第17話 農園の夕食会

「アレシア様、だいぶ包丁にも慣れてこられましたね。最初はもう、指を切るんじゃないかと、見ている方が怖くて怖くて。包丁を使うのは止めましょう、と本当に喉まで出かかっていましたよ」


 ネティがほっとしたように言う。


 当のアレシアは、朝食のオムレツに入れる野菜をそろそろと切っている最中だ。

 最初はエミリアかサラが切った材料を使って調理のお手伝い、とネティは思っていたのだが、サラから「まずは全ての作業を、やってみましょう」と言われ、半信半疑ながら見守ってきたのだ。


 包丁の持ち方から始まって、実際に野菜を切ったり、お肉を切ったり。動作はゆっくりだが、アレシアは大分指示された通りに素材を切ることができるようになっていた。


「ううん、まだまだよ……! 目標がありますからね、もっと覚えて練習しないと……!」


 楽しかった農園暮らしもあと3日。

 最後の夜は、エミリアがカイルの大好物をそろえた夕食会を開くと言う。

 カイルを迎えがてら、帝都からエドアルドもやってくるということで、エミリアも張り切って準備を進めていた。


 夕食会の準備だけではなく、カイルに持たせるお土産もすでに山のように用意している。


 保存食のジャムや蜂蜜はすでに箱詰めし、出発前日には山ほどクッキーやパン、パイを焼く予定でいる。

 そんなエミリアの様子を見ながら、アレシアは、エミリアはいいお母さんだなぁと微笑ほほえましく思っていた。


 カイルの大好物とは、ターキー、七面鳥しちめんちょうのディナーだった。

 ローストターキー、ドレッシング、クランベリーソース、スイートポテトのキャセロール、インゲン豆のキャセロール。


 エミリアの家族に伝わる、この地方の庶民の伝統的な祭日料理だという。

 最初、アレシアがそのメニューを聞いた時は、流れるように羅列されていくメニューが、何かの呪文のようにしか聞こえなかった。


 しかし、カイルの大好物ということで、アレシアはエミリアに頼んで、密かに全てのレシピを手に入れていた。


「アレシア様……いじらしい。陛下の好物をいつか作って、びっくりさせたいのですね? そこまで陛下のことを気遣きづかわれるなんて」


 いつの間にかそこまで仲良くなって、と思わずほろりとしているネティにアレシアは苦笑して、「それは大げさ」とくぎを刺しておいた。


 農園に来て、カイルと話すようになり、カイルの態度もずいぶん変化したと思う。しかし、カイルから聞いた事情を考えると、帝都に帰れば、少なくとも人前では、カイルは「さっさと帰ってしまえ」と言わんばかりの態度に戻るだろう。


 それでも、アレシアは次第に、カイルを古い友達のように感じ始めていたのだった。


 大事な友人のために何かを手伝ったり、喜ばせたりするのは、当たり前のこと。

 アレシアは、この思いがけなくも楽しかった1週間のお礼を、カイルにしたいと思ったのだった。


「お、重い……」

 思わず唸ったアレシアが持つトレイにさっとエミリアの手が伸びた。


「大丈夫よ。さあ、オーブンに入れましょう」

 エミリアは驚くほど軽々とトレイをつかむと、温めてあるオーブンに入れて、扉を閉めた。


「立派な七面鳥ですね」

 ネティが感心したように言った。


「ほほ……もともと七面鳥は鶏より大きいし、カイル様が張り切ったみたいで、大きな七面鳥を仕留めてこられたのよ」


 明日は帝都に戻る、という日。

 農園の台所では、朝から大騒ぎだった。


 メインディッシュの七面鳥は下処理を施された後、台所に運ばれてきた。

 大きなトレイにエミリアの指示で、アレシアが切った野菜が載せられていく。

 玉ねぎ、セロリ、にんじん、ニンニク、さらにはハーブをまとめて束にしたものも載せる。


 その上に七面鳥を載せ、塩コショウをすり込んだ。

 あとはトレイにカップで水を計り入れ、じっくりと焼き上げていく。


「さあ、クランベリーのソースを作りますよ。七面鳥のローストにはこれがなければね」


 七面鳥に添えるクランベリーソースを作るのは、アレシアの担当だ。甘酸っぱいクランベリーの実をカップで計って洗うところから、全てアレシアが作る。


 鍋に砂糖と水を加えて火にかけた。

 砂糖を溶かして、沸騰ふっとうしたら、クランベリーを加えて煮る。

 やがてクランベリーが弾けて、鍋の中は、鮮やかな赤色に染まる。


 全てのクランベリーの皮が破れて、ソースがどろっとしたら火から下ろして、用意しておいたボウルに入れて、出来上がりだ。

 温度が下がれば、自然に固まる。


 アレシアがクランベリーソースを作っている間に、台所では同時にサツマイモのキャセロールとドレッシング作りが始まっている。


 サツマイモのキャセロールは茹でたサツマイモを潰して、砂糖、バター、シナモン、バニラ、塩コショウで味を付ける。

 エミリアはさらに刻んだクルミを混ぜ込み、オーブンに入れて焼き上げる。


 ドレッシングも七面鳥の付け合わせだ。

 角切りにしてオリーブオイルをかけ、軽く焼いたパンと、玉ねぎとセロリを炒め、タイムとセージで風味をつけたもの、それにスープストックと卵で作る。

 ドレッシングという名前だけれど、立派な副菜だ。


 ターキーディナーの時間も、ディナーと言っているけれど、実際は七面鳥が焼き上がる午後2時過ぎから食べ始めるらしい。


 台所からはおいしい匂いが絶え間なく漂っていて、アレシア自身もすっかりお腹が空いてきてしまった。


「デザートは何を作るんですか?」

 アレシアが尋ねると、エミリアが笑った。


「もちろん、パンプキンパイよ。実はね、昨夜作って、もう冷やしているの。あとは切るだけよ。新鮮なホイップクリームをたっぷり添えてね。……そうだ、お嬢様、ちょっといいかしら? わたしの部屋まで来ていただいてもいい?」


「火はわたしが見ているわ」

 サラが請け合い、アレシアはエミリアの後をついて、2階へ上がって行った。


 エミリアが部屋のドアを開ける。

 そこは、広々とした部屋だった。


 大きな窓から、明るい光が注いでいる。

 窓に寄せた大きな木のベッド。

 同じく木のクローゼット。


 そして何よりも目を引くのが、部屋の中央に置かれた、木の古いダイニングテーブルだった。

 その上には、さまざまな布地や糸、小物を収めた箱がいくつも広げられている。


「わたしの仕事場よ。針仕事は好きなのだけれど、なかなか時間がなくてね。それでも色々作っては楽しんでいるのよ」


 エミリアは微笑みながら、テーブルの上に折り畳んであるキルトを持ち上げた。


「ベッドカバーよ。良かったら、帝都へ持って行って、お部屋で使ってくださいな。それから……」


 エミリアはきちんと畳まれた別の山を手に取った。


「あなたのサイズに合わせて作ったのよ。華やかなドレスはカイル様がいくらでも用意するでしょうけれど、動きやすい服も必要じゃないかしら、と思って。ここで着ていた服は持って行ってね。また作りますから、遠慮えんりょしないで。それと、これもどうぞ」


 エミリアが広げて見せたのは、青の小花模様の綿のワンピースと白のエプロンドレスだった。


「エミリアさん……」

 アレシアは驚いて言葉を失っていた。


「あなたの瞳の色に合わせたの」

 エミリアが言った。


「アレシア。あなたがリオベルデの王女殿下で、女神神殿の姫巫女であることは聞いているけれど。カイル様はわたしの子供のようなものなの。だから、あなたもわたしの娘のように感じているわ。どうぞ、いつでも、農園に遊びにいらして。あなたの家だと思ってくださいな」


 エミリアは柔らかく微笑むと、アレシアをそっと抱き寄せた。


「無理はしちゃだめですよ。いつも、ここからあなたとカイル様を見守っていますからね。何かあったら、サラかエドアルドに言うのですよ」


「ありがとうございます」

 アレシアはお礼を言った。


 他にも伝えたい、と思ったが、胸がいっぱいになって、言葉が出なかったのだ。きっと、アレシアの母が生きていたら、こんなふうにアレシアを抱きしめてくれたのではないか、そんなことをアレシアは思った。


 アレシアの鼻の奥がつん、とした。

 アレシアは言葉の代わりに、エミリアの体をぎゅっと抱きしめたのだった。


 七面鳥が焼き上がった頃、帝都から馬を走らせてきたエドアルドが合流した。

 カイル、アレシア、ネティ、サラ、エドアルド、それにエミリア。

 6人でご馳走ちそうを庭のテーブルに運び、お腹がいっぱいになるまで、食事を楽しんだ。


 アレシアはまるでルビーのように真っ赤に出来上がったクランベリーソースのボウルを掲げて、自慢げに「わたしが作りました!」と宣言して、笑いを巻き起こした。


 この食事が終わったら、帝都に戻るのだ。

 和やかに終わった食事の後、エミリアは1人1人を抱きしめて、農園から送り出したのだった。


 馬車の中には、ご馳走の残りがお弁当になって、たくさん積み込まれた。

 もちろん、アレシアの新しいキルトとワンピースも入っている。


「カイル様、ありがとうございました。サラも、本当にありがとう」


 アレシアが言った。

 馬車の窓から、次第に遠くなる農園が見えていた。


「またいつか、来れたらいいな」


 アレシアの言葉にサラが嬉しそうに微笑んだ。

 カイルは黙っている。

 アレシアからその横顔しか見えないが、カイルの青みがかったグレーの瞳は、けして冷たくはなかった。


 しかし、帝都に着いたら、カイルは元通りの冷たさをまとうだろう。

 でも、アレシアはすでにそう決めたように、カイルの手伝いをするのだ。


「カイル様、頑張りますね」


 カイルはちらり、とアレシアを見た。

 カイルは何も言わなかったが、こくり、と1度うなづいてくれたのだった。

 馬車は走り続ける。

 朝までには、帝都アンジュランスに着くだろう。

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