第4話


 私は人がすぐ近くに近付いてくると、とうとう気分が悪くなった。

 道の端にしゃがみ込んで一人苦し気に息をはぁはぁしながら、落ち着こうとしていた。

 その時だった。

 「おい、大丈夫か?具合でも悪いのか?」

 低音の聞き取りやすい声。すぐに声をかけて来たのが男だとわかる。

 私は返事もせずに顔を伏せた。


 

 どうすればいいの?

 私はこの日カロリーナに仕立ててもらったリンドウ色の薄青色のマントを羽織っていた。

 どうしよう…でも返事をしなければまずいかも…

 「いえ、大丈夫ですから、いつもの事でもうじきに良くなりますので、ありがとうございます」

 瞳を見られてはまずい。そのことばかりが脳の支配して顔を上げられない。



 「でも、大丈夫そうには見えないが」

 心配そうな声、ふわりと肩にそっと置かれた温かい感触。

 これは一体?

 はっと気づく。これはこの男の人の手のひらに違いない。

 ど、どうしよう。ますます呼吸が乱れる。

 するとその大きな手が私の背中を優しくさすった。

 男の手が何度も優しくすりおろされる。


 リンドウ色のマントの上を行ったり来たりする。

 私は次第にその温かな手のひらに安堵を感じる。

 苦しかった息はいつの間にか息をひそめ、正常な呼吸が戻って来る。

 規則正しい呼吸が。

 でも、なぜか代わりに胸の鼓動は痛いほどになる。



 そのうち私はとんでもないことを思い始める。

 この人はどんな顔をしているのか。どんな人なのかひと目見たいと。

 「いえ、もう本当に大丈夫ですから、ありがとうございました」

 そう言いながらつい、ふわりと顔を上げた。

 まつ毛をそっと上げるとハッと互いの瞳がぶつかる。

 漆黒の闇のような黒い瞳に満点の星空のような星が瞬いている。そんな瞳だった。



 いきなり胸がずきりと痛んだ。

 心臓をぎゅっと鷲づかみされたみたいに胸が苦しくなる。

 そしてじわじわと体中が熱くなる。

 これは何?

 この時初めてこれがときめきだと知る。



 その人はフードを深々とかぶってはいたが、まだ若く年の頃ならきっと20代だと思われた。

 きりりとした目もと。すっと通った鼻筋。形のいい唇。何もかもが整っている。

 その人はとても素晴らしい眉目秀麗の人だった。

 「顔色は良さそうだ。良かった」

 その人はそう言うと顔色一つ会えずに手を差しだしてきた。

 私は引き込まれるようにその手を取る。

 そう、まるで救いの神が現れたみたいに。



 ぐっと引き寄せられるように軽々と身体を引き上げられて立ち上がる。

 たくましい大きな体が目の前にあった。

 すでに過呼吸も収まっていたのに、またふらついてその人の胸に倒れ込んだ。

 「大丈夫か?」

 彼のたくましい腕が私をがっしりと受け止める。

 身体中がかぁっと熱くなるけど、急いで胸に手をついて彼と距離を取る。

 「す、すみません。もう大丈夫ですから…」



 彼も慌てたらしくぎこちなく腕を開くと私から離れた。

 「そうだ。飲み物でもどうだ?」

 微笑むわけでもなく顔色一つ変えないその人からからなぜか目が離せない。

 その人は腰に下げていた水筒を取り出して無愛想に私に差し出した。

 私はそれをありがたくいただくことにした。

 ずっと森を走って来てすごく喉が乾いていたからだ。

 思わずその水筒の水を喉に流し込む。



 「慌てるなよ。ゆっくり飲むんだ」

 その人の声は優しく耳孔の届いた。

 なのに私はいきなりせき込む。

 何だろうこれ?

 水と思って喉に流し込んだ液体は酷く臭くまるで薬草を煎じたような味がした。

 「あっ!すまん。間違えた。こっちだ。これを飲め。大丈夫だ。今飲んだのは俺のぜんそくの薬湯で体に害はない」

 彼の慌てて違う水筒を渡す表情はますます強張っていく。


 私はそんな顔を見ながらもちっとも嫌な気はしなかった。

 急いでその水筒を傾けると水を喉に流し込む。

 喉も潤いさっきの苦みも消えてやっと水筒を下ろす。

 そして心配そうに眉を寄せていたその人とまたしても目が合ってしまう。


 もぉ、やぁだ。ずっと私見られてたの?

 感じたこともない羞恥に肌が粟立つ。


 それに彼は私を見ても嫌な顔一つしない。それどころかさっきよりも優し気な目をして私を見つめ返しているふうにも見えた。

 今度はゾクリと背中に悪寒が走る。

 私の瞳を見て何も感じないの?

 忌まわしい女だって思わないの?



 私は怪訝そうな顔をしながらそっと水筒を返した。

 ああ、そうだ。お礼を言わないと。

 「おかげで助かりました。本当にありがとうございました」

 彼の唇がピクリと動いたが何も言わなかった。

 きっと、”いいんだ。良かった。”とでも言うつもりだったのだろう。

 その人は銀色のマントを羽織り、そのマントにはゆりの紋章が描かれていた。

 これはエストラード皇国の紋章かしら?



 カロリーナから話に聞いていた。

 そしてお母様が国王に仕えて聖女として働いていた国だ。

 でもお母様は聖女なのに恋に落ちてしまった。

 相手はお母様の護衛をしていた近衛隊の人だったらしい。聖女は純潔を失ったらもう聖女ではいられなくなるらしく国王の怒りをかったのだと。

 相手の男性は母をかばおうとして命を落としたと。

 お母様は投獄されたが私を守るために投獄されても誰にも危害を加えられないようにしていたらしい。

 だが、出産を迎えるころにはもう魔力も底をついてしまったらしい。

 何でもカロリーナやお母様そしてわたしたちには力を回復できる自分だけの特殊なお守りがあるのだと、お母様はそれを奪われたのだそうだ。だからわたしを生んでお母様は力尽きたのだとカロリーナが教えてくれた。


 カロリーナはずっとエストラード皇国を離れていたが20年ほど前に戻って来たらしい。魔術学校の先生として働いていたと聞いた。

 そこで母の先生となったカロリーナは唯一母が頼れる存在でもあったらしく、生まれたばかりの私を彼女に託したのだと。

 母は孤児で頼れる人がいなかったからと。

 カロリーナは私を連れてすぐにエストラード皇国から逃げ出して隣の国のコンステンサ帝国に逃げたのだと聞いていた。



 私は大きくため息をついて聞いた。

 「あの…私の事恐くないんですか?」

 ああ…とうとう言ってしまった。でも聞かずにはいられない。

 「どうしてだ?」

 「だって、私の目、気持ち悪いから…」

 私はうつむく。


 「どうしてそう思う?俺はすごくきれいな瞳だと思うが」

 「ほんとに?ほんとにそう思う?」

 「ああ、もちろん。きれいな色をしてる。俺のこんな目よりずいぶんときれいだが」

 「そんなぁ‥‥」

 あなたの瞳は素晴らしく美しいと思います。

 私はその人の少し照れたらしい顔を見上げたまま心の中でつぶやいた。


 それが半年前の事だった。




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