第2話 普通じゃない何か
祖母はロビーで私と母を見つけるなり、笑顔で駆け寄ってきて順にハグをした。
「久しぶり、おばあちゃん」
「久しぶりね、疲れたでしょう」
祖母が目を細めて私を見つめた。5年前に会った時より皺が増えて背が縮んだ気がするけれど、私を慈しむように見つめる目は確かに祖母だった。
今は4月。シドニーと同じく、ブエノス・アイレスは秋だ。空港の外に出るなり、シドニーに負けないくらいの強い日差しに目を細めた。歩道脇に並ぶ大きな街路樹は黄色く色づき始め、排気ガスと落ち葉の匂いの混じった生暖かい風が肌に絡みつく。
「あぁ嫌だ、日に焼けそうだわ」と母がうんざりしたようにつぶやいた。飛行機の中で日焼け止めを塗らなかったことを少し後悔した。
祖母に会ったことで母の表情も大分和らいだ。駐車場に向かうまでの間、祖母と母は笑顔で話をしながら私の前を歩いて行く。
車に乗ったとたん疲れがどっと押し寄せた。引っ越しの準備の際にも母はあれがない、これがない、あれは入れたっけ、これは……とずっとパニック状態だった。半ばうんざりしながら、「あとでお父さんに送って貰えばいいよ」と母を宥めつつ自分の荷物を纏めていたことを思い出した。
ふいに、カーステレオのラジオ放送で流れ出したアヴリル・ラヴィーンの歌声に耳を澄ます。
"Anything but Ordinary"
初めてこの曲を聴いたのは中学3年の時だった。英語のアクセントも住んでいる国も違うのに、当時自分が感じていたのと全く同じことを感じている人がいるという事実に驚くと同時に救われた。アヴリルは両親のスターであり、私の救世主だった。
元彼のジェシーにこの曲が好きなのだと言ったら、「君って見た目によらず病んでるね?」と笑われた。私からすれば、ジェシーがいつも部屋で爆音で流している、メランコリーなサウンドと生々しい性欲丸出しの言葉で埋め尽くされたヘヴィ・メタルバンドの曲の方が100000000倍もSickだ。
アヴリルという私の名前は、アヴリル・ラヴィーンの大ファンである両親からもらったものだった。アヴリル・ラヴィーンは17歳のときに" Let Go" というアルバムで鮮烈なデビューを飾った。そのアルバムは世界的な大ヒットを記録し、ガールズロックブームを巻き起こした。その波によって大量生産されたガールズバンドのほとんどは数年のうちに消えた。
アヴリルの2枚目のアルバムが発売された2004年5月25日に、奇しくも私は生まれた。当時母はまだ18歳で、私を妊娠したのを期に父と結婚をした。所謂できちゃった婚というやつだ。
母にはソーシャルワーカーになるという夢があったにも関わらず、中学時代から交際していた父との間に子どもができたことで、高校を中退して私を産んで育てる道を選んだ。
アヴリルと私の共通点は、背が低いこと以外ないに等しい。私には彼女のような人を射抜くような目力も、海みたいに深い色の青い瞳も、煌びやかなブロンドの髪もない。目は父親譲りのグレーで、髪の毛はアッシュブラウン。嫌いなわけじゃないけれど、特別気に入ってもいない。ちょうど自分の人生に対する感覚と同じ。
中学の頃アヴリルに憧れてギターを弾き始めた。一時期クラスの子たちと4人でバンドを組んでいたことがあったけれど、思春期の女子あるあるというやつで皆男の子たちとの恋愛に夢中になりはじめ、そのうち練習もままならなくなった。結局ボーカルの子が中3で転校したのを機に自然消滅のように解散した。
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