第10話

 くしゃくしゃになったドレスを着ようとすると、股の間から何かが太ももを伝った。

 「やー、何これ?も、もしかして…うっそよ…」

 もう、どうしてくれるのよ。私の純潔を…


 身体じゅうの力が抜けてドレスを胸に当てたままその場に頽れた。

 「私、彼に無理やり?……」そこから後は言葉にならない。

 ううん、違うわ。私は自分から彼に…ああ、どうして?

 そう言えばはちみつがいつものところになくて…あれってもしかして?

 カロリーナが媚薬を作っていたことは知っていた。

 ”これはあなたには必要がないものね。いつも来るお客さんに頼まれてる媚薬なのよ”


 そうだ。あれは…あの入れ物の中には媚薬が入っていたんだった。

 私ったら、それをお茶に入れて…そうだわ。アルベルトにも飲ませたんだ。

 だから私たちおかしくなって?

 ど、どうしよう。

 これは事故でお互いそんなつもりじゃなかったんだし…

 でも、でも…気持ち良かった……


 媚薬の事は知っていたがこんなになるものとは知らなかった。

 自分のしでかしたこととはいえどうすればいいのだろう。

 確かにキスされてちょっとはいい気分になりかけてたけど意識ははっきりしてたはず…えっ、あれから薬が効いてきて?

 私は顔から火が出そうだ。

 私はかなり感じて無意識に声も出しただろう。彼にすべてを見られたなんて…

 あゎゎゎゎ。さっきだって、嫌だって思ったのにあっという間に気持ちよくなって…あぁ、そんな事ってある?

 もう…いきなり過ぎて…これから私どんな顔をしてアルベルト様に会えばいいの?

 でもここにずっといるわけにもいかないし。

 ドレスを着て髪を手で撫ぜつけた。


 一度大きく深呼吸をして覚悟を決める。

 部屋を出るとドレスの裾を持ち上げてリビングに急いだ。


 「ごめんなさい、お待たせしてしまって」

 何もなかった風を装っても彼を見ただけで胸はときめいてしまった。

 「いいんだ。それで?どこも痛くはない?」

 「えっ?」

 「だって、どういういきさつであれ、君を奪った事は変わらない。だから、その…」

 アルベルトは俯き耳を真っ赤にして聞く。

 もう、彼ったらやたら大きいくせに、か、かわいい…などと思ってしまう。

 顔をそむけた途端ソファーのカバーがぐちゃぐちゃになってさっきの惨事が蘇る。

 ああ…もう何て言えばいいのかしら?

 羞恥でプルっと身体が震えて彼よりも赤くなる。

 アルベルトはそんな仕草を見たからなのか、すぐにそばに駆け寄って私を支えてくれた。

 「大丈夫か?」

 その甘い声に胸が跳ね上がる。

 脳内にキューピットの矢が突き刺さったかのように全身が彼の全てを好きだと囁いてくる。


 もおぉぉ、あれは間違いだったのだから…

 うぬぼれてはいけない。彼にそんなつもりはなかったのよ。薬のせいであんなことになっただけで…だから…

 それにあんなものを飲まされてるなんて。と、言うことは命も狙われてるって事かしら?

 「ええ、心配ないわ。さっきのは事故みたいなものでしょ、気にしなくていいわ。それよりあなたの方が心配だわ」

 私はあんな事ちっとも気にしてないってそっぽを向く。

 「どうして?そんなこと出来るはずないだろう?」

 アルベルトの手が私の頬に添えられて彼の方に向かせられる。

 「ううん、いいの」

 私は急いで大きく首を振った。

 「なぜだ?カロリーナに取ったら何でもない事なのか?」

 驚いたように目を見張るアルベルト。

 その様子にまたきゅんとなる。

 これが薬のせいじゃかなったら彼に抱きついてキスをおねだりしたいところなのに…

 でも、ここは冷たくしないと…

 ぐっと唇をかみしめる。

 「ええ、当たり前じゃない。私は120歳なのよ。確かにあんな事…ちょっと久しぶりだったから驚いただけよ。あんなのしょっちゅうあることだもの。いいから気にしないで…そんな事よりあなた毒を飲まされてるのよ。薬湯だなんて大嘘!魔女としてそんな事をする人なんて許せないわ!もう少しで死ぬところだったんだから…」

 私はつい声を荒げる。


 アルベルトはぽかんと口を開けたまま驚く。

 「君に取ったらそんな程度の…」

 そんなわけないじゃない。一大事なんです。でもそれは私のせいだから…

 私は真っ赤になって言い訳する。

 「わ、私だって誰でもいいわけじゃ…でも今はそれどころじゃないわよ」

 「やっぱりそうなのか?それにいきなりあんな事をした俺にそんな心配してくれるのか?それにエリザベートの事許せないなんて、なんて優しいんだ」


 私はただあの事にこれ以上触れられたくないのよ!

 出来ればなかった事にしたいくらいで…

 「カロリーナ?大丈夫か?やっぱり…」

 「カロリーナ?…ええ、大丈夫よ。でも、優しいなんて大げさよ」

 カロリーナと呼ばれてチクリと痛む胸に戸惑う。

 なのに…目の前にいるアルベルト様…あなたがすごく頼もしく感じるのは気のせい?

 逞しい筋肉が私の腰をしっかりと支えて、手のひらからはチリチリと熱が伝わり先ほどの余韻にぞわりとして来る。


 彼はさらに私を真正面に向き合わせてじっとあの破壊力バッチリの瞳で見つめてくる。

 もう、どうしたら……キラキラ輝く黒曜石のような瞳で。

 こんな予定じゃなかったのに…

 あんな事になったけどやっぱり無理なんだから。

 きちんとお断りしなければ…


 「いや、カロリーナ殿、あなたはやはり私の思った通りの女性だ。力をひけらかさず、優しくて気取らない。それでいて120歳だなんて信じられないほど美しくて……」

 アルベルトは大きくため息をつくと少し動揺したような顔をした。

 私もそれ以上のため息をつく。

 「いや、あなたは俺の心を狂わせた。どうか私と一緒に来て欲しい。俺は…君を…」


 と言いかけていきなりドアから、黒いマントを羽織り顔を布でふさいだ数人の男達がなだれ込んで来る。

 「誰だ?」


 アルベルトはとっさに私をかばって前に立ちはだかる。

 私は彼の後ろに完全に隠れた。

 「この女は誰だ?」

 「そんな事お前に関係ない!」

 「まあいい、一緒に片付けるまでだ。やあっ」

 黒いマントの男がアルベルトに襲い掛かって来る。

 大きな剣を掲げて襲い掛かってくる。


 アルベルトはしなやかに身体をくねらせてその男の体に蹴りを入れる。

 男は体を半分に折り曲げてその場に倒れた。


 その隙にアルベルトが聞いた。

 「奥に部屋は?」

 「あるわ」

 「鍵はかかるか?」

 「ええ」

 「君は部屋まで走って、鍵をかけて隠れてるんだ。早く行って」

 「でも…」

 「俺は大丈夫。心配ないから」

 アルベルトは私をかばいながらじりじり後ろに下がって、次に飛び掛かって来た男に飛びついた。



 私は言われた通り仕事部屋に走り込んだ。急いで鍵をかけてドアの前に本の入った小棚を寄せた。

 耳を澄ませてただ彼が無事なことを祈る。

 部屋の中からは剣の合わせ合う激しい音がして、私は耳をふさいだ。

 恐くて身体が震える。こんな恐怖は味わったことがなかった。


 しばらくしてアルベルトの大きな声がした。

 「待てー。クッソ、逃がさんからな」

 バタバタ人の足音がしてドアの締まる音が大きく響いた。

 私はしゃがみ込んでそのままじっとしていた。

 きっと”アルベルト様がもう大丈夫だ。”って声を掛けてくれるに違いないと思いながら……



 どれくらい経ったのか、私は待っている間にうとうとしたらしい。急いで立ち上がる。

 そっと耳を澄まして周りの音を聴く。静かで誰もいる気配はない。

 私はドアの小棚をどかしてドアを開けてリビングを覗いた。

 誰もいなかった。窓から差し込むのは茜色の夕焼けの光だけで。

 「アルベルト様?どこなの?怪我でもしたの?アル、ベルト…さま…」

 私は部屋の端から端まで探す。


 ドアは閉まったと思っていたがきっと反動でまた開いたのだろう。

 開けっぱなしのままになったままのドア。恐る恐る表に顔をのぞかせる。

 誰もいなかった。

 急に気が抜けた。

 部屋は散らかったままで、本当にアルベルトという人が尋ねて来たのかさえも幻みたいに誰もいなくなっていた。


 私は思わず頬をつねって見た。

 「痛いっ!夢じゃないわよ?アルベルト様はここに来たわよね」

 私は力が入らずその場にしゃがみ込んだ。

 残ったのはひどく惨めな気持ちと股の間にある痛みと違和感。


 もしかしてアルベルト様に何かあったの?

 怪我でもしてどこかで苦しんでるかも。

 そう思うと居てもたってもいられず外に走り出した。

 靴は履いていなかった。はだしのままで森の中を探し回る。

 「アルベルト様…いたら返事をして下さーい。アルベルト様……アルベルト様…」

 あちこち探し回ったが誰もいなかった。

 諦めて家に帰る。


 アルベルト様は私の事など嫌になって黙って帰ってしまったのかも…

 そうだわ。きっと責任を取るのが嫌になってしまったのよ。

 だって、120歳の魔女となんて…無理だもの。

 私はもう彼の事は忘れようとする。

 でも、本当はアルベルト様の事が心配でたまらない。

 ああ…これからどうすれば…



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