後編

 多少は信頼関係を築けた気でいた。しかしそれは勝手なわたしの思い込みに過ぎなかったらしい。

 「後はお二人でご勝手に!」と叫んで、わたしは一人で稽古場へ来た。来てしまった。


「知らない、あんな奴」


 苛立ち紛れに剣を振る。

 本当、腑抜けた男だ。久々に会った女にふらついて。そんなのだから元婚約者の公爵令嬢に見限られていたのだろうに、ろくに改善もしないで。


 一年間鍛えてやったつもりだった。でも、根のところは変わっていなかったらしい。

 どうすれば良かったのだろう。全てあの男が悪いのだと割り切ることもできる。けれど……。


「どうしたジェイダ。今日はやけに機嫌が悪いな。ブランドン殿下が寝坊でもしたのか?」


 考えあぐねていると、団長である兄が話しかけてきた。

 わたしは兄を振り返り、ぶっきらぼうに答える。


「別に何でもない。ただ、あいつの情けなさにムカついただけ」


「痴話喧嘩か」


「……っ、そんなんじゃ!」


 勢いよく振り下ろした剣が、ぶん、と大きな風音を立てた。

 それと同時にポロリと本音が出た。


「あいつの扱き方、間違えたかなと思ってさ」


「――――」


「わたし、一生懸命にやったの。いきなり面倒ごと押し付けられて、頑張ったつもりだった。最初は偉そうなあいつへの仕返しだったんだけど、途中からはただ、あいつを強くしてやろうって思って。厳しかったかも知れない、でも手抜きはしたくなかった。

 なのに結局、わたしの努力なんてあいつにとってはふらっと現れた女一人に負ける程度だったみたい」


 それが悔しくて仕方ないのだ。

 あんな女に自分が劣るということが、たまらなく悔しい。


「――ジェイダ、一ついいか」


「何?」


「お前、間違いなくブランドン殿下に恋してるだろう」


 わたしはギョッとして目を見開いた。

 わたしがブランドンに恋? そんなこと、天と地が引っ繰り返ってもあり得ない――そのはずだ。


「それ、本気で言ってるの?」


「当たり前だろう。それが恋以外の何だというんだ。まあお前は今まで剣一筋でろくに色恋のことを学んでこなかっただろうが、私にならわかる」


 兄は次期辺境伯夫人である妻、わたしからすれば義姉に当たる人を王都から連れて来たという経緯がある。

 王都で開かれたパーティーで当時子爵令嬢であった義姉に一目惚れし、求婚してすぐに結婚式を挙げたのだ。だから確かに反論はできないのだが。


「わたしがあんな奴――ブランドンに恋するわけないでしょうが!」


 どうにも認めたくなかった。

 だって、あんな腰抜けである。最初は子供用の剣さえろくに持てなかったような雑魚である。

 それにわたしが絆されてしまったなど。


「別に違うというなら違うでいい。だが、それなら他の女に盗られても文句は言えないぞ」


 ミリィという女とブランドンが抱き合い、口付け合う姿を想像した。

 ミリィはとろけそうな顔でブランドンを見つめ、ブランドンも柔らかな笑顔を浮かべている。とても甘く幸せそうな光景だ。


 しかしわたしはそれを黙って見ていることができるとは、到底思えなかった。


「まだ一人前の騎士になってないくせに、途中で逃げ出すなんて許すもんか」


 己の手が砕けてしまいそうなほどにぎゅっと拳を握りしめた。


「待ってな腑抜け王子。今度こそわたしがきっちり教育してやるから……!」


 兄に背中を見送られつつ、わたしは来た道を風のような速さで駆け戻る。

 帰ってきた屋敷の玄関先に、まだブランドンとミリィはいた。


「ブラン様、ミリィと一緒に行きましょ? 隣国には美味しい食べ物がたくさんあって、街も住みやすくて素敵なんですよ。そこで二人きりで過ごしたいです」

「だが……」

「そんなにあの大きな女の人が気がかりなんですか? ――もしかしてミリィのこと、もう好きじゃないんですか?」


 体をくねらせ、必死の誘惑をするミリィ。

 彼女に一体どんな思惑があるのか、それは吐かせてみないとわからない。けれど問題はそちらではなく――。


「違う。違うぞ。あいつはあれだ、あの、あれなだけなのだ。だからミリィは俺の」


 今まで散々他人ひとの屋敷で世話になっていながら、唐突に登場した昔の恋人を選びそうになっているこいつである。


 それを目にした瞬間、わたしは少しの躊躇いもなく、平手を炸裂させた。


「この、バカ王子が――!!!」


 パン、と乾いた音がしたと同時、ブランドンの体が軽々と吹っ飛んだ。




 以前までならこの程度でも気絶していたと思うので、これだけでもわずかながら彼の成長を感じる。

 ただ、平手ごときで吹っ飛ぶのはまだまだ軟弱なので、鍛えてやらねばとは思うが。


 まあいい。そんなことより今はなさなければならないことがある。

 ズバリ、腑抜け王子の再教育だった。


「そりゃあねぇ、この婚約は不本意よ!? わたしだってしたくてしたんじゃないの。文句があるなら父様に勝負を挑めばいいじゃないって今朝言ったばっかりでしょうが!!」


「ぐ、はっ……。き、貴様。貴様ぁっ」


「この際だから言うけど、その貴様っていうのいい加減やめてくれない!? まだ世間知らずの王子様気取りなわけ!? そんなのだからピンク髪女にコロッといっちゃいそうになるんでしょうが!」


 仁王立ちになって、叫ぶ。


「その女が何のつもりかはわたしも知らない。けど、どう考えたって怪しさ満開じゃない!? 厳しいかも知れないけど生活の保障してあげてるここから離れてわたしを裏切ってまでそんな女を選びたいの! わたし、そんな奴にあんたを育てた覚えはない!!」


 ピンク髪女が邪魔をしてくれるなとでも言いたげな目でわたしを見ている、

 しかしわたしはやめない。やめてやるものかと声をさらに張り上げた。


「ねえあんた、腑抜けた王子のままでいいの!? わたしとそんなに別れたいならきっちり手順を踏めっての! バーカ!」


「バカバカ言うなっ!」


「だってあんた、バカでしょ。バカって言われたくなかったらしゃんとする! いつまで寝転がってんの、いい加減起きなさい!」


 わたしはブランドンの胸ぐらを掴んで、立たせた。


「あんたはどうしたいのか、はっきりして。この辺境で生きて、わたしに扱かれるか。そのわけのわからない女についていくか、どっちなわけ!?」


「それは――」


「まだわたしはあんたに剣の稽古をしてやってない。一人前に育ててやってない。だからあんたを行かせたくない。行かせてやらないから!」


 国王陛下からの罰だからだとか、父からのお咎めがあるだろうからとか、そんなのは関係ない。

 ブランドンがどうしてもと言うなら、わたしに止める権利はない。ないけれど、きっとわたしは彼を行かせないだろう。


 わたしの強い意志が伝わったのだろう。ブランドンはその亜麻色の瞳でわたしをまっすぐに見つめてきた。


「もしや貴様――いや、ジェイダ、俺のことを?」


 わたしは何も答えない。

 答えないことで答えとした。


「ブラン様ぁ。もしかしてその大きな女の人の手をとったりしませんよね? だってわたしたち、真実の愛で結ばれて――」


 ブランドンにしなだれかかり、甘え声を出すミリィ。

 しかし直後――。


「悪い、ミリィ。今でもミリィが好きだ。だが、俺はジェイダの婚約者なんだ」


 彼女はブランドンの腕によって振り払われ、尻餅をついていた。


「嘘……」


「残念だけどこれは嘘でも冗談でもないから。――よく言ったじゃん、ブランドン。ちょっと見直したかも」


 そう言いながらわたしは、安堵に頬を緩めていた。

 ブランドンがわたしを選んでくれた。そのことにこんなに安心している自分がいる。


 悔しいけれど、本当に悔しいけれど。

 兄が言っていたことは真実なのかも知れない――そんな気がしてならないのだった。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 男爵令嬢ミリィは不審人物としてうちの駄メイドが捕まえ、情報を吐かせることになった。

 わたしの世話をろくにせずにぐぅたらするうちの駄メイドだが、実は拷問が得意だったりするのだ。彼女だけではなく辺境伯家で働く使用人全員がなんらかの特殊戦闘能力を持っているのであまり敵に回さない方がいい。


 それはさておき、吐かせた結果わかったのは、ミリィは隣国にブランドンを売る気でいたということ。

 腐っても王子、色々と利用価値はある。隣国の重鎮にうまく取り入り、ブランドンの恋人だったことを活かし、彼を隣国に連れて行くことになっていたらしい。


 団長の判断で、ミリィは辺境騎士団にある牢の中に囚われることになった。騎士団の牢は死ぬほど管理が厳しいのでおそらく二度と出て来られないだろうとのこと。

 隣国は今もブランドンを狙っているままだが、国際問題に配慮してとりあえず静観することになった。まあ、辺境にいる限りは連れ去り事件が起こることはないと思うのでそこまで心配していないが。


 ――そういうわけで、ミリィ関連の事件が一段落着いたわけだ。

 しかしブランドンへのわたしの教育は、今もまだ続いている。


「重……っ! 人間の持てる重さじゃないぞ、これは……! もう二度とジェイダと別れようだなんて言わないから強くなる必要はないだろう!? 見逃して」


「ダメに決まってんでしょっ! 甘っちょろいこと言ったらまた引っ叩くから!」


「それが好きな男に対する態度か? やはり辺境人は正気じゃないだろう……」


「シュガツァをバカにしないの! 罰として剣を持った状態で稽古場百周ね」


「そんな無茶苦茶なっ」


 またもや悲鳴を上げているブランドンを見てわたしは深ぶかとため息を吐く。


 あの一件以来、ブランドンは更生し、彼の腑抜け度合いはほんの少しマシになった……かと思いきや、全然そうではなく、今でも泣き言だらけだ。


 ただ、貴様と呼ばれなくなったことは嬉しいし、わたしも彼もお互いに婚約者同士としての認識を正しい形で持てたので、良かったとは思う。

 辺境伯領を走り回るだけではあるがデートというのも何度か行ったりもした。


 ……けれど問題は全て解決されたわけではない。

 最大の難関である、いかにして彼を一人前の騎士にさせるかということがまだ残っているのだ。


 彼が一端の騎士になった暁に、その祝いも兼ねて婚姻を結ぶ気でいるのだが、これでは一体いつになることやらわからない。

 一年後か二年後か、はたまたもっと先だろうか。考えるだけで気が遠くなる話だ。


 もちろんどれだけ時間がかかろうと、根気よく付き合い続けるつもりではあるけれど――。

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ざまぁされた王子と婚約させられた辺境伯令嬢は、徹底的に教育する 柴野 @yabukawayuzu

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