27 自尊心

 霞と出会ったあの日、半ば冗談のように自分が何者でも無いという感情に対して怪異の所為ではないかと尋ねた事がある。

 あの日の霞はそれを否定したし……そして今の自分もそれは違うのではないかと思う。


 当然そこには何の根拠も無いわけだが……だけど同じように。

 その疑惑そのものにも、何の根拠も無い。



 ……なんて事を思うのは縁喰いの時のように、おかしくなっているかもしれない当事者だからだろうか。


「詳しく話、聞かせて貰っても良いですか?」


 その疑いを持たれた時点で、自分が持つ判断基準になんの信憑性も無い事は経験則で理解できるので素直に受け入れてそう尋ねた。

 理解できていない事を、理解する為に。


「良いよ。勿論そのつもりだったからね。といっても怪異の専門家として詳しい話ができる訳じゃない。これはあくまで一ヵ月キミと働いた雇い主としての主観だよ」


 そして霞は一拍空けてから言う。


「いくらなんでもキミは自己肯定感が低すぎるんだ。正直異常な域だと思うよ」


「……そう見えますか?」


「見えるよ。逆にキミはどうだ。自分の事を正当に肯定できていると思うかい?」


「……正直な事を言うと、その辺は良く分からないんですよ」


「分からない?」


「ええ」


 ああそうだ、分からない。


「俺は自分のやってきた事、やれる事を特別凄いとは思ってません。だけど周りからは凄いって言われる事はぼちぼちあったんですよ。俺はそれをお世辞だと内心思う訳ですけど、どういう訳か言ってる人達はそんな風には見えない。だから自分が根本的にズレてるんじゃないかって思う時は有ります」


 根本的にズレているが故に、自身を正当に肯定できていない。

 自己肯定感が低い。そんな評価は当てはまっている可能性がある。


 もっとも可能性があると思うだけだ。

 結局どう理屈をこねようと、今此処に居る自分が下す自己評価は紛れもなく何者でも無い人間なのだから。


 そしてそれを聞いた霞は続ける。


「……そして私もキミはズレていると思うんだ」


「……」


「キミが今日やった事も……やろうとした意思そのものも、間違いなく凄い事だったんだよ」


「そう……ですか」


「まあ納得がいかないだろうね。納得できないんだ、怪異が絡んでいるのだとすれば」


「……でしょうね」


 もしも本当に自分がずっと抱いてきた【何者でもない】という感覚が怪異によるものだったとすれば、それが何の解決もしていない以上、そうした言葉は素直に受け止められない。

 当たり前のように自分を下げる為の理由を探してしまう。


 そしてそれを感じながら霞に問いかける。


「それで黒幻さん。考えられるとしたらどういう怪異なんですかね」


「具体的な名前なんかは分からないし、似たような症状の怪異の情報も私の頭に入っていない。だから今日の怪異と同じように推測でしかないけどね」


 そう言って霞は一拍空けてから答える。


「自己肯定感や自尊心を喰う怪異、とか」


「……もし本当にそうだったら、地味に厄介そうな感じですね」


「そうだね。キミが今日までこうして生きて来れた以上、緊急性の様な物は感じないけれど、それでも取り除くとなれば厄介だよ……今の所ピンと来るやり方が思いつかない」


「まあもし何か思いついたら一声掛けてくださいよ」


「勿論。キミも何か思いついたら相談してくれよ。やや頼りないかもしれないけれども」


「分かりました」


「頼りないの部分は否定して欲しかったねぇ」


 霞はそう言って苦笑いを浮かべた後、問いかけてくる。


「それに、本当に分かっているかい?」


「というと?」


「私にはキミが解決しなくても良いと思っているように聞こえたんだけど。そういう声音だった」


「……まあ、微妙な所ですよこの辺は」


 既に【何者か】になりたいなんて人に言いにくい事をカミングアウトしている手前、霞に何かを言う事に抵抗はあまりない。

 だから素直に答えた。


「仮に自己肯定感だとか自尊心だとかが怪異に食われていたとして、俺がそういうのが低い人間なんだとしますよ。でも思い返す限りずっとこんな感じだったんですよ俺は」


 そう、思い返す限り白瀬真という人間はこういう存在だった。

 そしてそういう人間の事を、自分自身はどう思っていたか。


「でも俺は別に俺の事が嫌いな訳じゃないんです。そりゃ現状の自分にコンプレックスみたいなものは感じてますよ。だけどだからといってそれが自分の事を嫌いになる事に直結する訳じゃない」


 だからこそ、複雑なのだ。


「経緯はどうであれ、もうそういう面倒な部分も含めて白瀬真って人間な気がするんですよ。俺はそういう自分のまま、何者かになりたかったんです」


 自己肯定感や自尊心を喰う怪異が居たとして、それが自分自身の身に取り付いていたとして。

 もはやそういう部分も含めて、白瀬真という人間を構築している気がして。


 それを全否定するのは、もはや自分自身のアイデンティティを否定する事と同義な気がするから。

 それ故にそれを切り取る方向に大きく踏み出せるかと言えばそうじゃない。


 そんなに簡単な話ではない。

 怪異を取り除く方法を探る事よりもきっと、こっちの方が難しい。

 ……それに。


「まあそういう事なら無理にとは言わないさ。怪異であれ、自分の内面であれ、向き合って共存していくみたいなのも一つの答えだろうから。否定はしないよ」


「すみません、態々手ぇ貸そうとして貰ってたのにこんな事言って」


「良いんだ。でも何とかしたいと思ったら言ってくれると嬉しい。力になるよ」


「ありがとうございます」


 そう言ってくれるような人が身近に増えたという事が自分に取り付いている怪異によって齎されたのだと思えば、寧ろ取り除かなければならない物と考える事すら正当なのかどうか分からない。


 そう。きっと今の自分があるのは、今の自分がこういう人間だからだろう。


 怪異の専門家の元に転がり込もうとした事も。

 そもそも縁喰いという怪異に憑かれるようになった事も。


 全部今の自分が関係している。

 ……やはり簡単には否定できない。

 だからこの事で霞に頼る事は多分無いのだろう。


 と、そんな風に自分の中で結論付けていた時、霞は言う。


「まあ私はキミの意見を尊重するとして、今まで他の誰かに変だとか何だとか言われてこなかったのかい?」


「というと?」


「今までも周囲の評価と自分の感情が噛み合っていなかったのだろう? それで謙遜し続けていたなら、怪異という要素は無しにしても誰かから何か言われたりしなかったのかなと」


「いや、それは無いですね。合わせてましたから」


「合わせる?」


「いや普通に考えて、皆が評価してくれているのに必要以上に謙遜しまくっていたら、自己評価がどうであれ嫌な奴でしょ」


「……あれ? えーっと、でも私の前だと滅茶苦茶謙遜しているよね。言ってる事とやっている事滅茶苦茶じゃないかい?」


「黒幻さんには流れでカミングアウトしているじゃないですか。俺が何者かになりたいなんて良く分からない事を考えている事を。あれ、ほんと誰にも言って無いんですよ。それが言えたなら、そんな話も紐付けされているようなもので……だから黒幻さん相手だけですよ。こんな事ペラペラ喋る相手って」


 もっとも意図せず漏れている事も多々あるだろうけど、自分で把握している限りでは霞の前以外ではこんな面倒な自分は曝け出さない。


「そ、そうか……私だけか」


「ええ。あの日、縁喰いの一件で関わってくれた黒幻さんだけですよ。俺の全部を曝け出せるのは」


「そ、そうか……」


 霞は少し顔を赤らめて言う。


「あの、白瀬君。そういう意図が無いのは分かるけど、それ言ってて恥ずかしくないかい?」


「…………確かに」


 霞の言うようなそういう意図は無かったが、確かに恥ずかしい事には恥ずかしい。

 ……実際自分がどう思っているかはどうであれ初対面の時にも考えた通り、霞は本来自分が関わろうとすら思えないほどの明らかな高嶺の花的存在だ。

 自分のような何者でも無い人間には、そういう物を乗せられないだろう。


 そしてやや恥ずかしくなって話題を反らそうと、少し気になっていた事を霞に問いかける。


「そ、それはそれとして黒幻さん」


「ご、強引だねぇ話題の転換が。それで、どうしたんだい?」


 そう聞いて来る霞に問いかける。


「……俺の気のせいだったらそれで良いんですけど黒幻さん、なんか今回の一件で引っ掛かってる点とかあったりしますかね」


「ん? どうしたんだいそんな事を聞いて」


「いや、確かに全身怪我しているから手放しに喜べないのは分かるんですよ。でもなんかこう……解決したのに、どこか気が乗ってないというか……」


「……」


 喜んではいた。

 安堵もしていた。


 だけどそれはそれとして、どこか引っ掛かるような。

 足を踏み入れる前には無かった何かを持って帰ってきてしまっているような。


 そんな風に見受けられたのだ。

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