆっくり休みなさい」と私に言ってまたすぐに仕事へ戻った。
仕事帰りに自宅の近くにある内科へ寄った。なんとか午前の診療時間内に間に合い、診てもらえることになった。
今の自宅へ引っ越してから初めて内科を受診したが、そこはイオンの中にある比較的新しそうな清潔な医院で、看護婦さんや受付の女性の対応も穏やかだった。
時々病院へ行くと、本当にここは病院で、私は患者なのかと疑いたくなるほど辛辣な受け答えをされることがある。
これが自分のことならまだいいが、年配の人が病院でそのように対応されている所を見ると胸が締めつけられて、腹が立つというよりも哀しくなる。
先生は50代前後のやや強面の男性だったが、その声は思いの外穏やかで少しだけ安心した。
「──さん、コロナですよ」
先生は私が椅子に座ってすぐにそう言った。
「あ、そうなんですね」
症状からしてそうではないかと考えていたから、特段驚くこともなかった。
先生は、何日間は会社を休んでくださいだとか、食後にはこの薬を飲んでくださいだとか、淡々と丁寧に教えてくれた。
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強烈な頭痛と悪寒の中、私は気合いを振り絞ってシャワーを浴びた。
シャワーを浴び終わって浴室の戸を開ける瞬間は、冬の中で私が最も嫌いな時間である。
因みに言うと夏の中で最も嫌いなのは、こればっかりはどうしようもないことなのだが、満員電車で汗ばんだシャツと密着している時である。
パジャマに着替えてドライヤーで髪を3/4ほど乾かして、食事も摂らずに処方された薬だけ飲むと、ベッドの中へ転がり込んだ。
強烈な頭痛と悪寒は今も尚顕在である。
その時、スマホが短く鳴った。
通知欄に視線を向けると、職場のグループLINEだった。そのメッセージは今日私が早退を申し出た直属の上司からで、こんなことが書かれていた。
『マスク着用のお願い
各位
◯月◯日時点で部署内にてコロナ罹患者が発生しています。
自身を守るためにも、周りの方への感染を抑止するためにも、マスク着用のご協力をお願いします。』
別に責められているわけではないのだけれど、遠回しに責められているような気持ちになった。
それから間も無く、新着のメッセージが届いた。
同僚であり高校からの友人でもあるMからだった。
『コロナになったんだって?大丈夫かー?( ; ; )仕事のことは気にせずにゆっくり休んでね。お大事にね。』
私はMに『ありがとう!Mに移してないか心配だよ(ToT)手洗いうがいしっかりしてね。』と返してスマホを閉じた。
頭痛と悪寒から逃れる為に早く眠ってしまいたいと思うのだけれど、とても眠れそうになかった。
掛け布団の中で目を閉じて、このまま死んでしまえたらいいのに……と、そんなことを思った。
この不況の中、私は特に秀でている所が無い平均以下の24歳にも関わらず、有難いことに仕事に就き、それほど贅沢はできないものの毎日ご飯が食べられている。
反対に、私よりも遥かに有能な多くの人が職を失い、路頭に迷っているのだ。
自分は恵まれた境遇にいる。そのことはよくわかっているつもりだが、これと言って生きる理由も見出せずにいる。
熱が出て身体が熱くて、寒くて、鉛のように頭が重い。外から小学生くらいの子供の笑い声が聞こえた。
あれくらいの年の頃は、病気になったら母親が看病してくれた。当然、買い物も自分で行く必要はなく、頼めば欲しいものが出てきた。
大人になったら、誰も看病などしてくれない。
実家暮らしだったり、仲の良い恋人なんかがいれば、状況は違ったのかもしれないけれど。
私は心細かった。
こういう時、連絡をすれば心配してすぐに駆けつけてくれる人がいれば、どれほど幸せだっただろうと考える。
子供の頃は少女漫画を読み過ぎた為か、大人になれば誰にでもそういう人がいるものだと思っていた。
そんな訳ない。そんなの、全体の何パーセントだろう。
病気になった時にすぐに駆けつけてほしければ、まずは自分が誰かに同じことをしないといけない。
誰かに優しくしてほしければ、まずは自分から優しくする他ないのだ。
しかし、誰かに優しくした所で、返ってこないことの方が遥かに多い。特に見返りを求めて施した優しさは、少し勘のいい人であればすぐに見抜かれて良いように使われてしまうだけである。
無償の優しさ。繋がり。そんなものを求めている。ブランドものの服やバッグや、豪華な食事などよりも。
それは目に見えないのでわかりづらいが、何が起きようと消えてしまうことはない。
例えその人と疎遠になったとしても、かつてその人に優しく接したという過去は、いつまでもその時間に残り続ける。時が経って、お互いの記憶からこぼれ落ちてしまったとしても。
だけど、「この人に優しくしよう」だとか、そんなことを考えずに優しくできることってなかなかない。
迷惑でないか、逆に怒られてしまわないか、そんな考えが頭を過り、何もしないことを選んでしまうのだ。
だから、感じが良くて誰にでも分け隔てなく優しく接している人を見ると、素敵だなと思う。
ああいう人になろうと思っても、そう簡単になれるものではない。
生まれ育った環境とか、親しかった人とか、数多くの経験が積み重なって、今の自分がいるのだ。
眠れないのでラジオをつけた。鴨長明の、方丈記の朗読が流れていた。
聞くともなく聞いているうちに、眠りに落ちてしまったらしい。
目が覚めると外はもう暗くなっていて、方丈記の朗読は終わり、流行りのJ-POPが流れていた。
まだ熱っぽい身体を起こして、私は部屋の明かりを点けた。
微熱 白井なみ @swanboats
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