僕だけを殺さない幽霊
高巻 渦
僕だけを殺さない幽霊
夏休みが明けて三日経っても、カンザキくんは登校してこなかった。
クラスのみんなが不思議に思い始めた四日目に、先生が言った。カンザキくんが亡くなったと。川へ転落したらしい。
僕の隣の席のオオムラくんが、僕にしか聴こえない声で言った。
「カンザキのやつ、とうとう死んだか。自殺かな? 遺書に俺の名前載ってないと良いけど」
カンザキくんの死を悲しむクラスメイトはいなかった。だってカンザキくんは、いじめられてたから。
カンザキくんはいつも誰とも話さず、掃除ロッカーに一番近い自分の席に座ってて、授業中はずっとノートに絵を描いてて、休み時間はグラウンドで遊ばず、ひとりで図書室にこもって本を読む。自分を表に出すのが苦手な子だった。たぶんカンザキくんは、自分がクラスに溶け込めてないことにも気づいていなかったと思う。
最初にカンザキくんの悪口を言い出したのは、オオムラくんだった。授業が終わった後の短い休憩時間に、オオムラくんは僕たちを集めて言った。
「カンザキっていつも同じ服着てて、きたねーよな」
それに同調したのは、カワダくんと、アオキくんと、ゴトウくん、そして僕だった。僕たち四人は、オオムラくんに逆らえなかった。ここで逆らったら、自分が標的にされることを知っていたから。
「カワダ、お前カンザキに言ってやれよ」
オオムラくんに命令されたカワダくんは、ためらいがちにカンザキくんの席へ近づき、叫んだ。
「うわー! カンザキくっせー! お前服ちゃんと洗ってんのかよ!」
教室中にカワダくんの大声が響き渡った。カワダくんが笑顔でこっちに帰ってくる。オオムラくんは手を叩いて大笑いしている。アオキくんとゴトウくんも笑っている。僕も無理やり笑顔を作る。ふと見ると、カンザキくんも、ただ困ったような笑顔を浮かべていた。
その日から、カンザキくんへのからかいはエスカレートしていった。
「カンザキは何も言い返してこないから、何を言っても大丈夫」
オオムラくんはそんなことを言っていた。
「カンザキんちって父親いないらしいぜ。だから新しい服も買えないほど貧乏なんだ」
「近所で野良猫が死んでたんだけど、あれカンザキが食い殺したんだろ」
「きったねー、カンザキウイルスが付いた!」
オオムラくんたちは、毎日カンザキくんに悪口を言い続けた。僕もその輪に混じり、標的にされたくない一心でカンザキくんを貶した。その度に胸の奥がチクチクした。
カンザキくんは、どんな悪口を言われても困ったような笑顔を浮かべるだけだった。それがオオムラくんの気に触ったのか、次第にからかいはイジメに、悪口は暴力に変わっていった。
上靴を隠されたカンザキくんが、裸足で授業を受けているところを何度も見た。オオムラくんが投げた石がカンザキくんの頭に当たり、血が出るのも見た。それでもカンザキくんは一度もやり返さず、ただ困ったような笑顔を見せるのだった。
「ニシハラ、ちょっと来いよ」
ある日、僕はオオムラくんに呼び出された。
「お前、スパイになれ」
「えっ?」
オオムラくんの言ってる意味がよくわからずに聞き返すと、オオムラくんは声を小さくして言った。
「お前、一週間くらいカンザキと仲良くしろ。それで、あいつと仲良くなったタイミングで裏切るんだよ。お前はカンザキ狩りに参加してないから、バレないって」
カンザキ狩りとは、カンザキくんに石を投げたり、エアーガンを撃ったりする遊びのことだ。僕はオオムラくんに向かって、うなずくことしか出来なかった。ここで断れば、僕が狩られることになるから。
「カンザキくん、一緒に帰ろうよ」
その日の放課後、僕はカンザキくんに話しかけた。カンザキくんは一瞬びっくりしたような顔をして答えた。
「う、う、うん。い、いいよ」
教室の隅でニヤニヤしているオオムラくんを一度見て、僕はカンザキくんと教室を出た。靴を履き替えていると、カンザキくんは下駄箱の前で立ったまま動かない。
「どうしたの、カンザキくん」
「う、うん。く、靴がな、な、ないんだ」
そう言って、あの困ったような笑顔を見せる。きっとオオムラくんたちの仕業だろう。カンザキくんは上靴のまま外へ出た。
いつもは通らない、カンザキくんの家へ続く道。僕らが今いる歩道の反対側は、ガードレールを隔てた向こうの地面が低くなっており、ネズミ色の石が敷き詰められた川辺が広がっている。不意にカンザキくんが道路を渡り、ガードレールの下をくぐり抜けていく。驚く僕に向かって手招きしながら言う。
「ぼ、ぼ、僕、いつもこ、ここで絵描いてるの」
僕は誘われるまま川辺に降りて、カンザキくんの横に並んで座る。ゴロゴロした石が太ももに当たって痛みを覚える。こんなものをぶつけられてるカンザキくんはもっと痛いだろうなと考えてしまって、悲しくなる。ランドセルから自由帳を取り出したカンザキくんが、一枚の紙を僕に渡してきた。
「こ、こ、これ、あ、あげる」
僕は息を呑んだ。それはカンザキくんから見た教室だった。窓から射し込む日差しや、仲の良いグループで固まって話すクラスメイトたちの顔。何もかもが鮮明で、綺麗な絵だった。教室の隅には、オオムラくんたちと笑顔で話す僕の姿も描かれていた。
「これカンザキくんが描いたの!? 凄いよカンザキくん、こんなに絵が上手かったんだね」
僕がそう言うと、やっぱりカンザキくんは困ったように笑って、目の前に広がる川を新しいページに描き始めた。
それから一週間、僕はカンザキくんが住む団地まで彼を送った。オオムラくんたちと居る時よりも、ずっと楽しい。そう考えるたびに、オオムラくんから命令された「スパイとしての使命」を思い出して、胸がチクチク痛んだ。僕とカンザキくんのこの関係はもうすぐ終わる。悲しくてたまらなかった。
ある日の放課後、僕はオオムラくんたちが「カンザキ狩り」をしているところを見た。石をぶつけられ、擦り傷だらけになったカンザキくんが、僕を見つけた。
「ニシハラくん、た、た、たすけて」
オオムラくんが、ここぞとばかりに僕に目配せする。僕はカンザキくんに背を向けて、言う。
「助けないよ、友達じゃないから」
僕は逃げた。痛いほど拳を握りしめて走り出した。何をされても笑っていたカンザキくんの泣き声が、背後から聴こえた。
翌日から、僕とカンザキくんが会話することは二度となかった。そして夏休みに入り、二学期が始まる直前、カンザキくんは死んだ。
その後俺は小、中、高校を卒業し、大学へ進学した。
一年ほど経ったある日、大村が癌で死んだと連絡が入った。久しぶりに地元へ戻り参列した通夜では、川田や青木、後藤といった懐かしい顔ぶれがいて、昔話に花が咲いた。生前撮られた大村の写真は、体格が良かった過去の姿からは想像も出来ないほど痩せこけていた。
大学の卒業が決まったとき、今度は川田が死んだ。死因はやはり癌だった。通夜には相変わらず青木と後藤も参列していたが、二人は会話もそこそこに、さっさと焼香を済ませて帰っていった。
就職して三年が経った頃、母親から電話がきた。
「同級生だった青木くんいるでしょ? 癌で亡くなったって。あんたもタバコとか気をつけなさい」
青木の通夜に、後藤は参列していなかった。知り合いに聞くと、どうやら後藤も入院中らしい。
俺は青木の通夜を後にしたその足で、後藤の入院先を訪ねた。呼吸器に繋がれた後藤が、こけた頰を動かして、うわ言を呟いている。
「カンザキ、カンザキが来る……次はお前だ西原」
結局、俺が見舞いに行ってから半年もたずに後藤も死んだ。参列した通夜で、啜り泣く後藤の両親を見ながら俺は「当然の報いだ」と思った。次に俺が死ぬのも、当然だと思っていた。
しかし、それから二年、三年経っても、俺の体調に変化は現れなかった。
なぜカンザキは俺だけを殺さないのか。その考えを巡らせたとき、俺の安堵は深い悲しみと後悔に変わった。
カンザキくん。僕はカンザキくんに酷いことをした。オオムラくんやカワダくんよりも、もっと酷いことをした。本当は、僕は君と友達になりたかった。なのに僕は君に、誰よりも酷いことをしてしまった。
僕を生かす理由は、君が一度でも心を開いてくれたからなのか。それとも一番酷いことをした僕を殺すタイミングを、まだ見計らってる最中なのか。どちらにせよ、僕はこれから一生、君に殺されることへの怯えと、あのときオオムラくんに従って君を裏切ってしまったことへの後悔を背負って生きていかなきゃならない。カンザキくん、ごめん。君の絵がもっと見たかった。カンザキくん、僕を許して。
五年が経ち、六年が経った。
仕事を終えて帰宅すると、エプロンを付けた妻と、小学二年生の息子が玄関へ迎えに来る。
三人で食卓を囲んだ後、なんとなくテレビを観ていると、息子が大きな画用紙を持って駆け寄ってきた。
「パパ見て、僕が今日描いたの」
大きな長方形で描かれた緑の黒板、乱雑に並んだ机、いくつかの固まりに分けられ、まばらに描かれているクラスメイト達はみんな笑顔だ。
「教室の絵か」
「うん! 上手に描けてるかな?」
「ああ、すごく上手いよ」
喜ぶ息子の頭を撫でてから、もう一度、絵に視線を落とす。
教室の隅、掃除ロッカーに一番近く描かれている机に、十数年前、一週間だけ友達だった少年の影が見えた気がした。
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