回想電車

夕雨 夏杞

まもなく発車いたします。


ガタンゴトン…ガタンゴトン…



平日の昼下がり、私は隣町へ行くためにいつもの電車に乗った。これは、最近また落ちている、そう自覚していた時の話である。



「ねぇねぇママ、もうすぐ誕生日だよっ」


「そうだねぇ」


向かいの席に座った母娘おやこが話している。

女の子は、椅子に座っても床に届かない小さな足をぶらぶらさせていた。おそらく幼稚園児だろう。母親は、そんな娘を愛おしそうに見つめている。自然とふたりの会話は、耳に心地よく入ってきた。昼の日差しがあたたかい。少し眠たくなってきた。


ガタンゴトン…ガタンゴトン…


「それが終わったら?」


無邪気な声で女の子は聞く。


「運動会があるねぇ」


ガタンゴトン…ガタンゴトン…


「あとはぁ〜?」


「あとはねぇ〜ハロウィンもあるし、クリスマスもあるよ」


ガタンゴトン…ガタンゴトン…


「いっぱいあるね!」


女の子はやっと満足そうにえへへと笑った。



そのとき、私は急に感情の塔が壊れていくのを全身で感じた。波に溺れ、沈んでいく自分を見た。頬を一筋の涙が伝っている。


ふたりの会話が、あまりにも透明で、儚くて、今の私には耐えられなかった。

それは掴んだ瞬間、手からぽろぽろ零れていきそうなくらい、繊細な空間だった。



ママ…ママ…


昔はママと呼んでいた。

大きくなってから"お母さん"に変えさせられた。ママと呼んでいた頃の幼い自分が、今、目の前の小さな女の子と重なる。


ぐっと堪えた。

唇を噛みながら、できるだけ静かに、

気づかれないように涙を流すことを意識した。

私が大人になって身につけた、静かな泣き方。


私は電車を降りた。ふたりを置いて。

私を置いて。


どうか、あの母娘おやこがずっと幸せでありますように。


無性に母の声が聞きたくなった私は、

帰ったら電話をかけようと心に決めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

回想電車 夕雨 夏杞 @yuusame_natuki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ