19.あたいには好きな男がいたんだ

*****


 風間と香田はどこでなにをしているかわからず、そうである以上、「ファイトクラブ」の部室には俺と桐敷しかおらず――。


 桐敷も俺も畳の上であぐらをかいている。


「なあ、神取。最近、ウチの部活、集まりがわりーと思わねーか?」

「そうかね。こんなものじゃないか?」

「連中、なにしてると思う?」

「見当もつかないが」

「ナンパだよ、きっと、いや、ぜってー逆ナンだ」


 風間と香田について詳しくは知らないが、その線はないだろうと思う。しかし、桐敷はどうにかして二人を貶めたいのか、しかめ面で「あいつら、馬鹿なんだよ。馬鹿中の馬鹿なのさ。ぜってービッチなんだよ、死ねばいいのに」と言った。ビッチは言いすぎであるようと考えるのだが――。


「まあ、いいや」


 意外とすんなり棘を引っ込めた桐敷である。それからなにやら下を向いてもじもじしたかと思うと、いきなりだ、いきなり「なあ、神取、あたいは北海道の出身なんだ」などと言いだした。


「へぇ、知らなかったぞ」

「そりゃそうだ。誰にも言ったことなんてないんだからな」


 桐敷は高らかに笑った。


「北海道のどこだ?」

「最近、球場ができて賑わってる街だ。いや、街だなんて言うとおこがましいな。あそこは村だ。村だよ」

「まったく馴染みのない土地のニンゲンと話すのは非常に興味深い。実際、いいところなのか? おまえが言うとおり、やはり自然が豊かなのか? なにより楽しかったのか?」


 すると桐敷はなかば目を左右に泳がせ。


「ばばばっ、ばっかやろう。そんなに一気に質問してくんなっ」

「ああ、すまない。そのとおりだな」

「う、うそだよ。べつに怒ってねーからよ」

「だったら良かった」

「ああ、良かったんだよ、馬鹿」


 でもな? あたいがなにより言いてぇのは……。

 そう言って、桐敷は照れ臭そうに右手で頭を掻いた。


「あたいな? 北海道にいたとき、好きな男がいたんだ」

「ほぅ、そうなのか。なおのこと興味深いな」

「いつ頃の話だと思う? じつは小学生のときのことなんだ」

「異性を好きになるのに時期は問題ではない」

「そ、そういうもんか?」

「そういうものだよ」


 へっ、へへっ。

 ――と、桐敷は鼻の下を擦って笑った。


「あたいはな、神取」

「なんだ?」

「あ、あああああぁ、冗談だ、なんでもねーよ」

「聞いてやると言っている」

「うっせーっ。なんでもねーって言ってんだよ!」

「桐敷」

「な、なんだよ」

「おまえの人格は、素直で素晴らしいものだと思う」


 桐敷はまたきょとんとしたのち、破顔した。


「つくづくおまえは馬鹿だよなぁ、神取。ヒトに対してヒトの気持ちいいことをしきりに言って、それでどうしようっていうんだよ」


 俺はまるきりそのとおりだなと思い、すぼめるようにして肩を落とした。


「思うんだよ、桐敷」

「なにをだ?」

「俺はたぶん、自分が攻撃されることがすごく怖いんだ。だからヒトに優しくすることで、すなわちリスクヘッジをする。ヒトに嫌われないようにしたいのだから、無意識にアンガーマネジメントだってしていることだろう。どうだ? 情けない男だとは思わないか?」


 桐敷はみたびきょとんとした表情を浮かべた。


「神取、おまえ、ヒトなんてただ生きてりゃいいだけなのに、そんな難しいことを考えてたのか?」


 俺は微笑んだ。


「たとえばの話だよ」


 桐敷は眉をひそめた。


「ジョークには聞こえねーよ。おまえ、実際にそう思ってんだろ?」

「だったらどうする? 抱き締めるくらいはしてくれるのか?」

「ばっ、馬鹿言えっ。そんなことするわけねーだろっ!」


 そうあるべきだ。

 俺はそう言って、畳の上から腰を上げた。


「ありがたく思え、桐敷。俺がじきじきに家まで送ってやるぞ」


 桐敷は「へっ?」と声を発し、首をこてんと左に倒した。


「いいのか? 風間と香田が聞いたら二人とも泣くぜ?」

「泣きはしないだろう。そもそも連中に義理立てする理由なんてない」

「そ、そりゃそうかもしんねーけど」

「腰を抱き合いながら帰ろう」

「い、嫌だ、そいつは嫌だっ」

「であれば、せめて手くらいはつないで――」

「やややっ、やだよ」

「一緒に帰ろう」

「う、うん。わかった」


 帰路についた。



*****


 街中を歩いていた。視線を感じるのだが、その矛先は桐敷だろう。桐敷は目立つ。セーラー服姿であるわけだが、上着は丈が短い。腹部が覗いている。スカートの丈は著しく長い。いまどき見ないファッションだ。


「なあ神取、あたいがどうしてこんな恰好して歩いてるのかわかるか?」

「スケバンが好きなんだろう?」

「ああ、そうなんだよ。理由は端折るけど、好きなんだ」桐敷はかんらかんらと笑った。「あたいの特技っていうのか? 話したっけか?」

「テコンドーだろう?」

「そうだ。あたいが好きで得意なのはテコンドーだ!」


 桐敷は大きな声で言い切った。どうしてそうなのかは問わなかった。桐敷もなにも言わなかった。ただ、自分の好きなものをまっすぐに言えることは素敵なことだと感じた。


「なあ、神取、ウチに寄ってかねーか?」

「どうしてだ?」

「焼きそば食わせてやるよ。ウチにはバーベキューセットがあるんだ。デカい鉄板の上で焼くとうまいんだぜ?」

「だとしても、やめておこう。その鉄板をセットするのに手間がかかるだろう?」

「かからねーよ。年がら年中、出したりしまったりしてるんだからよ。それとも焼きそば、嫌いなのか?」

「嫌いじゃない」

「だったら寄ってけよ」


 男っぽさ満点のくせに、桐敷の笑顔は女性的で、しかもかなり愛らしい。


「俺はおまえの家には寄らない。帰るんだ」

「かたくなすぎると変に見えるんだけど?」

「それでも俺は帰るんだ」


 文言通り、俺は帰ることにしたのである。たった一人の女性を愛すべきなのだが、なんだかときどき「ヤバいなぁ」と思わされる瞬間に出くわしてしまう。――移り気なのだろうか。忌まれるべきだな、俺は。

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