第7話 公園

 翌日は土曜日で、私は家の側の公園に出かけた。アルゼンチンの街の至るところにはサッカーコートがあって、子どもたちや青年、若い女性たちがチームを組んでボールを追いかけていた。その公園も例外ではなかった。子どもたちが遊ぶ遊具のある広場の隣に四方を緑色のフェンスで囲まれたサッカーコートがあり、10人くらいの青年たちが汗を流していた。その様子をフェンスの外から眺めていると、同い年くらいの黒いタンクトップ姿の男の子に声をかけられた。ベースボールキャップの鍔を後ろにして被り、色褪せたダメージジーンズをお尻が見えそうな位置で履いていて、腕には『夏野菜』と日本語のタトゥーが彫られている。ジャスティン・ビーバーにでも憧れているのかもしれない。


「見かけない顔だね。君の名前は?」涼しげな目をしたその青年は聞いた。


「アヴリルよ」


「僕はガブリエル。少し名前が似てるよね、よろしくね」


 ガブリエルは爽やかな笑顔で右手を差し出した。ワルそうに見えるが、細められた目は優しげだった。


「よろしく。あなたもサッカーをしにきてるの?」


「ああ、そうだよ。君もサッカーが好きなの?」


「うん、小学生の時にジュニアリーグでプレイしてたの」


「なら一緒にプレイしようよ」


 ガブリエルは私をコートの中に案内し、仲間に紹介してくれた。


「彼女も仲間に入れてやってくれ」


 サッカー青年たちは、見ず知らずの私を皆好意的に迎え入れてくれた。ガブリエルのチームに入った私は味方からパスを受け、153センチの小柄な身体を生かして大柄な若い男たちの鉄壁のディフェンスを掻い潜り、油断していたキーパーの隙をついてゴールを決めた。


「小さいのにやるな!」


「ナイスシュート!」


 青年たちとハイタッチを交わした私は、しばらくの間夢中でサッカーに汗を流した。


 ひとしきり遊んだあとコートの外でガブリエルたちと話をしていると、若い三人組の女性グループが現れた。その中の一人、肩まである癖毛の髪をブルネットに染めた赤いキャミソールスカートの女がガブリエルに何か声をかけた。女はディアナと呼ばれていた。耳の周りに剃り込みを入れていて、鋭い目の周りは黒いアイシャドウに覆われている。苦手だな、と思った。彼女からは排水溝の澱みとこの世の歪みを掻き集めたみたいな、暗澹としたオーラが放たれている。


 そして私の予感は、ネガティブなものに限ってよく当たる。


 彼女はしばらくガブリエルたちと楽しげに話をしていたが、その間中ずっと私の姿が見えていないかのように振る舞った。途中流石に気まずくなってシドニーから来たのだと自己紹介してみたが、剃り込み女はふっと鼻で笑った。


「その髪の色、オーストリアの国旗でも意識してんの? あの赤いアスタリスクみたいなやつ」


 ディアナが蔑むように言うと、他の二人の女がケラケラと笑った。


「オーストリアじゃなく、オーストラリアよ。それに、あのマークはアスタリスクじゃないわ。ユニオン・ジャックよ」


 なるべく角が立たない言い方を心がけたつもりが、それを聞いていた二人くらいの青年が笑ったおかげで、ディアナは余計にプライドを傷つけられたと感じたらしい。顔をユニオン・ジャックみたいに真っ赤にして、バツが悪そうに舌打ちをして私をギロリと睨んだ。


 さすがに居づらくなってコートを出ようとした私を、ディアナの声が呼び止めた。彼女は駆け寄ってくるなり、私をまた蛇のような目で睨んだ。


「どうでもいいけどお前、人の男と馴れ馴れしく話してんじゃねーぞ」


「あなたの恋人だなんて知らなかったわ。ただ一緒にサッカーをしてただけなの、彼を奪う気なんてないから安心して」


 これ以上不快にさせないようにできる限り愛想が良い笑顔を作った私の足元に、彼女はぺっと唾を吐き捨てた。


「もう二度とここに来んな。目障りなんだよ」


 ディアナは威嚇するみたいにもう一度私を睨みつけ、取り巻きたちと去って行った。彼女の後ろ姿を見送りながら、結局女子たちの社会というのはどこの国も同じなのだと辟易した。


 幼い頃から男友達は多い方だった。こっちから積極的に話しかけて仲良くなるというよりは、相手から声をかけられ、話しているうちに仲良くなることが多かった。別に男友達の多さを鼻にかけたり他の女子と競っているつもりもなかった。ぶりっこをしてるつもりなど微塵もないのに、男友達としょっちゅうつるんでいることをよく思わない女子たちも一定数いて、敵意を向けられたり嫌がらせを受けることもあった。


 女子たちの社会というのは独特だ。時々、男に生まれたらどれほど楽だったろうと感じることもある。女としてみられること、女の集団の中で生きることは、かなりしんどい。こんなこと誰にも言ったことないけれど。

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