暗壊

高巻 渦

暗壊

 大小様々な企業のオフィスがひしめき合うビル街。その中でも一際高いビルの屋上で、清掃員の格好をした男が二人、寝そべりながら何かを話している。片方の男の手には望遠鏡、そしてもう片方の男の手には、銃身の長い狙撃銃が構えられている。ドラグノフと呼ばれるその銃は、細身ながらも標的を確実に仕留める正確さと破壊力を兼ね備えている。

 望遠鏡を覗く男が静かに口を開いた。


「標的は見えたか? ここから六〇〇メートルってところだ。右からの風があるな、少しずらした方が良い」


 さらに低い声で狙撃手の男が、スコープを覗きながらそれに答える。


「見えてる。照準もオーケーだ」

「はいはい、いつでもどうぞ」


 消音器付きの狙撃銃から発射された弾丸は、二人にしか聴こえないわずかな音と共に空気を切り裂き、斜め向かいに建つ製薬会社の薬品開発部に位置する階の窓を突き破って、液体の入った一本のメスシリンダーを粉々にした。


「命中」

「流石、これで開発途中の新薬は水の泡ってわけだ。待ち望んでる人たちはかわいそーに」

「これが俺たちの仕事なんだから仕方ない、とっととずらかるぞ」


 二人は望遠鏡と銃をそれぞれ手慣れた手つきでバッグにしまい、清掃が完了した旨を受付に伝えて、ビルを後にした。


 凄腕のスナイパーと、優秀なスポッター。男二人は破壊活動を生業としていた。

 相応の報酬で雇われ、雇い主の望む物を必ず破壊する。決して血は流さないのがモットーの二人を、裏社会の人々は「壊し屋」または「暗壊者」などと呼び、畏敬や畏怖の対象としていた。

 標的の命は奪わずとも、命の次に大切な「物」を奪う。その仕事柄、二人はヘタな殺し屋よりも多方面から恨みを買っており、その命を狙っている組織の数も少なくない。おかげで、最近は仕事がしづらくなってきていた。


「久方ぶりのお仕事が片付いたことだし、今日は美味いもん食べて、美味い酒でも飲もうや」

「この様子じゃ報酬はかなり良かったみたいだな」


 カビ臭い二人のアジト。薄汚れた小さなテーブルには、その場に似つかわしくない色彩豊かな食料や酒が所狭しと並べられていた。

 スポッターの男は、口に詰め込んだ料理を嚥下し終わらないうちに話し始める。


「そういや俺たちの仕事、これで何件目だ?」


 静かに酒を飲んでいたスナイパーの男が返す。


「今日で丁度二五〇件目。依頼を受けるのはお前の仕事なんだから、それくらい覚えておけよ」

「悪い悪い。しかし二五〇回かあ、俺たちもだいぶ働き過ぎたな」

「まぁな。稼げるうちは続けるさ」


 食事も大方終わり、二人はタバコを吸いながら昔話に花を咲かせる。


「時にお前さ、これまで俺たちが壊してきた中で一番印象に残ってる物ってなんだ?」


 スポッターの言葉にスナイパーは虚空を見上げ、過去の仕事を思い返す。その沈黙を待たずにスポッターが続ける。


「俺はやっぱアレだね、土地の埋め立てに反対してたお偉いさんからの依頼でブッ壊したコンクリートミキサー車五台。道の真ん中でコンクリートダラダラ流して動かなくなったのは見てて痛快だった」

「ああ、アレは報酬も良かったな。運転手を殺さないようにするのが少し難しかったが」

「あとはハンマー投げのやつ。覚えてるか? 銀メダリストが依頼してきただろ」

「覚えてるさ。金メダリストが投げたハンマーを俺が撃って軌道を変えた。でもアレは壊した物のうちに入るのか?」

「金メダリストの三連覇の夢が壊れただろ」

「物は言いようだな……」

「で、お前は? 何かあるだろ、印象に残ってる物」


 スポッターの問われたスナイパーは、ぶっきらぼうに答えた。


「志望理由書と受験票」

「あー、一年前くらいに壊したアレな」

「アレな、じゃねえ。あんな安い報酬で仕事受けやがって」

「仕方ないだろうがよ。どこで俺たちのことを知っのか、中学生の女の子が勇気出して怖~いおじさん二人のとこに単身で来て、私をいじめてる女と同じ高校に進学したくない、とか言って目の前で泣かれてさあ、お年玉とお小遣い全額渡されたらそりゃあ引き受けちゃうでしょ」


 わざとらしくおどけて見せるスポッターに、スナイパーは舌打ちして言う。


「それで、いじめてた女の志望理由書を粉々にして、受験当日に受験票まで壊して……報酬に見合わねえ仕事をしたわけだ」

「まぁまぁ、時には感情で動くのも大事だぜ」

「けっ、ふざけたこと言いやがる。何よりも金が第一だろ」


 スナイパーが吐き捨てるように言うと、スポッターは姿勢を正して話し始めた。


「じゃあ、次は過去の話じゃなくこれからの話だ、新しい依頼が来た」

「間髪入れずに引き受けるとは熱心だな。教えてみろ」

「俺にとってはこの仕事が、一番印象に残るんじゃねーかなと思ってるデカい仕事だ。お前、ちょっと銃見せてくんねーか」


 スポッターに促され、スナイパーは傍らに置かれたドラグノフを取り出し、渡した。しばらく難しそうな表情でライフルを見ていたスポッターは、こんなことを口にした。


「なあ、そろそろ銃を新調した方が良いんじゃないのか、もうだいぶ使い込んだだろ。その方が狙撃の精度も上がるぞ」


 スナイパーは静かに、しかし強い口調で反論する。


「バカ言うな。これは俺たちの先代から受け継いだ銃じゃねえか。この銃以外を使うなんて考えられん。これは俺の命の次に大切な……」


 そう言い終わる前に、スナイパーは何かを察して息を飲んだ。

 それと同時にスポッターはニヤリと笑い、どこからか取り出した工具を、ドラグノフに向けて振り下ろした。鈍い音がアジトに響いた。思わず立ち上がったスナイパーの視線の先には、銃身が奇妙に歪み、潰れた愛銃の姿があった。


「て、てめえ何しやがる!」


 掴みかかろうとするスナイパーを、スポッターの言葉が制する。


「依頼だよ、標的はお前のドラグノフ。依頼主はお前の嫁さんさ。俺もお前とコンビ解消するのは心苦しいんだけども、これ以上危ない仕事はして欲しくないんだとよ」

「……いくらで引き受けた?」

「タダ」

「馬鹿野郎、言ったそばから感情に動かされやがって……あばよ相棒、楽しかった」

「おう、真っ当に生きやがれ。俺と、俺の新しい相棒に狙われないようにな」

「言ってろ」


 アジトを去っていく元相棒の背中を見送りながら、スポッターは次の相棒になり得るアテについて思考を巡らせていた。




 数日後、スポッターは夜の街を一人で歩いていた。さきほどから同じ場所をウロウロと行ったり来たりしているのは、アテがあったからだ。


「おじさん、今晩泊めてくれない? 幾らかくれたらあたしのこと、おじさんの好きにしても良いよ」


 媚びるような声で話しかけてきた少女を、スポッターはよく知っていた。


「よう、お嬢さん。見たところまだ高校生くらいだけど、学校はちゃんと行ってる? もしかして、受験が受けられなかったとか?」


 そう言うと、少女の顔は見る見る曇っていった。さきほどとは打って変わって、低く、振り絞るような声で問う。


「なんで知ってんだよ……オッサン、あんた誰?」

「怒らないで聞いてくれよな。実は君の志望理由書と受験票壊したのおじさんなんだ。いや、厳密に言うとおじさんの元相棒なんだけどね」

「はぁ? ふざけんなよ。お前のせいであたしは落ちこぼれて、家族にも見放されて、知らない男に股開いて、その男たちの家を転々としてるんだけど」

「そりゃ気の毒に……だからおじさんが君をスカウトしに来たってわけ。どう? 他人の大切な物、ぶっ壊したくない?」


 そう言ってスポッターが肩から下げたバッグを開き、中に入っていた新品のスナイパーライフルを少女に見せた。少女は驚いた表情を隠しもせず言う。


「これ……本物?」

「もちろん」

「……あたしにも、上手く壊せるかな?」

「もちろん」




 裏社会で暗躍する壊し屋。標的の、命の次に大切な「物」を壊すその腕前は評判以上だが、彼らの姿を目にした者は少ない。

 ある時を境に「望遠鏡を覗く痩せた男の隣で、スナイパーライフルを構える少女の姿を見た」という噂がまことしやかに囁かれたが、それもすぐに闇に呑まれて消えた。

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