13.浴衣
*****
放課後。
「ファイトクラブ」の部室。
風間が「週末はお祭りに行こーっ!」と明るく言い出した。しばしの間、部室は静まり返った。最初に「はぁ?」と返事、あるいは疑問詞を投げかけたのは無論、桐敷である。どうでもいいネタだと思った俺の反応は鈍い。香田は極めて無口というだけだ。
「祭って、あのしょうもねーちっこい神社のか?」桐敷は眉をひそめている。「やだね、あたいは。あんなショボい神社の祭が面白いわけねーかんな」
「だったら、あんたは来なくていいよ。あたしはリリと雅孝と楽しんでくるから」
「なっ、なんだとぉっ」勢い良く立ち上がったのは桐敷である。「風間ぁ、おまえ、あたいをのけ者にしようってのか!?」
風間は涼しい顔、「あら、あんたが行きたくないって言ったんじゃない」と言ってのけた。
「ぐぬっ、ぐぬぬぬぬぬぬっ」桐敷は明らかに悔しがっている。「わ、わかった、わかったさ! あたいだって参戦してやるさっ! あたいがいれば鬼に金棒、泣きっ面に蜂だろうが!」
「泣きっ面に蜂は間違った使い方」
「こまけーことはいいんだよ!」
「わかった。百歩譲ってさらに一歩下がってあげる。来なよ。ほんと、サキは欲しがり屋さんだなぁ」
「ぐぬっ、ぐぬぬぬぬっ!」
風間は桐敷をからかっているだけだ。桐敷もそれはわかっているだろう。なんだかんだで仲がいいのだ。風間は相手との距離感をはかることに長けているし、桐敷は純朴すぎるから面白い。
「でもね、サキちゃん」
「やや、やめろ風間、ちゃん付けされるとメチャクチャ気味がわりぃから」
「そんなのどうでもいいから。お祭には浴衣を着てくること。いいね?」
「へっ? へっ? そうなのか?」
「あんたさ、サキ――」
「呼び捨てにすんな。じつは気に食わなく思っているんだぞ」
「じゃあさ、桐敷さん」
「あうぅぅ、それはそれで気持ちわりぃ……」
「だったら、桐敷さん」
「な、なんだよ連打とか。もういいよ。用件があるならとっとと言えよ」
楽しもうよ。
風間はそれだけ言ったのである。
「いいじゃん、べつに。あんた、スタイルが悪いわけじゃないんだからさ」
「うっ、ううぅっ、うぅっ……」
「あんたはどう思う? 雅孝」
俺は「比較的、どうでもいい問題だ」と答えた。
「うわぁ、雅孝、ウチらはナンパされてお持ち帰りされてしまうのかもしれないのだよ?」
「そのへんはおまえらが判断しろ」
「リリぃ、雅孝の奴、そんなふうに言ってるよ?」
無感情でしかない瞳を風間に注いだ香田リリである。
「だいじょうぶ、れな。なにがあってもわたしがあなたを守るから」
「照れ臭いなぁ。ねぇ、聞いた? 雅孝。リリのかわいさ、響いた?」
響いたが、それがどうした?
――いきなり桐敷が「あ、あたいな? じつはな?」などと切り出した。「あたいな? じつは去年、男と、その……男と祭に行ったんだ……」
みなが目を丸くした中、俺が代表して、「すごいじゃないか」と感想を述べた。
「なんもすごくねーよ」苦笑したように見えたのは、たぶん、真実だ。「あたい、馬鹿だったからさ、たまには男と一緒になにかしたら、面白いかなって思ったんだ。……でも、実際、そんなことはなかったんだ。結局恥ずかしくなっちまって、途中で逃げるようにして走り去っちまったんだ。悪いことしたよな。ああ。あいつには悪いことしちまった」
肝心要の固有名詞に関する情報が抜け落ちているので、いかんとも判断しづらい話ではあるものの、俺は桐敷の行動がそう悪いことだとは思わない。俺は古いタイプのニンゲンだから、男は強者で女は弱者だと考えている部分がある。そうである以上、桐敷のことを気持ち良くできなかった男が悪いのだ――という結論に行き着く。
ねぇ、雅孝。
風間が呼びかけてきた。
「なにかの折には、あたしらのこと、あんたが守るんだよ? だってあんたは男なんだから」
俺は「わかっている」と言い、大きく首を縦に振った。
にしても、祭、か……。
覚えている。
父と母と、一緒に行った。
父も母も楽しそうにしていた。
では、はたして俺は楽しそうにしていただろうか。
俺は自らの両手を見下ろすたび、罪悪感に駆られる。
自分自身があまりかわいくないことを、俺はよく知っている。
*****
祭の場。
境内へと続く狭い道は長く、境内自体は小さいものだと聞かされた。
ヒトが多い。もうそれだけで俺は顔をしかめたくなったのだが、風間はそこそこ楽しそうだし、桐敷はケバブなんかを買ってニコニコ食べるし、香田は本人は気づいていないのだろうがチョコバナナをエロティックに食べるものだから、なんとなくこう、俺は三者に対して「面白いなぁ」という感想を抱いている。彼女らお三方と同様、俺は俺で浴衣姿だ。派手さはない紺色一色の物だが、悪くないと思っている。浴衣は「今度、祭に行く」と伝えたら早速送られてきたものだ。まったく、うちの母は気が利く。彼女の動きの早さは見習うべき美徳だろう。
風間と香田がどこぞに消えた。心配になる。いや、連中の場合、ナンパされたところでなんの問題もないのだが。にしたって、女どもをほったらかしにするのは――。
桐敷と二人きりになったわけである。桐敷は急にもじもじしだした。わかる。照れているのだ。その若さは大切だなぁと思う。捨て置けない存在だ。俺は彼女のようなタイプを少なからず知っているが、桐敷の場合、彼女らに輪をかけていじらしい。かわいい奴なのだと思う、ほんとうに。
俺は悪戯をするようにして、桐敷の右手に左手でちょんと触れた。すると桐敷は「ひゃあっ!」と驚いてみせた。その声の高さたるや、周囲のニンゲンが振り向くほどだ。
「桐敷」
「な、なんだよ。つーか、いきなり触んな、馬鹿!」
桐敷は両手を握り合わせて身を引き、怯えたような顔をしている。
「今夜の俺たちはもう二人ぼっちだ」
「ふっ、二人ぼっち?」
「ああ、一人ぼっちじゃない。だから二人ぼっちだ」
難しい顔をしたのち、桐敷が述べた言葉がある。
「わ、わかった。……歩こうぜ、神取」
「ああ」
俺たちは歩き出す。
時折、ちょんちょんと手で触れ合いながら。
*****
――翌日の部室である。
風間がいる。
一応、俺もいる。
風間がしょうもないことを言い出した。
「雅孝、昨日ね? あたしは深夜アニメを観ていたわけだよ。泣かせが過ぎるのはまあよしとして、しかし、たったの剣の一撃について名前をつけるのはどうしたものかって、思うわけだよ。小学生じゃないんだからさ」
「ああ、そういう馬鹿発言をする奴が現れるだろうなとは予測していた」
「だったら、あたしの問いかけに対する最適解を示してみなよ」
「簡単だ。便宜上必要で、さらにそうしたほうが子どもウケがいいからだよ」
すると風間は非常につまらなそうな顔をしたわけである。
「あんたってとことん偉そうだよね」
「おまえほどではないと思うが、気に食わないようであれば、すぐに退部してやる」
「それって弱味に付け込んでいることだと同義だと思わない?」
「考えすぎだな」
むぅぅ。
そんなふうに、風間は口を尖らせた。
「平たく言う」
「なに?」
「俺はおまえやおまえ達と敵対するつもりはない。わかってもらいたいな」
「おまえ達っていうのは?」
「言わずもがな、おまえ達三人のことだよ」
風間は笑った。
笑ってから、「あんたは女の愛し方がへただね」と言った。
「俺の生き方に文句をつけるな」
「文句を言いたくもなるんだよ」
「どうしてだ?」
「どうしてだろうね」
「馬鹿野郎が」
「はーい、こちとら馬鹿野郎でーす」
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