鬼哭アルカロイド〜衒学的にありえない〜

横谷昌資

第一話 桜の花びらはどこへゆく

1-1

 割と長い間、ぼくは桜の花びらというのはバクテリアだかなんだかの力によって自然に土に還るものだと信じていた。誰になにを言われたからそう信じ始めたというわけではなく、気がついたらそのように思うようになったということであるのだが、だって満開の桜の木々の花びらたちが散って辺り一面ピンクになっているというのに気がついたら消滅しているんだもの。多かれ少なかれみんなそう信じていると思う。しかしそれが実に昨日のこと、ネットで町の職員さんたちが掃除しているという情報を得て、ぼくは軽くショックを受けたものである。

 でも、だからといって心に深い傷を負うこともなく。たぶん、この真実を知って心が傷つく人はよ〜っぽど繊細な人なのだろう。サンタクロースが大人たちの嘘であることを知ったときほどのインパクトはない。そういえばサンタさんはいないんだったな。あるいはぼくがなんだかあまり物事に感動しないタチなのは幼稚園のときのサンタクロース事件によるものだと思う。まあとにかく。

 そんなわけで、中学校の入学式を終え、あととりあえず今日は家に帰るだけというぼくら三人家族なのだが、両親が突然それぞれの事情でいなくなってしまったためぼくは一人で帰路に着くことになった。親は「ごめんね〜」などと謝ってはいたがなにを謝ることがあろうかぼくにはさっぱりわからない。まあ社交辞令というか条件反射の謝罪の言葉であることがわからないぼくではないが、この辺もうちょっとドライに「じゃあね〜」だけでよさそうなものであると思ってしまう。

 でも、その辺、自分がまだ大人じゃないということなのかなあ、となんとなく思う。なんといっても先月小学校を卒業したばかりの歴然とした子どもである。でもぼくも、そのうちこの社会に慣れてゆくのだろう。そう、この狂った、腐った、人と人とが傷つけ合う、誰もが血みどろの戦いを繰り広げている、この社会に。

 それはいいとして、とにかく一人になったことだしぼくは数時間前に来た道を自分のペースで歩いている。桜の花は満開でいい香りがする。ふと地面を見るとさっそくピンクの絨毯ができ始めている。今日から同級生になる子どもたちのうち、これは時期が来たら自治体の人たちが掃除してくれているのだということを知っている者はどれぐらいいるだろう。たぶんほとんどいないと思う。たぶん昨日真実を知ったぼくと同じで、ほぼ全ての生徒たちが自然分解されるものだと信じているのであろう、誰になにを言われたわけでもなく。

 そういうことってこの件以外にも世の中たくさんあるんだろうな、とぼくはなんとなく考えた。誰になにを言われたわけでもないのにいつの間にかそのように思い、考え、信じてしまっている事柄というのは世の中にたくさんあるのだろう。だがおそらく、それは真実に辿り着くまで気がつくことはないのだろう。それは心の中で自分だけの真実となって、自分では真実だと思ってるわけだから例えば人に教えたりして、そしてそれが他の人たちに感染のように伝播して、気づいたときにはもう陰謀論者の出来上がり。痛ましいことだ。こうなってくるとどこかで真実に辿り着いたところでいやいや自分の真実の方が正しいということになるのだろう。人と人とはわかりあえないという。だろうな、とぼくは思う。あとで調べておかなくちゃ、という発想すら浮かばないぼくたちだもの。

 だから話を戻して、ぼくも自分の中でいつの間にか信じ込んでしまっていることというのがあるのだろう。いまはそれが例えばなんなのかということがパッと考えられないが、しかし、そういうマイ真実ズを自分が持っていることは間違いない。とにかく昨日まではピンクの絨毯は土に還るものだと思っていたのだ。別にそれがそうじゃないことを知ったからといってどうということではないが、しかし、やはり軽くショックだったのは否めない。桜の花びらが舞い散る中、ぼくはなんとなく、ああ人はこうやって大人になるのだろうな、などと感慨深かった。だいたい入学式の直後である。ドライな人間という評価を受けることが多いぼくでもさすがに新生活に不安と期待と緊張感を抱いているのさ。

 というわけでのんびりと春の陽気の中、帰路に着く。途中、河川敷。ぼくは桜の木々を眺めながら歩いている。歩いていく。歩いていっているのだが、途中、一本の桜の木の幹にある“あれ”を見て軽くため息をついた。もちろん時期やタイミングを問わず現れる“あれ”ではあるのだがさすがに卒業式の日も現れて入学式の日も現れるとなるとぼくはこの先不安になってしまう。

 “あれ”は、なんと表現すればいいかわからない、奇っ怪というか、なんかよくわかんない不思議なものである。動物のようにもぞもぞと動いているのもあれば、植物のように地面から動かないものもある。宙を飛んでいるものもある。ぼくはこれこそマイ真実の一つだったな、と思う。小さいころから見えていたし、触れることができたのだが、自我が芽生えた辺りでこれは周りの人には見えないものであることがわかり、小学校に上がるころにはこれは自分にしか見えないものであるということがすぐにわかった。なんといっても他の人に話すとみんな怪訝そうな顔か心配そうな顔か可哀想なものを見る顔にしかならないんだから自分の現実世界が一般的なそれとはだいぶ異なっているということを理解するのは容易だった。とにかく“あれ”はぼくにしか見えない。だからこの桜の木の“あれ”もぼくにしか見えないのだろう。

 ぼくはずっとこれのことを“あれ”と呼んでいる。わかりやすく識別したかったのと、これがあくまでも現実のものではないということを自分に教え込むためでもあった。ぼくの生まれながらの性格がもうちょっとホットだったら親にいまごろ精神科に連れていかれていたところだろうが、その辺ぼくは理解が早かった。自分なりに“あれ”とうまく付き合えるようになっていた。

 うまく付き合えるようにといっても、別に遊んだりお喋りをしたりしているわけではない。ただすれ違うだけ。触ることはやめたので、単なる風景だと思うようになっていったということである。だからそれでいままではうまくいっていたのだが。

 今回は、なんか、様子が違う。

 なんだろう。ぼくの勘なのだろう。あるいは第六感というものが働いた結果なのやもしれぬ。とにかく、今回の“あれ”に、ぼくはなんだか一抹の不安を一緒に覚えていた。例えばこれをこのままほったらかしにしておくと、ぼくが面倒なことになるんだろうなあ〜……などと思い始めるころには、“あれ”はぼくの下へと近寄り始め––––。

 ジャンプしてぼくに

「えっ。えっ」

 なんでまた襲いかかってきたとぼくが思ったのかはよくわからない。

 だが––––あるいはこの直感が、ぼくが不思議能力の持ち主であるということの証左なのかもしれないと、ぼくはあとになって思う。

 ぼくは逃げる。

 “あれ”は追いかけてくる。

 早足。駆け足。走って逃げる。

 “あれ”は、ヤバい。大したスピードではないが、しかし、徐々にペースが速まっている。“あれ”に捕まったら、ヤバいというか––––まずいことになる。ぼくはそう思えてならなかった。なかなかの速度で、河川敷を走り続ける。走り続けてふと後ろを振り返ってみると––––。

「え」

 “あれ”は、巨大化していた。

 さっきまで桜の木の幹にいたときは中型犬ぐらいの大きさだったのに、いまぼくの目の前にいるのは、桜の木の頭部分ほどの大きさで宙に浮かんでいた。

 ぼくは視線を元に戻して走り始めるが、しかし、転んでしまった。

「わっ。わっ」

 そしたら“あれ”は絶好の機会だと言わんばかりにぼくの背中に乗ってきた。重さが重さを増してくる。どんどん重くなっていく。あ、まずい、このままじゃ圧死してしまうのかなぼく……とパニックの中そう恐怖に震えていると、あれ、なにもなくなった。

「え?」

 振り返ってみると“あれ”はもうどこにもおらず––––代わりに、男の人がいた。

「?」

 その人は手に光る長い棒状のものを持っていた––––ような気がしたがいまはもうなにも持っていない。そして一瞬、左目が赤く光っていたように見えたのは気のせいだろうか。

 ぼくに右手を差し出す。

「大丈夫かい?」

「え」

「休憩で散歩ついでのパトロールだったんだけど、なかなかの大物を発見したみたいだなー。よかったよかった」

 ぼくは彼の手を取って立ち上がる。

「どうも」ありがとうございます、と感謝の言葉を続けた方がいいのかよくわからないが、でも……とぼくは思い、呟いた。「ありがとうございます」

 すると彼はにっこり笑って、こう言った

「いやいや、危なかったね。あれ、あんなに巨大化するってことは君がなかなかの大物だってことなんだよね。よかったよ発見できて」

 なにを言っているのかわからない。ぼくが、なんだって?

「久々の新入隊員だからオレもしっかりしなきゃなあ」

 新入隊員?

 と、そこでその人はにっこり笑って右手を差し出した。

「改めましてこんにちは。オレたち“陰陽おんみょう連合”は君を歓迎するよ」

 これが、ぼく、葛居時生ふじいときおの、割と長いお話のプロローグである。

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