2 縁喰いという怪異
「だから一応訂正しておくけど、私はキミの事をセクハラ野郎だとは思っていないよ。そういう発言を促され口にしているだけで、キミ自身は何の落ち度もない被害者だ」
「ちょっと、ちょっと待ってください!」
思わず彼女の言葉を止める。
「な、何を言っているんですかあなたは! そんな事がある訳が無いでしょう!」
怪異だとか縁喰いだとか、そういう理解不能な単語はひとまず脇に追いやって。
今脳が受け入れた言葉を反復する。
おいでよ埼玉爆乳祭りが存在しない。
自分がそれを存在していると思い込んでいる。
それではまるで自分の想定していた事態とは真逆である。
そして……そんな暴論は受け入れがたく、それ故に当然受け入れられない。
「そんな事が……ある訳が……」
ある訳が……ない筈だ。
「……どうやら少しずつだけど状況は好転しているみたいだね」
「……?」
「さて、反論なんかは後で纏めて聞くことにするから、まずは私の話を一通り聞いてくれるかな。今の一連の会話がそうだった様に、縁喰いの被害者との会話はいささか骨が折れる……まあ私のコミュニケーション能力が思った以上に低かったという理由もあるかもしれないけれど」
不思議と、明らかにおかしな主張をしている筈の彼女に対し反論する気が削がれているような気がした。
事実、彼女の言う通り大人しく話を最後まで聞いてみようかと思える様になってきた。
「分かりました……とりあえず話終わるまで相槌程度にしておきますよ」
「助かるよ。多分こんな事に巻き込まれていなければ、キミは物わかりの良い男なんだろうね」
そう言った彼女は軽く咳払いをしてから話し始める。
「まず私が言うところの怪異という奴は、幽霊だとか妖怪だとか化物だとか、そんなふわふわした認識で構わないよ。専門家として事に当たらなければ寧ろその位で丁度良いだろう」
「はぁ……で、俺にその怪異とやらが憑いていると。縁喰い……でしたっけ?」
「そう、縁喰。人との縁を喰らうと書いて縁喰いだ」
「縁を喰らう?」
「被害者の視点で考えれば縁を切られると表現した方が分かりやすいかもしれないね」
そう言いながら彼女は両手でダブルピースをしてカニのように動かす。
一応クールな雰囲気は維持しているので普通に絵面が面白い事になっているが……それはさておき、そんな様子のまま彼女は言葉を続ける。
「切られた縁を捕食する。その為に縁喰いは取り着いた被害者に社会的に死ぬような行動をさせるのさ。多種多様なやり方でね」
「それが俺の場合……思い込みによるセクハラ発言だと」
「そういう事だ。まあ今のキミじゃあ納得しきれないだろうから、例の祭りが丸々セクハラ発言だと仮定して聞いて欲しいんだけどね──」
「いや丸々セクハラ発言扱いは、流石に埼玉に失礼でしょうよ」
思わずそう指摘する言葉が出て来た。
「……あれ?」
……まるで埼玉以外の言葉がセクハラだと受け取られてもおかしくないと認識しているように。
国内有数の祭りの名称としてはあまりにそぐわない単語が混ざっていると認識しているように。
(おいでよ……おいでよが卑猥? いやいや、それじゃあ日常的なコミュニケーションが成り立たなくなる。気軽に誰も呼べないじゃねえか)
だからきっと埼玉に続き、これもまた何の問題も無い発言の筈だ。
では残るは一体何か。
「……いいね。キミの精神力は思ったよりも強い」
一旦解説を止め、こちらを見守る様な表情を浮かべる彼女の前で思考を回す。
残る単語は一つしかない。
「……爆乳、か」
「こんな真昼間から刑事ドラマみたいなシリアスな空気で言われると、より一層ヤベー奴感が強まるねぇ」
「……」
言われた事を話し半分に聞き流しながら考える。
今自分が口にしている言葉は、白昼堂々と道行く女性に掛ける言葉として適切なのか否か。これがハラスメントに該当するのか。
そしてそんな事を真剣に悩まなければならないような単語が堂々と組み込まれた祭りが、日本有数の祭りとしてカウントされているのか。そもそも存在しているのか。
結論は出切らない。
だけどそれでも。
「……もしかしたら俺は相当滅茶苦茶な事を人に尋ねて回ろうとしていたのかもしれない。そういう可能性は確かにありますね」
その仮説を自分自身の口から絞り出す事は出来た。
「気付いた上に話の移動修正……キミは良いね、立派だよ。ほらこれキミのアイスコーヒー。自分の世界に入り込んでいる間に届いたよ」
「あ、どうも」
彼女かアイスコーヒーを受け取った所で、その代わりに彼女が流れを引き継いだ。
「じゃあ改めて。キミの発言がセクハラに該当するものだったとして、それを聞いて回っていたら、当然最終的には良くない事になるだろう。それが結果的にキミが築いてきた人との縁を切る事に繋がる。縁喰いが食事を終え、正気に戻った頃には時既に遅しだ。それが縁喰い。低級だが厄介な怪異だよ」
「事実なら……恐ろしいですね。確かに最初に声を掛けたのがあなたで本当に良かった」
こういう風に色々と理解して話を聞いてくれる人以外に声を掛けていたらどうなっていたのだろうか。
自分の中では疑問が残りつつも今だに【おいでよ埼玉爆乳祭り】は実在する日本有数の祭りであるという認識がこびりついているが、それが異物であると認識も出来始めていて、故にそんな風に安堵した。
その安堵が答えのようにも思える。
今現在も脳裏に滞留する知識と執着心は、恐らく自分の内側から湧いて出て来たような物じゃない。
外付け。
刷り込み。
そういう類い。
彼女の言葉を借りるとすれば、怪異に憑かれているというべきか。
そして一人で安堵している中で、その感情の動きが自己中心的なものである事にも気付く。
「まあ良かったのは俺だけですよね。貴女からすればいい迷惑だったでしょうし。すみません」
おそらく自分は彼女に対して突然セクハラめいた発言をしているのだ。
それに対する謝罪はしなければならない。
「大丈夫。謝る必要も無ければ、そもそもこんな事を迷惑だと認識しているようじゃ専門家は成り立たない」
「専門家?」
「ああ、自己紹介がまだだったね」
そして彼女はコーヒーを一口飲んでから、自己紹介をする。
「
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